第六章 春を告げる花

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 里長の館は、神垣の中の小さな神垣のように、塀に囲まれている。人々が辺りを逃げ惑うのなどまるで別の世界のことのように、門を堅く閉ざしていた。まわりを兵が固めて、里長の館と、凍つる桜への道を守っている。 「門を開けて」  塀の上から矢をつがえて雪人たちを狙う兵に、咲織の姫は静かに言った。  頭からかぶっていた領布を取り払う。黒い髪が風に流れた。  毛皮の下には白い衣装を纏っている。それは身の清さをしめすもの。色とりどりの糸で折られた襷と帯は、結界を示すもの。  ひとつき、人々の前に姿をみせることのなかった巫女姫の帰還に、兵たちは息をのんだ。慌てて門を開ける。 「怪我人を中へ入れてください。逃げてくる人たちを受け入れて」  確固とした声に、兵たちは逆らう理由もない。咲織の姫に従ってきていた人々を、次々に里長の館へ迎え入れる。塀の中の宮から、巫女たちが駆けてきて、人々の手助けをする。  すぐそこに、神喰たちが迫っている。兵たちは門を閉めて守るのをやめ、人々を迎え入れるために討って出た。  入れ違いのように咲織の姫は、まっすぐに鎮守の森へ向かう。 ※  馬がいなないて、前足を蹴りあげる。鎮守の森へ駆けこんだ三騎のうち、ふたりが馬から振り落とされ、神垣の兵が取り押さえた。松明は雪の上に落ち、馬は怯え、外へ駆けだして行く。  額に印のある神喰の王は、それでも手綱を繰り、馬上にあった。怯えて興奮する馬をなだめ、腰の剣を抜いた。 「人を罰するものにすがるなど」  都波を憤怒の顔で見下ろした。  とっさに颯矢太が都波を後ろに突き飛ばした。倒れ込んだ都波の前で、颯矢太の手の剣が受け止める。馬上からの力任せの一撃は重く、剣が下がった。再び、神喰の王が剣を振り上げる。  ひょうと空気を裂く音がして、神喰の王の肩がガクンと下がる。矢が突き刺さっていた。  駆けながら、満秀が立て続けに矢をつがえる。 「お前だけは、絶対に許さない」  再び放たれた矢は、鉄の剣に弾き飛ばされた。神喰を追ってきた兵たちが駆けこんでくる。多勢に無勢の事態に、神喰の王は手綱を繰り、馬が前足を蹴りあげる。  少数で駆けこんできて、素早く目的を果たすつもりだったのだろう。凍つる桜が焼かれていたなら、どうなったか分からない。だが失敗した。
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