朱に交われば

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 森の奥にひっそりとたたずむ(やかた)があった。  魔術の研究をする男が一人、弟子の少年を連れて引きこもっている。少年は真朱(しんしゅ)と呼ばれ、館の主人の身の回りをあれこれしていた。  掃除、洗濯、散らかった図面を束ねたり、食糧の買い出し……に行っている間は主人が一人になってしまうので、真朱は自分の影に午後のお茶の用意などを言いつけて外へ出かけるのだった。  満月の白くかがやく夜、真朱は自室で寝間着へと着替えているところだった。  あてがわれた部屋は身分に対して少し広い場所であったが、館の住人が少ないので、遠くの海がかすかに見える場所をゆるされた。  夜になっても、窓のカーテンはすっかり開け放たれていた。寝台に白い光が差し込んでいる。シーツがわずかに(だいだい)色に染まっているのは、近くのテーブルに置かれたランプの灯りを受けているからだ。  真朱のゆるい赤毛も、暗い部屋の中で照らされると、いっそう赤みを帯びて見えた。  コンコン  上衣(うわぎ)のボタンをしめたところで部屋のドアがノックされる。真朱は背を向けたまま「どうぞ」と訪問者をうながした。満月にやって来るのは師匠ではない。  ほどなくして、ぶつぶつ文句を言いながら一人の少年が顔をのぞかせた。 「まったく。両手がふさがってるんだから、開けてくれたっていいだろう」 「何も言わなかったくせに」 「性悪め」  口をとがらせて部屋にすべりこんできたのは、真朱の(コピー)である。名を銀朱(ぎんしゅ)という。その手に何やら(にぎ)りしめて、どうにかドアノブを回したらしい。真朱の赤い髪から色素が抜けたような、砂色の毛をしていた。 「あ。真朱ったら、なんで服を着てるんだよ。二度手間じゃないか」 「お前は脱がせるのが好きなんだろうと思って」 「よけいなおせっかいだね。僕は君とちがって清潔な心をしてるんだ」 「俺の二番(せん)じがよく言うよ」  真朱と同じ白の寝間着を身に付けている銀朱は、かちんときて手に持っていた道具をテーブルの上へ乱暴に置いた。自分を造る元となった(オリジナル)の少年へ指を突きつける。 「いいか、真朱。僕は君とは同じにならない」 「ふん。俺の魔力を分けてやらなきゃ、お前は明日にはただの人形に戻っちまうんだぜ。どうしたって『俺』に似てくるのは道理だろ」 「どうかな。君と違う本を読んで、君と違う景色を見る。僕は僕の道を行くんだ」 「お好きにどうぞ」  真朱はつまらない会話に目をそむけて、寝台に上がった。月を背に、座って脚をのばした。 「銀朱」 「うん」  砂色の髪をした少年は、テーブルのランプを消した。とたんに部屋から暖かな明かりが忍び去る。続いて彼は一本の筆とインク(びん)を手にとって寝台へ向かった。  銀朱が持ってきた道具は、絵具を塗るための筆に見えるが、(じく)が太く、穂先も大きい。大作用だ。 もうひとつ。インク瓶には絵具が入っているのだろうか、月の光に反射して、(ほむら)(あか)、深遠の(あお)へ色相が()らぐ。瓶を振ると細かく(くだ)いた硝子(がらす)の粒子のようなものが流れ、星の明滅を想像させた。  青白い光を浴びながら、真朱と銀朱は寝台の上で向き合って座った。真朱の伸ばした脚の間であぐらをかいた銀朱は、いったん道具をわきへ置くと、さっそく真朱の服に手をかける。めんどくさそうにしかめっ面をして。 「ちぇ、自分で脱げ」 「目がきらきらしてるぜ」  そんなことはない、と断じて、銀朱は荒い手つきで真朱の白い上衣を()ぎ取ってしまった。しなやかな身体があらわになり、銀朱も自分の服のボタンを外しにかかった。  銀朱の体は、人間の姿を維持するための魔力が薄くなっていて、本来の形である関節人形へと戻ろうとしていた。肩関節の(つな)ぎ目がうっすらと見えている。  (オリジナル)の身体がまぶしくて、髪の色がくすんでいる少年は元気なくうつむいた。 「僕のからだ、変じゃない?」 「人形は一級の芸術品を選んだんだぜ。今は中途半端ななりをしてるから不安になってるだけだ。銀朱はじゅうぶん綺麗だよ」 「造られた美しさだよ」 「これから自分の美を見つけていくんだろ」  真朱はうなだれる少年の砂色の髪をそっと撫でてやった。銀朱の硝子の眼がこちらを向き、真朱の顔が映りこんだ。どちらからともなく唇が触れる。  ふう、と短く息を吐いて、銀朱はインク瓶の(ふた)をきゅっと外した。新品の真白い筆を静かに差し込む。あっという間に穂先は色を変え、魔力の込められた液体を吸い上げた。 「それじゃ、真朱、覚悟しろよ」 「はいはい」  真朱は脚を投げ出して両手を後ろにつき、上半身を銀朱の前に(さら)しだした。  銀朱は大きな筆を慎重に近づけて、なめらかなキャンバスへ最初の一筆を置いた。  紫紺の線が縦に一本、心臓を中心にてのひらひとつ分。  そこから先は二人とも魔術師のたまごの顔になり、無言で作業に専念した。  真朱の上半身に描き出される呪文と図案は、彼がくすぐったそうに身をよじるたびに七色に変わって見えた。  それをよしとした銀朱は瓶の(ふち)で穂先を(とが)らせると、真朱の首の下でこちらを見つめる目のような突起をツンツンとつついてやった。  真朱は思わず小さな息をもらし、動いてはならない体をもてあそばれながら、己の影をにらみつけた。 「よせ、って」 「おっと」  (すき)をみて真朱は片手で銀朱の胸を突き飛ばす。瓶の中身がこぼれないようにうまくバランスをとりながら、銀朱はにやりと笑って体勢を立て直した。  その後も銀朱のいたずらがときおり炸裂(さくれつ)して、真朱とお互いに牽制(けんせい)し合いながら真剣な魔術の時間を過ごしていくのだった。夜空の満月は子供じみた二人をあきれたように(なが)めている。  やがて真朱の上半身には、魔術師見習いの手によって、少々(つたな)いながらも難易度の高いまじないが展開された。 少年の心臓から生える世界樹は豊かに育ち、魔術の言の葉が生い茂る。その下で竜が炎を吐き、尾は太い(みき)(から)みついて威勢を(ほこ)っていた。  一連の術式を描き終えると、銀朱は満足そうにうなずいて瓶の蓋を閉め、筆と一緒に足元のシーツへ転がした。筆に残った魔力の液体が点々と散る。月の光に反射して仄白(ほのじろ)く桜色になった。 「この竜、あまりかわいくないな」 「真朱はいちいち文句ばっかり。自分で描けばいいんだ」 「次は目から光線が出るといいな」 「聞けよ」  片手でビシッと真朱のこめかみをぶつ真似をして、銀朱はため息をついた。  顔を上げた真朱は軽く鼻で笑うと、すぐに真顔になって、銀朱を見た。  魔術は続く。  少年二人が声をそろえて(おごそ)かな言葉を(つむ)ぐと、真朱の術式はわずかに発光した。  魔術の液に含まれる細かな光の粒子がさらさらと流れ、(そら)の銀河のようにきらめいていく。 「今回もうまくいったね」 「もう師匠の手をかりなくても、俺たちだけで銀朱の生命維持ができそうだな」 「真朱の身体、ほんとに星空みたいだ」 「銀朱、おいで」  真朱が両手を差し出して、抱きついてくる銀朱を受け止めた。  ぴったりと肌を密着させて、描いたばかりの魔術式が銀朱の体に重なる。素焼きの人形に戻りかけている体はかすかに冷たい。腕も思うように動かなかった。  (オリジナル)のまじないが(コピー)の身体へと転写され、二人は月の光の下で折り重なった。 「もういいかい」 「まだだよ」  抱き合ってまだ数分で()きた銀朱は、真朱の首に顔を()めながらたずねてくる。  真朱は唯一自由になる両腕で銀朱の背中を()でてやりながら、人形の身体が少しずつやわらかくなっていくのを感じていた。砂色の髪も、真朱の赤毛で染めたように、少しずつ朱が交じる。銀朱の髪は橙色に近い赤だ。  真朱の魔力が流れ、人形の乾いた唇にうるおいが宿ったところで、真朱は銀朱の顔を引き寄せて唇を合わせた。身体も温かくなっており、心地好(ここちよ)いぬくもりが眠りを誘う。 「そういえば銀朱、あっちはまだなんだっけ」 「あっち?」 「そろそろ師匠に言ってみようか。こんなめんどくさい手続きをしなくても、直接魔力を送り込んでやれる」  理解しない銀朱の(つや)やかな黒い瞳が「?」を(うった)えている。真朱は笑って(こた)えてやるだけで、再び己の影を抱きしめた。  満月が遠くの海に沈んでしまうまで、二人は蒼白い静寂の中で寄り添っていた。やがて東の空がばら色に明るくなる頃、一番鶏(いちばんどり)の鳴き声を聞きながら、少年たちは毛布にくるまってまじないの成功を喜び、小さくささやき交わすのだ。
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