33人が本棚に入れています
本棚に追加
/56ページ
◇
開店前に接客研修をしたいから、客役をしてくれないかと梨乃に頼まれた私と父は、初めて梨乃の店に入った。
モノトーンで統一されたアーバンな店で、インテリアから什器まで全てに都会の空気を感じる。
「うわあ、お洒落!」
「この辺りでは見たことないセンスだな」
確かに三浦では珍しい。
梨乃が自慢した。
「私がデザインしたの。あったら入りたい店にしようって考えたら、こうなってしまって」
「全然悪くないよ。むしろ、目立っていいと思う」
「さすがはグラフィックデザイナーですね」
「あら、聞いていたの?」
「私が話したんだ」
美乃が横から説明した。
「余計な事まで、喋っていないでしょうね」
美乃が平然と言い返す。
「余計な事って、例えば?」
「ぐ……」
父の手前、何も言えない梨乃は、小さくため息を吐いた。
「まあ、いいわ。それよりも、オペレーションの練習よ。秀俊さん、エミちゃん、お店に入ってくるところからお願い。座ったら注文して。ちゃんと出すから」
「分かった」
言われた通りに、入るところから演じる。
――カランコロン……。
「いらっしゃいませ」
梨乃と美乃の笑顔は自然で悪くない。案内された席に着き、お冷、おしぼり、メニューを渡される。
メニューを開くと、開発に四苦八苦したパスタの他、サラダ、ドリンク、デザートが充実している。どれもエディブルフラワーが華やかに盛られた写真が大きく使われていて、目がチカチカした。
『お勧め』として、なぜかピタパンが一番目立つように載っていた。
「こちらのピタパンがお勧めです」
パスタじゃなくてピタパンをお勧めするとは、相当自信があるようだ。
「では、それで」
「私も同じものを」
「承知いたしました」
しばらく待つと、美乃が運んできた。
「お待たせしました。ピタパンです」
「うわあ!」
「ほお!」
思わず感嘆の声が出るほど、目を引く華やかな一品であった。
ハナダイコンの薄紫色、キンレンカの赤、パンジーの青と黄色、カイワレ大根の緑が、白いピタパンをまるでカンバスのようにして彩っている。
自分が勧めておきながら、とても食べ物に思えない極彩色だ。
「どう?」
「いいと思います……」
「でしょう。ウフフ」
梨乃は嬉しそうだ。
美乃が、褒めているような皮肉のような一言を横から言った。
「お母さんは、盛りつけのセンスだけは、誰にも負けないのよね」
「一応、デザイナーでしたから」
梨乃は胸を張った。
「盛りつけのセンスは認めるよ。問題は味だ」
父がピタパンを開いて具材を分析した。
「挟んだ具は、鶏むね肉の甘辛煮、ひよこ豆のフムス、ミニトマト、ズッキーニ、エディブルフラワー数種か。ソースはバルサミコ酢と赤ワインを煮詰めたもの」
フムスは、父の得意料理。気に入った梨乃が作り方を教わって、今回使用したようだ。
「ナイフとフォークを使ってもいいけど、手で持ってかぶりついてもいいですよ」
父は、両手で持ち上げて、私は、ナイフとフォークで食べた。
「モグモグ……。美味しい!」
「いけるな」
「本当⁉」
「うん、凄くいい味をしている。鶏むね肉の味付けも良い。バルサミコ酢がベースのソースが味を引き締めている。フムスが全てを調和させて、エディブルフラワーの甘さとほろ辛さが良いアクセントとなっている」
父が料理人の能力をいかんなく発揮して感想を述べた。
「良かった!」
梨乃は大喜び。
私は舌を巻いた。
正直言って、短期間でここまで料理の才覚が進化するとは思わなかった。
味音痴だの、料理下手で男に振られてきただの、完全に言い過ぎだったと反省した。
「デザートもいかが」
美乃が赤いバラジャムと白いホイップクリームとバニラアイスを添えた透明なゼリーを運んできた。
ゼリーの中にはカラフルなエディブルフラワーが閉じ込められていて、まるで水中花のような美しさをしている。
こちらの盛りつけも上品でセンス良い。
味も美味しく頂けた。
「これ、ブランデーをクリームに混ぜているね」
「え? そうなの? 全然気づかなかった」
父の指摘に対して、気づかなかった私はショックを受けた。
「そうなの。さすが秀俊さん。少しだけ大人の味にしてみたの。ああ、でも、子供さん用のブランデー抜きも用意していて、エミちゃんには抜きの方だから。二十歳になった時のお楽しみよ」
「ああ、だからか」
自分の舌がバカになったのかと心配したが、そうじゃなかったので安心した。
「両方食べてみて、どうでした?」
梨乃が感想を聞いてきた。
「目で美味しい、舌で美味しい料理として満足できた。これなら成功すると思う」
「良かった! 秀俊さんのお墨付きなら、安心だわ」
「凄いよ。短期間でこれだけのものが出来て」
「秀俊さんのアドバイスを最大限に生かした結果よ」
「よく頑張ったね」
「秀俊さん……」
二人が熱々で見つめ合う。
ツンツンと、美乃がわき腹を突いてきた。
「何?」
「私たちのこと、完全に忘れているわよね」
「そうね。まあ、いいわ。好きにすれば」
美乃の話を聞いてから、同情なのか、憐憫なのか、梨乃を受け入れる気持ちが少しだけ芽生えていたから、それほど嫌な気はしないでいる。
――カランコロン……。
ドアベルが鳴って、誰か入ってきた。
「ギョッ」
顔を見ると、田代優だった。
向こうは向こうで、私がいて驚く。
バイトとしてここで働くのだから、いても変ではないが、だったら最初からいてくれてもいいのに。
いなかったことですっかり油断していた私は、焦って挙動不審になる。
最初のコメントを投稿しよう!