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開演30分前になり、入場が始まった。
何もしなくても目立つ、兆と清太郎が受付を始めると、彼らに初めて接した女子たちがざわついた。
「バンドのボーカルがイケメンって噂で来たけど、受付の彼ら、どちらもかなりのイケメン!」「右は爽やかスポーツマン。左は知的な文学青年って感じ」
言われ慣れている二人は、耳に届いていても平然として、聞こえていないふりをする。
「チケットを預かります」
「どうぞこちらへ」
「はい!」「お願いします!」
兆と清太郎は、各々に渡されたチケットをもぎると、半券を本人に戻して、もう半券を箱に入れた。
女子たちは、顔を赤らめてキャッキャッと喜びを声にして、大事そうに受け取る。
「この半券、永久保存だわ」「笑顔もいいし、澄ました顔もいい」「帰りも会えるかな」
完全に目的を忘れている。
次に家族連れが集団でやってきた。
大量のチケットを我先にと差し出すので、てんやわんやとなった。
その中の一人が、二人に質問した。
「兄ちゃん、エミちゃんが歌うのは、ここかい?」
正式発表を控える中、名指しで聞かれた兆と清太郎は戸惑った。
「ええ、そうですが……」
「おお、ありがとよ。みんな、エミちゃんが歌うってさ」
「だから来たんでしょ。お父さん、大きな声で恥ずかしい」
兆と清太郎の視線を気にする、娘らしき小学生に注意されたが、男性はめげていない。
「質問しただけで、どこが悪いんだ」
ワイワイガヤガヤと、騒がしく入っていった。
「商店街の関係者? いろんな人たちにチケットを配布したようだな」
「エミは顔が広い」
二人で感心していると、エミの父がやってきた。
「やあ、兆君と清太郎君」
「あ、おじさん」
「来てくれると、信じていました」
「エミの晴れ舞台だからな。子供の頃に、ピアノやボイストレーニングの発表会があったけど、仕事で一度も応援にいけたことがなかった。エミに淋しい思いをさせてきたこと、ずっと後悔していたが、今日は来られて本当に良かった。教えてくれたのは昨夜だったけど、万障繰り合わせて駆けつけたよ。エミに頼られたのも嬉しかったし、罪滅ぼしじゃないが、チケット配布にも協力出来た。全部みんなのお陰だ」
「そうだったんですか」
「きっと、喜びますよ」
「そうだといいが。あ、これ、チケット」
兆は、父のチケットを受け取ると、もぎって半券を戻した。
「楽しんできてください」
「ありがとう。君たちも、受付ご苦労様」
二人の労をねぎらった父は、半券を握り締めて中へ入っていった。
「良かったな」
「ああ」
人にはいろんな想いがあるものだと、二人は考えさせられた。
「エミがボイストレーニングとピアノを習っていたという、新しい情報をゲットしたな」
「どうりで、声が出ているはずだ」
「ピアノが弾けるってことは、キーボードを演奏できるってことじゃないか?」
「そうなる。ザ・フローイングクラウドは、キーボードがいない。エミがやればちょうどいいかも」
開演時間が迫って、客足が途絶える。
「もう来ないかな」
「そうだな。枚数を数えておこうか」
箱に乱雑に入れたチケットの半券を数えた。
「48枚だ」
「普段、どれくらいの人数が来るのか知らないが、ファンにボイコットされた割には集まった方じゃないか?」
清太郎は、あることに気づいて、受付に並んで座る兆に前を向いたまま言った。
「なあ、兆。一つ、気づいたんだが……」
「なんだ? 清太郎」
「このまま受付をするってことは、エミのライブを見られないということじゃないか。エミの歌、聞きたかったんだが」
「そうだ! これは気付かなかった。迂闊だったな! ハッハッハ!」
「魁にしてやられた」
「まあまあ、そんなに怒るな。次の機会に聴かせてもらおう」
「今日という日は、一度しかない。エミの今日の歌も二度と聞けないんだぞ」
「それはしょうがない。僕たちには、ライブを妨害するファンが来たら防御するという、大事な使命があるんだから」
「お前、問題あるファンが来るのを、実は楽しみにしていないか?」
「楽しみにはしていないが、来るような気がする。僕だって、エミの歌を聞けないことは残念だ」
兆は、ファンの暴走行為を警戒していて、受付から離れるつもりが一切なかった。
中では舞台準備が整い、メンバーは開演時間まで待機している。
「入りはどうだ?」
魁たちは、カーテンの影から客の入りを観察した。
薄暗い中、軽いざわめきが聴こえてくる。
「思ったより、集まっている」
「何とか形になりそうだ」
席が半分ほど埋まっている様子を見て、一同ホッと胸をなでおろす。
一緒に覗いた私は、知っている顔を大勢見つけて緊張した。
客席を埋めているのは、商店街の人たちがほとんどで、店主にご家族、はては従業員たちまでが、自分の歌を聞こうと来てくれている。
そこに父がやってきて、一人一人に深々と頭を下げて丁寧にお礼している姿を見て、胸が締め付けられた。
「お父さん……。私のために……、あんなに頭を下げて……」
父は、きっといつも見えないところで、私のために頭を下げてきたのだろう。
絶対に失敗できない。
そして、自分の加入を反対する人がいたからチケットが余ってしまった真実を、父だけには知られたくない。
その二つで頭が一杯になり、クラクラしてきた。
「1分前だ。各自、持ち場に。エミは、俺の合図までここで待機」
「はい」
暗闇の中、魁たちが静かに舞台上に出て行って、自分の持ち場に着く。それをカーテンの影から見守った。
ライトが光り、カーテンが上がると、客席から歓声と拍手が沸き起こって彼らを迎えた。その瞬間、体が痺れた。
演奏が始まると、一層客席側が盛り上がる。
「このあと、私がソロで歌うの?」
生のライブを見た私は、責任の重さを実感して打ち震えた。
「やっぱり、やるんじゃなかった……」
どんなにやめたくても、とっくに賽は投げられていて、今更後戻りなどできない。
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