5 同居編

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◇  開店前に接客研修をしたいから、客役をしてくれないかと梨乃に頼まれた私と父は、初めて梨乃の店に入った。  モノトーンで統一されたアーバンな店で、インテリアから什器まで全てに都会の空気を感じる。 「うわあ、お洒落!」 「この辺りでは見たことないセンスだな」  確かに三浦では珍しい。  梨乃が自慢した。 「私がデザインしたの。あったら入りたい店にしようって考えたら、こうなってしまって」 「全然悪くないよ。むしろ、目立っていいと思う」 「さすがはグラフィックデザイナーですね」 「あら、聞いていたの?」 「私が話したんだ」  美乃が横から説明した。 「余計な事まで、喋っていないでしょうね」  美乃が平然と言い返す。 「余計な事って、例えば?」 「ぐ……」  父の手前、何も言えない梨乃は、小さくため息を吐いた。 「まあ、いいわ。それよりも、オペレーションの練習よ。秀俊さん、エミちゃん、お店に入ってくるところからお願い。座ったら注文して。ちゃんと出すから」 「分かった」  言われた通りに、入るところから演じる。  ――カランコロン……。 「いらっしゃいませ」  梨乃と美乃の笑顔は自然で悪くない。案内された席に着き、お冷、おしぼり、メニューを渡される。  メニューを開くと、開発に四苦八苦したパスタの他、サラダ、ドリンク、デザートが充実している。どれもエディブルフラワーが華やかに盛られた写真が大きく使われていて、目がチカチカした。 『お勧め』として、なぜかピタパンが一番目立つように載っていた。 「こちらのピタパンがお勧めです」  パスタじゃなくてピタパンをお勧めするとは、相当自信があるようだ。 「では、それで」 「私も同じものを」 「承知いたしました」  しばらく待つと、美乃が運んできた。 「お待たせしました。ピタパンです」 「うわあ!」 「ほお!」  思わず感嘆の声が出るほど、目を引く華やかな一品であった。  ハナダイコンの薄紫色、キンレンカの赤、パンジーの青と黄色、カイワレ大根の緑が、白いピタパンをまるでカンバスのようにして彩っている。  自分が勧めておきながら、とても食べ物に思えない極彩色だ。 「どう?」 「いいと思います……」 「でしょう。ウフフ」  梨乃は嬉しそうだ。  美乃が、褒めているような皮肉のような一言を横から言った。 「お母さんは、盛りつけのセンスだけは、誰にも負けないのよね」 「一応、デザイナーでしたから」  梨乃は胸を張った。 「盛りつけのセンスは認めるよ。問題は味だ」  父がピタパンを開いて具材を分析した。 「挟んだ具は、鶏むね肉の甘辛煮、ひよこ豆のフムス、ミニトマト、ズッキーニ、エディブルフラワー数種か。ソースはバルサミコ酢と赤ワインを煮詰めたもの」  フムスは、父の得意料理。気に入った梨乃が作り方を教わって、今回使用したようだ。 「ナイフとフォークを使ってもいいけど、手で持ってかぶりついてもいいですよ」  父は、両手で持ち上げて、私は、ナイフとフォークで食べた。 「モグモグ……。美味しい!」 「いけるな」 「本当⁉」 「うん、凄くいい味をしている。鶏むね肉の味付けも良い。バルサミコ酢がベースのソースが味を引き締めている。フムスが全てを調和させて、エディブルフラワーの甘さとほろ辛さが良いアクセントとなっている」  父が料理人の能力をいかんなく発揮して感想を述べた。 「良かった!」  梨乃は大喜び。  私は舌を巻いた。  正直言って、短期間でここまで料理の才覚が進化するとは思わなかった。  味音痴だの、料理下手で男に振られてきただの、完全に言い過ぎだったと反省した。 「デザートもいかが」  美乃が赤いバラジャムと白いホイップクリームとバニラアイスを添えた透明なゼリーを運んできた。  ゼリーの中にはカラフルなエディブルフラワーが閉じ込められていて、まるで水中花のような美しさをしている。  こちらの盛りつけも上品でセンス良い。  味も美味しく頂けた。 「これ、ブランデーをクリームに混ぜているね」 「え? そうなの? 全然気づかなかった」  父の指摘に対して、気づかなかった私はショックを受けた。 「そうなの。さすが秀俊さん。少しだけ大人の味にしてみたの。ああ、でも、子供さん用のブランデー抜きも用意していて、エミちゃんには抜きの方だから。二十歳になった時のお楽しみよ」 「ああ、だからか」  自分の舌がバカになったのかと心配したが、そうじゃなかったので安心した。 「両方食べてみて、どうでした?」  梨乃が感想を聞いてきた。 「目で美味しい、舌で美味しい料理として満足できた。これなら成功すると思う」 「良かった! 秀俊さんのお墨付きなら、安心だわ」 「凄いよ。短期間でこれだけのものが出来て」 「秀俊さんのアドバイスを最大限に生かした結果よ」 「よく頑張ったね」 「秀俊さん……」  二人が熱々で見つめ合う。  ツンツンと、美乃がわき腹を突いてきた。 「何?」 「私たちのこと、完全に忘れているわよね」 「そうね。まあ、いいわ。好きにすれば」  美乃の話を聞いてから、同情なのか、憐憫なのか、梨乃を受け入れる気持ちが少しだけ芽生えていたから、それほど嫌な気はしないでいる。  ――カランコロン……。  ドアベルが鳴って、誰か入ってきた。 「ギョッ」  顔を見ると、田代優だった。  向こうは向こうで、私がいて驚く。  バイトとしてここで働くのだから、いても変ではないが、だったら最初からいてくれてもいいのに。  いなかったことですっかり油断していた私は、焦って挙動不審になる。
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