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本編
とある王国のとある王城にて。
お昼時、城の大食堂は午前の仕事を終えた使用人達で賑わっていた。この大食堂は給仕や掃除婦などの使用人から騎士まで城に仕えるあらゆる人物が一堂に集う場所であった。
部屋の隅に用意された皿を取り、食事が給されている場所へ行き、貰った後は各々が好きな場所に座って食事をするという何処かで聞いたことがあるようなシステムである。
そして、この物語の主人公——シーラ・メルディスもその食堂の賑わいの中にいた。
金に近い茶髪を左右に分け、露わになっている額には外側に垂れた眉が見てとれた。その下がり眉は気弱な彼女の性格を如実に表している。
身につけている首までボタンがある黒いお仕着せに大きな白いエプロンはこの城の掃除婦の証である。
シーラは人混みが苦手だ。従って、人という人がいるこの大食堂も勿論苦手であった。城に来たばかりの頃は余りの人の多さに驚き、昼休みになる度に食堂に来るのが憂鬱で仕方がなかったほどだ。
だが、流石のシーラも1年も経てばもう慣れた。
サッと皿を取って、サッと食事を貰って、サッと同僚達が集まるテーブルへ向かう——要は素早く動くのがコツな訳である。
人が多いのは皿置き場や配給場所で、いざテーブルについて仕舞えば人混みは気にならなくなる。
(早く取って席に座ろう……)
そう思いながらシーラは皿を取った。
テーブルに目を向けると、先に席についていた同僚が「ここだ」と言わんばかりに大きく手を振っている。その様子がなんだか可笑しくて、クスリと小さな笑みを浮かべながら手を振り返す。
すると、何故か同僚は虚空を何度も指差し始めた。ついでに口もパクパクと動かして何かを言っている。
「なに? ……ま……え……み……て……あっ!」
“前見て”そう言っていると気づいた時には遅かった。ドンッという衝撃とともに、シーラは何かにぶつかった。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて離れて、ぶつかった相手に謝る。恐る恐る相手の顔を見て、シーラの顔は真っ青になった。
「…………」
ぶつかったのはシーラが最も苦手とする相手——ジークフリート・フォルムバーグだったからだ。
シーラの頭よりも遥か上にある2つの青い目がギロリと彼女を睨んだ。その鋭い目つきと眉間に刻まれた深いシワを見ると、喉がキュッとしまって途端にシーラは何も言えなくなってしまう。
まさに蛇に睨まれた蛙だ。何も言ってこないのが余計に怖い。
「…………」
「…………」
「……チッ」
大きな舌打ちを1つすると、ジークフリートはシーラの横をすり抜け去っていった。
それから数秒して、恐怖で固まっていたシーラは我に帰る。
ジークフリートはどうやら食事を取りに行ったようだった。シーラも食事を取らねばいけないのだが、同じ場所に行くのは憚られて、空の皿だけ持ってフラフラと同僚の元へと向かった。
シーラが座れるように空けてくれたスペースに、ゆっくりと腰を下ろす。
「あちゃ〜シーラ、ついてないねー。だから“前見て”って言ったのに」
「遅いよ! この世の終わりかと思ったよ!」
眉をこれでもかと下げたシーラを見て、同僚の掃除婦は苦笑した。
「それにしても、何であの騎士はシーラに対してだけあんな感じ悪いんだろ」
昼食を取り損ねたシーラにパンを分けてやりながら、同僚は首をひねる。
ジークフリートはこの城に仕える騎士の1人だ。確か歳はシーラと同じくらいか少し上辺りだった。
どういう訳なのか、ジークフリートはシーラにだけ会う度に睨んでくるのだ。同僚を含め他の掃除婦は睨むどころか目もあったことが無いというし、一度他の使用人や騎士と接しているところを見た事があるが、至って普通であった。
「何かしたりした?」
「してないよ! そもそも話した事ないし……」
「え、話した事もないの?」
「うん。いつも舌打ちされるか睨まれるだけ。たまに何か言いたげな時はあるけど……」
「言いたげって何さ。まさか、好きとかそういう……?」
「いや、そういう恋愛感情がこもった単純な視線じゃ無くて。何というか、こっちを責める、みたいな……」
「責めるねぇ……やっぱり何かしたんじゃ無いの?故意にではないにしろ」
「やっぱりそうかなぁ……」
同僚の言うことも一理あった。自分が思わぬところで相手に何か不快な思いをさせた可能性は拭いきれない。そうだとしたらどうすればいいのか。相手が言ってくるまでひたすら待てばいいのだろうか。どんよりとした空気がシーラの周りに漂う。
「いっそのこと言ってくれればいいのに……そしたら土下座でも何でもするのに……」
「ちょっとちょっと、シーラ! またアンタはすぐそうやってネガテイブになるんだから! だいたい土下座はやり過ぎだっての!」
「これでも食べて元気出しな!」そう言って同僚がシーラに握らせたのは城下で人気の菓子屋のクッキーだった。バターの香りが袋越しにも漂ってくる。少しだけシーラの気分が浮上した。
「でも仮にシーラが何かしたとしても、普通あそこまで根に持つ? 余程のことならシーラも覚えてるでしょ」
「私があの人に出来る嫌がらせなんて、箒で埃かけるくらいだよ……」
「だよねぇ。それに、あの騎士相当強いらしいよ」
「そ、そうなの?」
声を潜めた同僚に釣られて、シーラも声を小さくした。
「うん。なんでも彼、貴族出身らしいんだけどね、12かそれくらいの歳の時誘拐されたらしいよ」
「ゆ、誘拐⁉︎」
「驚くのはまだ早いよ。その犯人をたった1人で倒して、無事生還したらしいんだから。相手は元山賊の大男2人組だったってのに」
「た、たった1人で……⁉︎」
「そう。他にもあるよ、騎士団に入った頃には熊を1人で……」
───ゴーン、ゴーン、ゴーン
同僚がそこまで言いかけた所で鐘の音がそれを遮った。午後の仕事が始まる10分前に鳴る鐘である。我に返ったシーラ達は、テーブルを片付け始めた。
「いけない。もう持ち場に戻らなきゃ。シーラ、ご飯ちゃんと食べてないけど大丈夫なの?」
「うん。あんまりお腹も空いてなかったから大丈夫。3時の休憩にもらったクッキー食べるね。ありがとう」
ジークフリートに会ったせいか、すっかり食欲も失せてしまった。同僚にもらったクッキーはスカートのポケットへ入れた。多少割れるかもしれないが、粉々になることはないだろう。
辺りを見回すと、鐘が鳴ったからかもう人はまばらだ。シーラも同僚と食堂の出口に向かった。
「シーラ、次の持ち場どこなの?」
「時の石の部屋だよ」
「あそこかぁ、あそこ狭いくせに物がいっぱいで私苦手なんだよね。埃っぽいし」
「私は結構好きだよ。やっぱり時の石があるから神聖な感じがするし」
「ああ、時の石伝説ね。懐かしいわ〜。あっ、じゃあアタシ、こっちだから」
「うん、頑張ってね!」
「シーラもね!」
手を振り合い、同僚と別れる。
ジークフリートに会った時はどうしようかと思ったが、なんとか気分を入れ替えて、午後からも頑張れそうだ。
シーラは仕事をするため、時の石が待つ部屋へと向かった。
◇
「失礼しまーす……」
部屋についたシーラは、早速扉を開けた。
この重厚な装飾が施された扉のノブをひねる時は、いつも少し緊張してしまう。
中は薄暗く、勿論人の気配もない。窓から差し込む光がキラキラと埃を照らしていた。
部屋の中央に視線を移すと、台座の上のガラスケースの中に少し大きめの白い石が収められている。これが時の石だ。
「時の石」はその名の通り、時を司る石である。過去や未来など、時空を行き来できる力を持っているという。この国ができる遥か昔には、時の石を巡って世界大戦も巻き起こったとか。それが「時の石伝説」である。
だが、今では時の石伝説を本気にしている者は殆どいない。一部の歴史学者などは例外だろうが。
城としても、古い言い伝えを守るという名目で時の石を展示するこの部屋——時の石の部屋を作ったはいいが、訪れる人は掃除をしにやってくる掃除婦ぐらいなものである。
加えて、この部屋は時の石の説明やら関連文書の展示やらで物が多かった。狭い割に掃除が大変なこの部屋は掃除婦達からもあまり人気はない。
しかし、他の掃除婦達がこの部屋の掃除を嫌がる中、シーラは何故かこの部屋の掃除が好きだった。なんだか神聖な気持ちになるのだ。
そういう訳もあってか他の掃除婦の当番の時もシーラが進んで代わってやっている。もしかすると城の人間の中でこの部屋を出入りしているのはシーラだけかもしれない。
(それってなんだか、秘密基地みたい……)
そう考えて、思わず笑みがこぼれてしまう。実は、シーラはこういった子供心を擽るワクワクしたものが密かに好きだった。
小さい頃は冒険譚などを好んで読み、気弱な自分にはないものを沢山持つ物語の主人公に憧れたりもした。もしかしたら時の石の部屋を好むのも、そういった性質から来ているのかもしれない。
子供時代に読んだ本を懐かしい気持ちで思い出していたシーラは、ハッと我に帰った。いけない、掃除をしなくては。
シーラは部屋の隅にある小さな物置へ向かい、そこから箒、雑巾、ハタキなどを取り出す。
(まず上の埃を下に落として……)
そこまでシーラが考えた時だった。
突然の眩い光が彼女を襲う。壁も天井も何もかもが真っ白で、影という影が消える。
「えっ⁉︎ 何⁉︎」
驚いたシーラは慌てて後ろを振り返ったが、あまりの眩しさに目を眇めてしまう。
光に照らされて何が何だかわからない。それでも光源を必死で探り、やっと見つけたその先には例の「時の石」があった。部屋の中央から発せられた白く強い光は、ガラスケースに反射し、幾筋にも折れている。
「と、時の石⁉︎ な、なんで……」
一体どういうわけなのか。確かめようと時の石の所へ一歩進んだが最後、シーラの意識はそこで途絶えた。
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