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夕方になると、美乃だけが帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
誰かを家で迎えることが、とても新鮮に感じる。
帰ってきた美乃は、出て行った時より若干元気がない。黙ってエプロンを着けて、暗い表情で店の手伝いを始めた。
何かあったのかと気になって顔色を窺っていると、福猫に「腹を探るなら、単刀直入に聞きなさい」と叱られた。
「分かったわよ。うるさいなあ」
文句を言ってはみたが、福猫が背中を押してくれるから私は動ける。
店のテーブルを拭いている美乃に近づいた。
「ねえ、元気がないようだけど、向こうで何かあったの?」
「うん」
否定するかと思ったが、あっさりと認めた。
「教えてよ」
「……エミ」
「何? なんでも言って」
「私たち、家族になるんだよね」
美乃が真剣な顔で重たい話をぶつけてくる。
「それがどうしたの?」
「だったら、隠し事は、なし、だよね」
「そうね。家族ならね」
今はまだ、私たちとあなたたちは家族ではない、との思いが心の片隅にある。でもそれをハッキリぶつけてしまうと、美乃たちだけでなく、父まで傷つけて悲しませてしまう気がして、私は曖昧に答える。
「正直にならなきゃだめだよね。内緒話なんて、しない方がいいよね」
「え……」
美乃が含みのある言い方をした。
彼女は、何かについて語っているような感じがする。
今朝の父との会話。あの内容を知っていて、文句を言いたいのだろうか?
そうだとしたら、どうやって知ったというのだろう。
家族になる予定の人間をそこまで疑いたくないが、この家に盗聴器でも仕込んだとでもいうのか?
それとも、父が知らぬ間にペラペラと喋ったのだろうか? それだったとしたら、考えなし過ぎる。
だけど、それならそれで構わない。
丁度良い機会だ。梨乃の料理について、徹底的に議論してもいいだろう。
場合によっては、開店を見合わせるとか、別の業種にするとか、そこまで方向性を変えてもいいと思う。
「何か言いたいの? ハッキリ言ってよ。私たち、家族になるんでしょ? 隠し事はしないんでしょ?」
覚悟を決めた私の問い方が自然ときつめになる。
美乃が困った顔になった。
「言っても、怒らない?」
「私が怒る?」
それなら、梨乃の料理の腕前についてではなさそうだ。
「何の話?」
「エミに関わること。言っていいのかどうか……」
歯切れが悪い。
「聞いてみないと、いいか悪いかなんて判断できないでしょ」
「そうだよね。実は……」
ようやく本題を切り出した。
「お母さんのお店で、オープニングスタッフを募集していたじゃない?」
「うん」
そっちか、と思ってしまった。今朝のことじゃなくて良かった。
「それがどうしたって言うの?」
「ある人が応募してきたんだけど、同じ高校の人だったんだよ。誰だと思う?」
「いや、分かんないわよ」
誰かがバイトしたいという話も聞いたことがない。
「エミのよく知っている人よ」
「え? もしかして、兆君とか清太郎くんとか?」
「違う。なんと、田代君」
「え?」
優が? バイト? それも、美乃のお母さんの店で?
「なんだか、エミに言いにくくて。でも、黙っていられても嫌だよね。後からバレた方がややこしくなるだろうし」
「まあ、そうよね。でも、そのことだったら、気にしないでくれていいから。私とはもう何の関係もないことだから」
優がどこでバイトしようが、私が気にしてはいけないのだ。
「で、採用したの?」
気にしてはいけないと思った次の瞬間、質問してしまった。
「即、採用決定! お母さんはすごく喜んでいる。見るからに女性客受けしそうだって」
「そこは、よく働いてくれそう、とは言わないんだ」
田代優は、気立ての良い人だ。小さいことに気づくし、よく気が回るし、面倒ごとも厭わないで動く。きっと、いいスタッフになるだろう。いろいろなければ、エッグムーンで雇いたいぐらいだ。
「ゆ……、田代君は……」
無自覚だったが、やはり多少は動揺している。なんとか自分を落ち着かせた。
「美乃のお母さんの店だと知っていて、応募したの?」
「それについては知らなかったみたい。私の顔を見て、『君もバイトに応募したの?』って、聞かれた」
美乃は、思い出し笑いをした。
「私たちの関係についても、知らないのよね?」
「当然でしょ。誰にも話していないのに。ああ、だけど、お母さんには、彼はエミの元カレだと言うことも伝えたから」
「言ったの⁉」
それが今日一番の衝撃。
「うん。でも、そのことには触れないでおこうって、お母さんと約束したから、安心して」
全然、安心できない。
何だかいろいろやだなあと思って横を見ると、福猫と目が合った。
福猫は、右前足でおいでおいでをしている。
何の縁を呼んだのやら。聞くのも怖い。
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