5 同居編

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 夕方になると、美乃だけが帰ってきた。 「ただいま」 「おかえり」  誰かを家で迎えることが、とても新鮮に感じる。  帰ってきた美乃は、出て行った時より若干元気がない。黙ってエプロンを着けて、暗い表情で店の手伝いを始めた。  何かあったのかと気になって顔色を窺っていると、福猫に「腹を探るなら、単刀直入に聞きなさい」と叱られた。 「分かったわよ。うるさいなあ」  文句を言ってはみたが、福猫が背中を押してくれるから私は動ける。  店のテーブルを拭いている美乃に近づいた。 「ねえ、元気がないようだけど、向こうで何かあったの?」 「うん」  否定するかと思ったが、あっさりと認めた。 「教えてよ」 「……エミ」 「何? なんでも言って」 「私たち、家族になるんだよね」  美乃が真剣な顔で重たい話をぶつけてくる。 「それがどうしたの?」 「だったら、隠し事は、なし、だよね」 「そうね。家族ならね」  今はまだ、私たちとあなたたちは家族ではない、との思いが心の片隅にある。でもそれをハッキリぶつけてしまうと、美乃たちだけでなく、父まで傷つけて悲しませてしまう気がして、私は曖昧に答える。 「正直にならなきゃだめだよね。内緒話なんて、しない方がいいよね」 「え……」  美乃が含みのある言い方をした。  彼女は、何かについて語っているような感じがする。  今朝の父との会話。あの内容を知っていて、文句を言いたいのだろうか?  そうだとしたら、どうやって知ったというのだろう。  家族になる予定の人間をそこまで疑いたくないが、この家に盗聴器でも仕込んだとでもいうのか?  それとも、父が知らぬ間にペラペラと喋ったのだろうか? それだったとしたら、考えなし過ぎる。  だけど、それならそれで構わない。  丁度良い機会だ。梨乃の料理について、徹底的に議論してもいいだろう。  場合によっては、開店を見合わせるとか、別の業種にするとか、そこまで方向性を変えてもいいと思う。 「何か言いたいの? ハッキリ言ってよ。私たち、家族になるんでしょ? 隠し事はしないんでしょ?」  覚悟を決めた私の問い方が自然ときつめになる。  美乃が困った顔になった。 「言っても、怒らない?」 「私が怒る?」  それなら、梨乃の料理の腕前についてではなさそうだ。 「何の話?」 「エミに関わること。言っていいのかどうか……」  歯切れが悪い。 「聞いてみないと、いいか悪いかなんて判断できないでしょ」 「そうだよね。実は……」  ようやく本題を切り出した。 「お母さんのお店で、オープニングスタッフを募集していたじゃない?」 「うん」  そっちか、と思ってしまった。今朝のことじゃなくて良かった。 「それがどうしたって言うの?」 「ある人が応募してきたんだけど、同じ高校の人だったんだよ。誰だと思う?」 「いや、分かんないわよ」  誰かがバイトしたいという話も聞いたことがない。 「エミのよく知っている人よ」 「え? もしかして、兆君とか清太郎くんとか?」 「違う。なんと、田代君」 「え?」  優が? バイト? それも、美乃のお母さんの店で? 「なんだか、エミに言いにくくて。でも、黙っていられても嫌だよね。後からバレた方がややこしくなるだろうし」 「まあ、そうよね。でも、そのことだったら、気にしないでくれていいから。私とはもう何の関係もないことだから」  優がどこでバイトしようが、私が気にしてはいけないのだ。 「で、採用したの?」  気にしてはいけないと思った次の瞬間、質問してしまった。 「即、採用決定! お母さんはすごく喜んでいる。見るからに女性客受けしそうだって」 「そこは、よく働いてくれそう、とは言わないんだ」  田代優は、気立ての良い人だ。小さいことに気づくし、よく気が回るし、面倒ごとも厭わないで動く。きっと、いいスタッフになるだろう。いろいろなければ、エッグムーンで雇いたいぐらいだ。 「ゆ……、田代君は……」  無自覚だったが、やはり多少は動揺している。なんとか自分を落ち着かせた。 「美乃のお母さんの店だと知っていて、応募したの?」 「それについては知らなかったみたい。私の顔を見て、『君もバイトに応募したの?』って、聞かれた」  美乃は、思い出し笑いをした。 「私たちの関係についても、知らないのよね?」 「当然でしょ。誰にも話していないのに。ああ、だけど、お母さんには、彼はエミの元カレだと言うことも伝えたから」 「言ったの⁉」  それが今日一番の衝撃。 「うん。でも、そのことには触れないでおこうって、お母さんと約束したから、安心して」  全然、安心できない。  何だかいろいろやだなあと思って横を見ると、福猫と目が合った。  福猫は、右前足でをしている。  何の縁を呼んだのやら。聞くのも怖い。
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