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直子のイライラ
「今日はガツンと言ってやらなきゃ!」
金曜日の午後9時。山本直子は駅前の人混みをかき分けながら、息子の通う学習塾へと向かっていた。
頭から湯気が出るんじゃないかと思うくらい、イライラしている。すれ違いざま、背広を着たサラリーマンとぶつかって、反射的に「すみません」と謝ったものの、思わずにらみつけてしまった。サラリーマンは直子のただならぬ雰囲気に驚いたのか、ぎょっとした顔で足早に去っていく。
「おっさん!これ以上私を怒らせないでよ!」
なんとか口に出すのはこらえたが、心の中でそう叫んだ。
直子の怒りの原因は、息子の隆だ。今年、小学6年生になった隆は中学受験をする。小学4年生から始まった学習塾通いも、残すところあと3ヶ月。受験本番が迫ってきている。
直子をイライラさせたのは、タイムリミットを全く自覚していない隆の態度だった。
「本番が近づいてくれば、自然と真剣になっていきますよ。男子なんて、どの子もみんなそんなもんです。ある時、急に自分事に感じられて、パッとスイッチが入りますから」
塾の講師はそう言ったが、隆のスイッチはいつ入るのか。相変わらず、家ではダラダラしているし、直子が声をかけないと宿題さえ取り組もうとしない。本当は宿題以外にも、弱点補強やテストで間違えた問題の解きなおしなど、やりたいことは山ほどあるのに…。直子のやる気だけが空回りして、当の隆はどこ吹く風だ。
「今のままじゃ、ぜんぶ落ちるわよ!」
喉まで出かかるその言葉を、いつもなんとかグッとのみ込んできた。
隆が通う学習塾は横浜駅から徒歩10分のところにある。直子と隆が住む最寄り駅から、横浜駅までは電車に乗って約15分。塾がある日は、隆は1人で電車に乗って通っている。さすがに帰りは午後9時を過ぎるので、最寄り駅まで直子が車で迎えに行く。
それが今日は、直子は横浜駅までやってきた。塾の前で、隆と待ち合わせをしているのだ。
本当は、優しい気持ちで迎えてあげたい。
顔を見たら、笑顔で「おつかれさま」と言ってあげたい。
駅から塾に向かいながら、直子はそう思っていた。
なぜなら今日は、1週間ぶりに隆に会う日だから。
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