4 ライブ編

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「助けて……、福猫……」  自然と、その名が口から飛び出る。  しかし、いつものニマッと笑った顔はどこにも現れない。  今朝の感じだと、来ているはずなのに。 「福猫、どこかに隠れて見ているんでしょ? 出てきてよ!」  ポンッと、目の前に現れた。 「やれやれ、手の掛かる子だね」 「やっぱりいた」  空中に浮いたまま、四つ足を折り曲げて丸まるその姿は、猫そのもの。 「お願い、どうにかして。このままじゃ、私、歌えない」 「たくさん練習したんだろ。ありのままに歌えばいいのさ。変に恰好つけようとか考えない。平静を失わなければ、必ず歌えるよ」 「そんなつもりはないんだけど……」  心のどこかで、いい恰好しようと思っていたのだろうか。  絶対ない! とは、言い切れない。  小さいころから可愛がってくれた商店街のみんなの前で、初めて歌うのだ。  父に恥を掻かせてはいけないと考えれば考えるほど、歌詞を忘れたらどうしようとか、音程が外れたらどうしようとか、緊張してしまう。  青ざめたままの私を福猫が見かねた。 「しょうがないねえ。どれ、緊張が和らぐ指圧をやるから、手をお出し」 「こう?」  両手を前に出すと、福猫がクリームパンのような前足で、手首と手のひらの間をフミフミと押してくれた。  それがあまりに可愛いらしくて、思わず「プッ」と、吹き出した。 「どうだい? 落ち着いたかい?」 「ええ。すごくリラックスできた」  指圧と福猫のクリームパンが相まって、驚くほど肩の力が抜けて落ち着いた。 「ありがとう。もう怖くない」  自分の足でしっかり立った私は、マイクを握り締め、舞台袖で呼ばれるのを待つ。  魁が、「今日は嬉しい報告がみんなにある。ザ・フローイングクラウドに新メンバーが加入することになった。紹介しよう。エミ!」と、舞台上から私の名を呼んだので出て行った。 「ワー!」  大きな歓声が場内に響き、人々の動きが大きな波のように揺らいだ。 「待ってました!」 「エミちゃん!」  さっきまでの恥ずかしさはどこかに消え、自分でも驚くほど落ち着いて口上を述べられた。 「私のデビュー曲になります。赤いキャンドル。聞いてください」  それまでの激しいロックから一転、しっとりしたイントロが流れた途端、客席が恐ろしいほど静かになった。 「赤いキャンドル 灯火が揺れる~」  大勢の前で、切ない歌を堂々と歌い上げた。  中が一番盛り上がっている頃、外では兆と清太郎が受付を続けていた。 「なあ、兆。もし本当に来たら、どうやって止める? 制止といっても、体に触れられない。脅すわけにもいかない」 「相手が男なら、拳一発で済むのにな」  兆は、シュッシュとシャドーボクシングの真似事をした。 「暴力は絶対にダメだ! エミと魁たちに迷惑が掛かかる」 「じゃあ、どうやる?」 「説得しかないな」 「説得だって? ハッ! そんなことが出来ると信じているなんて、清太郎はおめでたいな」  兆は、鼻で笑った。 「そこまで言うか? 同じ人間。話せば分かるはずだ」 「予言しよう。あいつらに言葉は通じない」  清太郎は、驚いた。 「同じ学校の生徒だぞ。言葉が通じない訳ないだろ」 「あいつらは、理屈じゃなくて感情で動いている。だから、説得なんて無駄だ。こちらの話を聞いて、大人しく引き下がることは絶対にない」 「じゃあ、どうすればいいんだ」 「だから、ちょっと脅してやればいいんだよ。逃げかえるだろ」 「ダメだ。そんなことをしては、あとで騒ぎになる。やはり、説得しかない」 「それで引き下がるようなら、初めからこんな騒ぎなんて起こしていないだろ」  意見が真っ向から対立した。  福猫は、前足をなめて顔を洗う仕草をしつつ、背後で二人の言い合いを眺めている。 「ホホン……。人間とは、面倒な生き物だのう。おや? やってきたようだね」  いち早く、近づく脅威に気づく。  次に気づいたのは、兆だった。  兆は、清太郎と話しながらも常に警戒を怠らず、遠くから近寄る人影を見定めていた。  そこで、硬い表情の女子集団がやってくるのが見えた。例のファンたちだ。 「清太郎、ついに来たぞ!」  兆の声に、清太郎も目を凝らす。 「あれ、そうだ。ついに来てしまった」  グダグダ喋っていたから、まだ方針が定まっていない。 「どうする? 兆……」  隣の兆が、突然苦しそうに自分の顔を手で掴んでいる。 「ウウ……」  顔をゆがめて唸っているので、清太郎は心配になった。 「どうした、兆。体調でも悪くなったか?」 「違う……」 「変だぞ」 「やべえ……、やべえよ……、興奮してきた……」 「こんな時に?」 「こんな時だからだ」  手を離した兆の顔つきが、別人に変わっている。 「たまんねえ……」  興奮を抑えきれず、身もだえている。  つい先ほど、爽やかスポーツマンと言われた男とは思えぬ変貌ぶり。  これでは、暴走ファンを止める前に、こっちを止めなければならないんじゃないかと、清太郎は危惧する。 「くれぐれも、手荒な真似はするなよ。あと、その興奮を悟られるな。俺まで同類に思われたくない」 「分かっているって」  本当に分かっているのかどうか、怪しいものだ。
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