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三十歳手前の女は打たれ強くなくちゃいけないのだ。決して涙なんて見せちゃいけない。
午前中、山のように仕事を押し付けた上司に、腹を立てながら何食わぬ笑顔を振りまいてやった。彼は、もう自分の元へ帰ってこないだろう。それでも気落ちしている暇なんてなかった。
規約やモラル、常識やマナー。知らない間にがんじがらめに縛られた世の中で、恋愛やセックスだけが個人に残された最後の自由なのだ。結婚して一人の女と暮らし、おなじ相手とセックスして、経済的なお荷物まで抱え込むなんて、彼にとっては愚行なのだろう。
窓の外はすっかり暗くなり、街頭が淡く光る。
お昼を返上して働いたのに、仕事は終わる気配がない。どうせ終わらないならしっかり食べておけばよかった。自動販売機で購入した栄養補給食品をかじり今月一番のため息をつく。
「おい早見、お前大丈夫か? 今日は一段と無理して気味の悪い笑顔なんか作って、なんか変だぞ」
ドキッとした。休憩室に行こうとしたとき、偶然廊下で田所くんに会った。
「別に……、無理なんかしてないよ。それに田所くんには関係ないことだしほっといてよ」
「おい、早見!」
休憩室まで小走りで歩いたが田所くんを振り切ることはできなかった。
「バカか、ほっとけるわけねぇだろ、瞼もはれてるし、なんかあったのか? 分かった、課長だろ。あいつがまた仕事押し付けたんだろ、俺からも言っとくよ。でもさ、お前も仕事引き受けすぎなんだよ、真面目もいいけど、もっと気楽に仕事しないと心持たないぞ」
「……」
俯いて必死に顔を隠す。でも限界だった。
「なによわかったふりして! 真面目のどこが悪いの、田所くんも私のことバカにしてるんでしょ、最低! だいっきらい」
朝から溜めていた感情が溢れた、我慢してたのに、寄りにもよって一番見せたくない奴の前で涙を流した。
いつもみたいに生意気なこと言ってよ、なんで今日に限って優しくするの?
小走りでデスクに戻る。荷物だけ持ち、途中の仕事を放り投げて会社を飛び出した。恥ずかしくて、切なくて夜の街を全速力で走った。息を切らしても誰に指差されても立ち止まりたくはなかった。
涙が流れ顔がぐちゃぐちゃになり、息継ぎを失敗してえずいていると、駅前の賑やかな通りが見えた。
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