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裏山
緑ヶ丘高校は政令指定都市の市立高校だが、高校があるのは山の中といってもいい。口の悪い世間では「ポツンと一軒家高校」といわれている。なにしろ「緑ヶ丘高校ゆき」のバスはあるものの、通学時間以外はほぼ走ってないといっても過言ではない。しかも「緑ヶ丘高校前」のバス停ときたら、高校のあるはるか下のほう。山のふもとといってもいい場所だから、遅刻ギリギリだからといって、ダッシュするなんて無理な話。車だってアクセルめいっぱい踏んで登るようなベタふみ坂。夏はじりじりと暑いさなか、バスから降りて学校に行くまでに制服のシャツが皮膚に張り付いてスケスケになるわ、外の水道のところでシャツを絞ればしわしわになるわ。夏だけじゃなくて冬だってバス停からせっせと歩くと汗が出る。気の利いた奴だとタオルと着替えを学校においておく。もっとすごいやつは学校内で着替えて私服同然。第一期生、学校が創立したばかりのころの話だ。
先生たちもTシャツ半ズボン程度の恰好なら、大目に見てくれた。さすがに男子生徒がスカートをはいてきたときは職員会議で相当な議論があったらしい。
その男子生徒曰く「この学校の女子生徒は制服としてスカートのほかにズボンの着用が認められているのに、男子にスカート着用が認められないのはジェンダー・ハラスメントだ」と言い張って、頑としてスカート着用をあきらめなかった。普通ならLGBTなのかと思うところだが、その生徒は
「僕はスカートをはきたいだけなんです。性的にはノーマル」というからさらに紛糾するところだ。
が、緑ヶ丘高校の先生というのは、どへき地に飛ばされてきたという噂の面々ばかりなので癖の強い先生の吹き溜まり的な学校でもあった。いわゆる「異端児」的な先生が多かったので「ほかの生徒の迷惑にならないならよし。」という結論になったらしい。
他の生徒の保護者からは「うちのこが真似をするようになったら困る」などという意味不明のクレームが来たらしいので、生徒会が緊急アンケートをとるという形にして「学校内での服装についての問題」として全校生徒から意見を募った。
結局、「学校内では上半身または下半身、どちらかは制服を必ず着用」ということに落ち着いた。あとは通学の登下校時は、かならず指定の制服を上下とも着用すること。世間というのは自分の目の届くところはうるさいから、それを守れば学校内は目をつぶろうというところに落ち着いた。
つまり半ズボンならば、上は学校指定のシャツ。ランニングならば下は学校指定のズボン。半裸もしくは全裸は禁止。という感じ。だから男子の私物のスカートも上が制服のシャツならOKだし、制服のスカートなら上は自由だから女子も上はスェットだろうがフリフリのゴージャスなロリータだろうと問題はない。
化粧も「香りがしない」ことを条件に学校内は解禁。こちらも通学の行き帰りはスッピンが条件となっている。香りというのは意外と好みがあるのと化学的過敏症の人に対する配慮らしい。
このおかげで、学校に遅刻するものが減ったという思わぬ効果があった。
なぜなら学校に着いてからメイクをしようと思うと、それなりに早く来ないとだめだからだ。坂道で汗をかくので、学校に着いてからメイクできるというのも女子にとってはポイント高め。もちろん男子でメイクしたいものも同じく。
着替えのための更衣室は、たまたま空いていた「講堂」と呼ばれる古い建物を生徒たちがリフォームするという条件でつくられた。この学校の第一期生、2期生、3期生あたりは、そういうことを学校とうまく取りまとめる力のあるのがいたようだ。しかもリフォーム・ヲタのような親が数人と建築会社の社長の親もそろっていたので、その保護者の指導の下に建材なども安く仕入れて、なかなかきれいな更衣室が出来上がった。
しかしこれで収まると思ったら、学校側や保護者達の想定を上回る格好をする奴が現れた。
学校指定のズボンの上は何もきてない、それでいて半裸とは言えないというロングマントを学校に持ち込んできたのが今の生物部の部長、中里だ。
これでモノクルとシルクハットかぶってたら、アルセーヌルパンか怪人二十面相という古いミステリ好きが喜びそうな姿だ。
まあアルセーヌルパンも怪人二十面相もマントの下にはちゃんとした服を着ていたとおもうが。
一見、暑そうに見える格好だが意外と涼しいらしい。
それに影響されたのかマントではないけど中東の男たちのような白いダブダブした裾の長いスモックのようなのを着てくるやつも出てきた。
ちゃんと下には制服のズボンをはいているので、こちらも文句は言えない。(さすがに制服のシャツを着用して下はスッポンポンという変態はいないようだ。)
それが新山だ。
だから生物部のフィールドワークは変な怪人もどきと、アラブ人もどきかと思えば、さすがにその恰好では植物や昆虫の採集には不向きなので二人ともジャージである。学校指定のジャージで水筒を斜め掛けという高校生男子らしい姿なのが、いつもの二人を見慣れていると違和感がある。
学校外では「あんな格好」をすると世間がうるさくて結局、学校内の自由きままなファッションができなくなる。それでもいいならいいぞ、という半分おどかしのような先生たちの指導もある。
あくまでも、学校内での自由な服装。外に出たら「世間が納得する高校生の恰好」をするというのが、生徒と学校との暗黙の了解。ある意味、いい学校である。だから意外と人気が高くて、なかなか成績優秀な人材も多いが癖も強い。
先生も癖が強いが生徒もどっこいどっこい。
他の「普通の高校」の先生たちからは「島流し」「陸流し」「山流し」などと言われているとかいないとか。
そんな島流し上等、という桜本先生と学校の裏手の山に続く道を進んでいくと「マムシ注意」の看板がある。いかにもいそうな草むらなので説得力があるかと思えば、なにしろ年代物の看板だ、しかも草が伸びてくると埋もれてしまいそうになる。この前はちゃんと見えてたけど、今日は見たような見てないような。いつも見慣れていると、どうでもよくなる。
「先生、ここってホントにマムシがいるんすか?」
新山は、まだ1年生だからよく分かってないので先生に聞く。
「ああ、かまれたら市民病院に血清があるから心配しなくていいぞ。」
「やめてくださいよ、冗談でも笑えないです。」
「いや、冗談じゃなくてホントだ。何年か前に、かまれたやつを連れて行った。」
「マジっすかー、やだなー。俺、先生の後ろあるいていいっすか?」
「いいぞ。2番目歩く奴がかまれやすいんだけどな。」
「あっ、いいっす。やっぱり。俺、先頭いきますっっ。」
「ま、ブーツ履いてるし大丈夫だろうけど、万一、俺がかまれたらよろしく頼むなー、病院までの搬送。」
「え、俺たちで先生を運ぶんすか。あ゛ー、かまれるのは嫌だけど先生を運ぶって、どうやったらいいんだ・・・。」
「先生、一年生をからかうのはやめてください。」
「あはは。からかってるわけじゃないけどなあ。とにかく気をつけてくれよ。看板のある所にいるわけじゃないからな。」
「もー先生ー、やめてくださいよ。歩くの怖いっす。」
「かわいい女の子なら、きゃーって抱き着かれるのも悪くないがな。お前たちじゃあなあ。」
桜本先生も男子生徒相手だから、そんなことを言う。女子が聞いたらセクハラとかエロおやじとかいわれそうだ。
「僕のほうから遠慮しますよ。先生に抱きつくなんて。」
「ま、中里は古武道の師範だからな。」
「え、すごいっすねー、中里部長。」
「新山、古武道ってわかるのか?」
「いやあ、しらないっすけど。師範ってすごいんでしょ?」
「まあなー。試してみるか?」
ちょっと面白そうに中里が新山に聞く。
「いえいえ、遠慮します。っていうか、僕を守ってくださいよ、マムシから。」
「どうしようかなー。」
「え、かわいい後輩のために命を張ってくださいよ。それがセンパイってもんでしょ?」
「悪いが、かわいい女の子以外は守る気がない。」
「ひっでーー。それってパワハラですよ、センパイ。」
「なにがパワハラだ。自分の身ぐらい自分で守れよ。」
「うっわー、そういう決めつけは行けないんですよぉ。世の中には・・・あっっ。」
すっ転ぶ新山。
「お前、足元ちゃんと見て歩けよ。」
「先輩が悪いんです、僕を守ってくれないからっっ。いってぇぇぇ。」
新山のジャージの膝のところが破れて膝小僧から血がでてる。
「うわ、血・・・俺、もぉ死ぬ。」
真っ青になってうずくまったのは新山じゃなくて中里のほうだった。
「ちょぉ、センパイー、師範ってうそでしょ。なんでこんな擦り傷見て死にそうになるんすかー。あー、信じられない。ホント、師範なんすか?」
傷をぺろぺろ舐めている新山に先生が近寄ってきて、持ってたミネラルウォーターで傷をどぼどぼと洗う。
「とりあえず傷は水で洗え。それからこれぬっとけ。」
ぽいっと放り投げたのが小瓶入りのワセリン。
「あとはこれで縛っとけ。新品だから綺麗だ。」
ビニール袋とストッキングで縛って終了。
「先生、これまさか先生が使ったストッキングじゃないっすよね?」
「馬鹿野郎、なんで俺がストッキング履くんだよっっ。」
「いやあ、だって人は見かけによらないって・・・あいたっ。」
先生に頭をはたかれる新山。
「けが人にひどいっすよ、先生ー。」
「お前がくだらないこと言うからだ。」
「へいへい、すみませんでしたー。」
憎まれ口で答える新山。
「しかしお前、なんでここで転んだんだよ。どんくさいな。」
草むらでもなく、普通の砂利道に出たところだった。
「いやあ、なんか引っかかったんすよ。えーと、あの足かな?」
「足ぃ??」
中里と先生が見ると、たしかに砂利道に靴を履いた足らしきものがちらっとみえる。
「おい、救護っっ。」
「いや、俺むり。血が出てたら無理。」
「先輩ー、今度おごってもらいますよ。血ぃみたら死にそうになるって言われたくなかったら。」
中里ができるだけ見ないように目を両手で覆っているのをしり目に先生が新山と二人で、倒れている人に近づく。
「せ、先生、死んでたらどうします?」
「そりゃあ警察にいうしかなかろう?」
「そ、そうっすよね。で、事情聴取で第一発見者だからって疑われて犯人にされちゃうんっすよねっっ。」
「お前なあ・・・なんかミステリの読みすぎかテレビの刑事ものの見過ぎだろ。」
「両方とも大好きっす。古畑とか、右京とか、あこがれるっす。」
「わかったわかった。うん、とりあえず生きてるようだぞ。」
「じ、じゃあ、えっと救急車呼びますか?」
「ちょっとまてって。まず意識があるかどうかだな。」
先生が肩をバンバンたたいて耳元で叫ぶ。
「大丈夫ですかー?だ・・・。っ」
「うるっせぇな、おめぇだれだよ。」
倒れてた人がいきなり先生にパンチ食らわせてきた。なかなか身軽に先生が避けたせいで、後ろにいた新山が代わりに殴られてしまったが。
「おっとー、暴行ですよ。いまのちゃんと録画してますからね。出るところに出ましょうか。警察呼びましょうよ、先生。」
さっきまでの青い顔はどこへやら。中里がテキパキと先生に指示を求める。
「なにいってやがる、人をバンバンたたいて耳元で大声出しやがって。暴行って言うなら、そっちだろうが。」
「ふむ、一理ある。」
「なに納得してるんすか、センパイー。俺、殴られ損?」
先生を殴るつもりが、先生の後ろからのぞき込もうとしてた新山に当たったからか、そんなに威力はなかったらしい。顔に当たったわけでも無くて首筋から肩のあたりをかすったか当たったかって感じだったようだ。
「とにかく、こんなところで寝てると風邪ひきますよ。ここって水がわく場所だし。」
「え、水が湧くって井戸?」
変なところで反応する新山。
「そうじゃなくてだなー、あ、あそこに水たまりあるだろ。あそこのそばで、どんどんって感じで飛び跳ねろ。ちがう、ぴょんぴょんじゃなくて、どんどんっていってるだろ。新山」
「あ、なんか水たまりがぼこぼこ言ってますー。」
「水が下から湧いてるんだ。わかったか。」
「あー、分かったかといわれるとわからないけど、面白いです。」
「まあいいや、わからなくても。ここはなー、面白い場所なんだってわかってくれれば。」
中里が正体不明な男を何気にけん制しつつ、見張っていたが先生と新山のほうに気を取られているうちに、男はいなくなっていた。
新山は相変わらず水たまりのそばで、どんどんやってボコボコでてくる水を面白そうに飽きずに眺めてる。
「そろそろ行くぞー、フィールドワーク。」
「え、まだ行くんですか。あ、膝にまいてたビニールとストッキングがおちちゃったっす。ちょっと待ってくださいよ、まきなおさなくっちゃ。あー肩がっ、あたたた・・・。」
あちこち痛いと騒ぐ新山だが、桜本先生も中里も知らん顔。
「この先がフィールドワークの本番だ。ハッチョウトンボ、見るんじゃないのか?」
「あ、そうだった。ハッチョウトンボっっ見たいっす。あ、でもさっきの男は?」
「逃げた。」
「なにやってるんすかー、不審者逃がしちゃだめでしょう。ホントに武道の師範なんすかー?」
「うるさいな。フィールドワークの邪魔だろ。あんなのがいたら。」
「ま、あいつの素性はわかってるしな。」
にやっと笑った先生の手にはカードケースやスマホがあった。
「え、先生ー。それ不審者からかっぱらったんすか?」
「人聞き悪いこと言うなよ、拾ったんだよ。落ちてたからなあ。あとで警察に届けてやるさ。」
「だいたい、あんなところで寝てるなんて怪しさ満点ですしね。」
「ああ、まっとうなやつじゃなさそうだ。」
スマホを起動させて桜本先生と中里は中身を見ているらしい。
「先生ー、そういうのいいんですか?個人情報とかさー。」
「これはだな、落とし主を探すためにやってるんだ。警察に行ったときに探してもらいやすいようにだなあ・・・」
「またまたーそんなこと言っちゃって。プライバシーの侵害っすよぉ。」
「新山、ちょっと黙ってろよ。」
「はいはい、中里師範ー。」
おちゃらけている新山と対照的に先生は急に顔つきが真剣になった。
「これは・・・うーーん。中里、新山、今日のフィールドワークは中止だ。学校に帰れ。」
「ええー、せっかくハッチョウトンボがみれるっていうから来たんですよー。」
「とにかく今日は学校にいったん戻ってくれ。」
「先生は?」
「ちょっと用を思い出した。」
「じゃあ、そのスマホやカードケースは僕たちが警察に持って行きましょうか。」
「いや、中里。警察には俺が持って行くから。面倒なことになりそうだから、お前たちはかかわってないことにした方がいい。」
「なんすか、その下手なサスペンスドラマみたいなセリフ。」
「いいから、さっさと学校に戻れ。」
「わかりました。新山、いくぞ。」
「ええーセンパイー、師範ーー、ハッチョウトンボはー?うぐっ。」
あて身を食らって崩れ落ちる新山。
「先生、気をつけてくださいよ。それ、どうもヤバそうですよね。」
「ああ、それにこの前のサギソウ事件もかかわっていそうだ。」
「SNSで発信されて自生地から根こそぎ盗られてしまったサギソウですか。」
「珍しい植物は高値で売れるからなあ。」
「なるほど、売人というか窃盗犯というか。とりあえずデータを採れるだけとっておきます。こちらにもバックアップしておきますね。」
テキパキとフィールドワーク用の記録機材にスマホのデータをコピーする中里。
「ほかに仲間がいるかもしれませんから、気をつけてください。」
「そうだな。ちょっと見回って来るだけだから危険はないと思うが、もし30分して連絡しなかったら警察に通報してくれるか。」
「わかりました。」
桜本先生と中里が話しているうちに新山が起き上がってきた。
「うーん、センパイー僕を置いていかないでくださいよぉ。学校まで担いでいってくださいよぉ。」
「甘ったれるな。」
そういいつつ、肩を貸してやる中里。
「それじゃ、お前たちも気をつけろよ。」
「大丈夫っす。センパイが僕を守ってくれ・・・ぐふっ」
再びあて身を食らう新山。
その日は、そのあと特に変わったことは起きなかった。
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