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5 同居編
「フアア……」
寝ぼけまなこでダイニングキッチンに行くと、浜津梨乃と父が並んで朝食準備中だった。
「おはよう、エミ」
「おはよう、エミちゃん」
「おはよう。ようやくお目覚め?」
美乃もいて、テーブルにフォークとコップを並べている。
「おはよう……」
我が家の声が増えた。
そう……。ついに、浜津母娘との同居生活が始まったのだ。
父が再婚したいと打ち明けてから早3か月。着々と同居話は進み、バンド練習に明け暮れていた私には事後報告だけであった。
美乃からなんとなく教えられていたから、さほどショックを受けずに済んだが、普通ならグレても良さそうな状況である。
しかも、目の前で父がよその女とイチャイチャする姿など、娘の立場から見て嬉しいはずはない。そんなことも分からない人たちだ。
美乃がどう感じているかもよく分からないが、表層的には父と笑顔で会話を交わし、早く打ち解けようと努力する様子が見て取れる。
――と、意地悪な目つきで不機嫌そうに見ている私がいても、「この子はいつもこうだから、気にしなくていい」とでも父から説明済みなのか、全く相手にされていない。
「エミちゃん、お手伝いしてもらえる?」
早く仲良くなりたいのか、梨乃が私に仕事を振ってきた。悪い人ではないのだ。だから反対もできない。
「何すればいいですか?」
「卵を8個、溶いてくれると助かるんだけど」
私は、無言で冷蔵庫から卵を取り出すと、ボウルに割って入れた。
美乃は、「私はサラダを用意するね」と言い、父が、「それなら、このザルを使って」と、手渡しする。娘より娘らしいやりとり。
「大勢いると、朝からにぎやかで楽しいな」
父がお互いに協力して準備する様子を嬉しそうに見ている。アホなのか?
私が心から賛成していないのは、すぐにでも分かるはずなのに。
福猫までが呑気に笑って言った。
「やっぱり家族は多い方がいいね」
言いたいことは山ほどあるが、私以外に福猫の姿が見えていない今では、何もアクションできない。
「ニャー」
マリーが自分のご飯を催促にやってきたので、抱き上げる。
「お腹が空いたね。今、用意するからね」
「ミャー」
アクリルケースに入っているカリカリを決められた分量だけ器に入れると、マリーの前に置いた。飛びついて一心不乱に食べるマリーの姿を見ていると、ささくれ立った心が癒される。今の私にとって、マリーだけが心を許せる唯一の家族だと思っている。
「できたわよ」
四人で席に着く。
メインの卵焼きを梨乃が、野菜スープを父が、サラダを美乃が用意した。
私は、紅茶を淹れた。
「いただきます」
サラダを食べて、野菜スープを飲み、卵焼きを口に入れた私は、あまりの不味さに吐き出しそうになった。
(ま、不味い!)
食べ慣れていないからというレベルではなく、誰が食べても、たぶん同じ感想を持つに違いないと自信を持って言える不味さ。
料理上手な父の手料理で、今まで不味かったものはない。
だから、世の中にこんなに不味い卵焼きがあることに、まずビックリした。
次に、作った本人である梨乃も美乃も、何も言わないで食べていることにビックリし、父までが黙々と食べていることにビックリした。
ただし、父の顔からさっきまであった笑みが完全に消えているので、絶対に私と同じことを考えているに違いない。
「じゃ、出かけてきますから」
「ああ、いってらっしゃい」
朝食が終わると、梨乃は自分の店に出掛けて行った。
開店まであと数日に迫り、搬入やら、バイトの面接やらで、朝から夜まで大忙しらしい。
「私も手伝ってくる」
美乃も続けて出て行った。
二人きりになると、梨乃の料理の感想を父に聞いた。
「ねえ、梨乃さんの料理だけど、どう思った?」
「彼女、味音痴だと思う」
父は、残念そうに、しかし、きっぱりと言った。
「知っていたの?」
「さんざん、カフェメニューを試食してきたからな。こうなることは予想できた。料理が嫌いで苦手なんだろう」
「それで飲食店を開業しようっていうの? 無謀じゃない?」
梨乃は料理が嫌いで苦手。
彼女の離婚理由を聞いていないが、性格ならぬ味覚の不一致だったりしてと意地悪く考える。
「最初は凝ったソースを作ろうと試作を繰り返したが、最近は簡単メニューにしようと考えているみたいだ」
「簡単すぎると、客がやってこなくなるんじゃない?」
自分で作れて、そちらの方が美味しいなら、二度とこない。
家庭で食べられないからこそ、外食する意義があるというもの。
父のオムライスは、フワフワの卵焼きと、一晩寝かせたチキンライスの旨味で、一度食べると病みつきになる。だから常連が付き、口コミで広がる。他人が美味しそうに食べていれば、次は自分も食べてみようと思う。
「いずれ、自家製を諦めて、業務用冷食を使いそうね」
「むしろ、そっちの方が、味がブレなくていいかもしれないな」
味を改善するより、もっと前の段階で梨乃の舌に問題があって、アドバイスでどうにかなるものじゃない。試食で首を傾げていた父は、すでに見切りをつけている。
「美乃ちゃんがエディブルフラワーを提案したらしい。見た目が華やかなディッシュになるから、客の目を引くと言っていたよ」
「あれ、私のアイデアなの」
本気で取り入れるつもりなら、考えた甲斐があったというもの。
近くにいた福猫がニマッと笑う。ヒントを与えたのは自分だというアピールだ。
私は、マリーを引き寄せると頭を撫でて、「協力、ありがとう」と、福猫に聴こえるように言った。
「え?」
父が自分に言われたのかと問い返す。
「マリーに言ったのよ。いい子でいてくれたから」
「ああ、そうか」
「エディブルフラワーを使えば、洗って乗せるだけで料理のグレードが数段上がる。梨乃さんにはピッタリかもね」
ここまでどうにもならないレベルの料理とは考えてもみなかったから、エディブルフラワーが想像以上に役立ちそうだ。
それより心配なのが、これから先、あの料理を食べることになることだ。梨乃がいい人だとしても、毎日のことだから深刻な問題である。
「お店のメニューはともかく、家庭料理があの味でいいの?」
「うーん。最悪、父さんが作る。エミには迷惑を掛けないよ」
甘い。どこまで甘いのか。
「本当にそれでいいの?」
「あとは、慣れるしかないかなあ……」
「甘い!」
手に負えないほど、父は梨乃にベタ惚れだった。
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