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「君はこの椅子に座るために椅子取りゲームをしに来たのだろう。ゲームなぞしなくともこんなもの譲ってやろうと言ってやりたいのだが、この命と共に奪いとってくれなくては困るのだ」
彼は政治的な駆け引きも、ゲームだとこともなげに言い放つ。
子供の頃に興じた遊び。音楽が止まった瞬間に参加者は椅子を奪い合う。椅子の数は参加者より少ない。椅子の数は減り続け、最後には一つになる。私はこのゲームが嫌いだった。必ず誰かがあぶれ、多数の敗者が発生するゲーム。そもそもゲームの目的が分からない。座れそうな椅子に座ろうとして、誰かに押しのけられて転んだ。泣きながら先生にゲームの意味を問うた。ルールを守って遊ぶことと、勝敗のつくゲームに慣れるためだと言った。私にはそれが理解できなかった。誰かを押しのけてまで椅子に座りたいと思ったことはない。その教室で勝っていたのは、常に体の大きな男子生徒だった。
どれほどそのゲームを嫌っていても、大人になった今も、その遊戯から逃れられない。先生の言うことは絶対。音楽は時流。音楽が止まるのを見計らって、椅子に座ることが義務付けられている。今回のゲームは権力者が座る椅子。数はひとつ。大人にあってはルールなどない、問答無用で奪うのみ。
もっとも私は無理矢理座らされるにすぎない。座らなければ妻子の命が危うい。全てをお膳立てされ、拒んでも無理矢理肩を掴まれ、その椅子に座らされる。そしていつの日か、銃口を突きつけられ、椅子を奪われることが決定している。
私にとってこの椅子は処刑台のようなものだ。首を吊るための、踏み台と変わらない。
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