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どうして、今なの?
横には父もいて、とても恥ずかしい。
父も、不愉快な顔つき。この場を険悪な雰囲気にするわけにいかなくて、文句を言えず押し黙っている。
私も顔を赤らめて俯いた。
優の方は、知らずに来たのか、私たちがいることに驚き戸惑っている。気まずそうだが、出ていくことはなかった。
美乃は、私たちの険悪な空気を察して、「お母さんが呼んだの?」と、梨乃に聞いた。
「お母さんじゃなくて、店長でしょ」
「……店長が田代君を呼んだの?」
「敬語を使いなさい」
研修はすでに始まっていた。
「こちらはバイトの田代優君。まあ、言うまでもなくお互いにご存じですよね。同じ高校ですもんね。今日は彼の研修を兼ねていますので、呼びました」
梨乃が店長らしくよどみなく説明した。一人だけ清々しい。
「申し訳ございませんが、秀俊さんとエミさんには、もうしばらくお付き合いください」
何? この地獄⁉
私の嫌そうな顔を見た父は、憤然として立ち上がった。
「梨乃さん! じゃない、店長!」
慌てて言い間違える。
何を言う気かと全員から注目を浴びた父は、恥ずかしくなったのか勢いを失う。
「えっと……僕たちは、自分の店があるので、これで失礼する!」
「あら、そうなの? まだ時間があるかと……」
「エミ、一緒に帰ろう!」
父は、不愉快そうな態度を取ることで、優に抗議し、私を慮っているのだ。
自分が悪者になることで、娘の私を守ろうとしている。そのことが分かるから胸が痛む。
「エミちゃんは、まだ大丈夫よね。今日は何も予定がないって言っていたでしょ。エッグムーンの開店までまだ時間があるものね」
「えっと……」
優の顔を見て、美乃の顔を見て、梨乃の顔を見た。誰もが私の反応を待っている。
父には悪いが、ここで出て行ったら、やっぱり未練があるんだと思われそう。それでは私のプライドが傷ついてしまう。みんなに平気な顔を見せつけてやりたい。なぜかそう思ってしまった。
「まだ時間はあるので、付き合います」
梨乃の表情がパッと明るくなった。
父は、驚いている。
「あら、良かった! じゃあ、エミちゃんには引き続き、お客さん役をお願いするわね。普通に入ってきて、座って注文してくれればいいから」
梨乃は、私たち父子の想いなど我関せず、今日の研修のことだけを考えている。
父が心配して聞いてきた。
「いいのか?」
心配されればされるほど泣きそうになるから、黙っていて欲しい。
「大丈夫! お父さんは早く帰って!」
私は、父の体を強引に押して店から追い出した。
父が行ったことを確認すると、席に戻った。
「続けてください」
「じゃあ、優君は、接客の研修ね。エミちゃんを一見のお客様と思って、注文を取ってきて頂戴」
「はい」
優は素直に従っている。どうして平然と出来るのか理解に苦しむ。
美乃が見かねて客役を申し出た。
「エミ、変わろうか」
「いいよ。これぐらいできるから」
頑なにこの場から離れなかった理由は、やっぱり優と美乃の仲を気にしていたからだ。そんな矮小な自分も嫌になる。嫌になるが、この性格は直せない。
「エミちゃん、今度はパスタから、なんでもいいので一品頼んでみて」
「分かりました」
「もし気づいたことがあったら、遠慮しないでどんどん指摘してね」
「そうよね。エミは現役飲食業だものね」
美乃が気を遣って持ち上げてくるが、味の感想ぐらい、優がいたってきちんと言える。
研修は、優からスタートした。
「ご注文はお決まりですか?」
注文を取るだけなのに、格好いい……。いい……、いい……、優は恰好いい……。
いけない。集中しなきゃ。
何でもいいと言うので、料理名が気になる「三崎マグロパスタ」を注文した。
「三崎マグロパスタを下さい」
「承知しました。店長! 三崎マグロパスタ一つ!」
優が美声で梨乃に伝えて調理開始。その間、美乃と優が手持ち無沙汰状態だったので、「テーブルを拭いたり、お冷やを注いだり、動いていた方がいいよ」と、アドバイスした。
「なるほど。勉強になる」
美乃が実践すると、それを見て優もぎこちなく動く。
連携して働く二人を見た私は、とても複雑な気分になった。
「3番テーブル! 取りに来て!」
梨乃の呼びかけに優が応じる。
「お待たせしました。えーと……」
「……三崎マグロパスタ」
名前を忘れた優に、美乃が応援するように教える。
「三崎マグロパスタです」
優がクールな表情でテーブルに置いた。
蒸したマグロを細かく裂いて、浅葱、ブロッコリー、マッシュルーム細切れと共に、オリーブオイルと唐辛子で和えている。見た目は最高に美味しそうだ。
「いただきます」
食べてみると、マグロの生臭みが鼻についた。
パスタはアルデンテでとてもいい茹で具合。それだけに勿体なかった。
「味はいかが?」
「マグロは生で仕入れましたか?」
「ええ。漁港の朝市で買ったのよ。三浦三崎と言えばマグロだものね。きっと名物になると思うの」
「せっかく生で買っても、火を通してしまうのだから、ツナ缶でいいと思います」
「ええ……」
「ちょっとだけですが、臭みが鼻につくんです。それだけで、気分が台無しになります。パスタはとても美味しいので、魚の臭みさえなければ、かなり美味しいです。ツナ缶なら失敗しないです」
ズバリとダメ出ししたから、梨乃は青ざめ、美乃と優は引いていた。
優は私のことをきつい女だと思っただろうか。
しかし、これぐらいでへこたれるようなら、辞めた方がいいのだ。お金を払う客は、もっと辛辣だ。一番きついのが、黙ってこなくなること。最悪なのは、あそこは不味いと、悪い評判を周囲に触れ回られてしまうことだ。
「そこまでダメだった? どうしよう。たくさん買ってきちゃった。冷凍庫に一週間分はある。それに、ここに来たら、やっぱり三崎マグロだし……」
梨乃は、どうしようという顔をした。どうしても三崎マグロの刺身を使いたいようだ。
「でも、率直に言ってもらえて良かった。貴重な意見だものね。もう少し考えてみる。今日はこれぐらいにしましょう。田代君もお疲れ様。帰っていいわよ。エミちゃんも協力ありがとう」
「ありがとうございました」
優が頭を下げて店を出ていった。
「……」
私が無言で後ろ姿を見ていると、美乃が、「早く追いかけなよ」と、耳打ちしてきた。
「どうして?」
「二人で話すチャンスじゃない」
「何を話すのよ」
「いっぱいあるでしょ」
「私に?」
そんな風に見られていたと思うと、少し恥ずかしい。
「話すことなんて……ないよ」
「とにかく、後を追いかけて、話し掛けて見なさいよ」
「嫌よ。恥ずかしい」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょ。ずっとうじうじしていて、見ていられないっての」
強引に美乃に背中を押されて店を追い出された。
「もう、どうしろと言うのよ!」
憤っていると、福猫が現れた。
「福猫……。何よ……」
「美乃がせっかく作ってくれた機会。ありがたく受け取るんだね」
「だって……、私は振られたのよ。しつこくしたら、もっと嫌われる」
「向こうは、針のむしろだっただろうね」
「針のむしろ?」
「お父さんがいて、エミがいて、彼は気まずかったはずだよ。それでも逃げ出さなかった。なかなか肝が据わった男だよ。エミは、それに対して謝るぐらいはした方がいい」
「それって、私のせい? 私が悪いの?」
「そうだよ」
「ウソ……」
そんな風に言われるとは、思いもしなかった。
父から睨まれて、いい気はしないだろう。
私も歓迎しなかった。なんで来たという顔になっていた。
私は……、優の気持ちを全く考えていなかった……。
「そうか……、そうだよね。優に悪いことをした。うん、それだけは謝ってもいいよね」
私は、優に話し掛ける口実を探していたのかもしれない。
そして、福猫がそれを与えてくれた。
「私、優に謝ってくる!」
過ちに気づいた私は、優の後を追って駆け出した。
私の背中にくっついている福猫が、「急げ、急げ」と、追いたてる。
自分は走らなくていいので楽ちんだ。
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