穴太衆/蛸石

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穴太衆/蛸石

穴太衆(あのうしゅう) という石工の集団があり、築城、治水、街道整備、墓石、古墳に至るまで、巨石を用いた建造物には、必ず彼らの息がかかった者が携わり、歴史の至る所で遺した業績は数知れず、彼らがいなければ、成されなかった物の方が多かったと、皆口を揃えて言うのですが、じゃあこの人が穴太の衆だと見知る人は、どこにもいた試しがない。 大阪城の蛸石は、築城史上最も大きな鏡石で、大きさは総面積36畳、重さが34,600貫目という巨石である。 請け負った池田忠雄が、軍配片手に周囲で囃す、神楽を従え(おおぎ)(あお)ぎ、築城景気に沸く大阪城下を、大勢の人工(にんく)に引かせ 「ソーレィ、ソーレィ」 の掛け声で、丸太コロの上をじわりじわりと進んで行く。 修羅(しゅら)(ゆわ)えた荒縄を、諸肌(もろはだ)脱いだ大勢の人工が引く行列は、凱旋パレードさながらに、辺りには出店や市が立ち並び、大道芸やガマの油を売る行商人が入り混じり、盛大なお祭りとして大いに賑わっていました。 一つの城を建てるのに、大小含め数万、数十万、よっては百万以上の石が使われて、メイン所の巨石などは、かなり距離の離れた方々から集まってくる。 蛸石は、島の岩盤から削ぐ様に切り出して、船に乗せて運ぶのに適した形、というのに加え、薄く大きい方が石工の腕が良いとされたので、皆薄く大きくを競った結果、5m×11m×70cmというアンバランスな形の人口巨石になったわけですが、一番()える面を正面に向ける為、130tを片面は支えなく70センチ幅で直立させ、かつ倒れない様にガッチリと固定する力学が必要となる。 「ごめんね倒れちゃったw」 では済まされない。 こんな危険な作業なのに 「池田様から、穴太の衆に手配を頂いている」 という言葉を親方から聞いただけで、人工は皆安心して作業に取り掛かる。 穴太衆は、現場で陣頭指揮をとるわけでなく、人工に紛れて作業をする。 数百人が日雇いで入れ替わる現場では、出自(しゅつじ)を細かく管理する暇などなく、体躯が良ければ流れ作業で現場に割り振られそのまま採用となる。 彼らはこの日雇い人工の中に人知れず紛れ込む。 人知れないのなら穴太衆が紛れたかどうか分からないのではないか? 私もそう思っていたが、穴太衆と話が付いている現場では、何か特別な磁場が働いているかの様に、皆の身体が軽くなった様に感じ、作業が大幅に捗ったばかりか、何がどうしてそうなったのか、不思議な出来事の二、三が必ず起こる。 今回の組みで一番大変な作業は、言わずと知れた蛸石を立てるというところであるが、先ず蛸石の重量に耐え得る支えの石垣を先に組んでおいて、そこに蛸石を立てかけるようにはめ込むというのが道理であり、この手順を踏まないと130tもある巨石を組みこむ事はできない。 今までにこのサイズの石を扱った事が無いわけだから、ベテランの石工、棟梁でさえも初めての仕事であり、現場には只ならぬ緊張感が張り詰めている。 蛸石行列の道程を終え、予定地に降ろされた蛸石の向かいの更地に、支えとなる石垣を組む予定の石が運ばれて、棟梁の指示のもと組み上がる順番に並べられる。 石組は、力学と摂理に基づいて、緻密な計算と研ぎ澄まされた感覚に、経験則を駆使して行われる。 あらゆる可能性を考慮して、予行できる所は徹底的に潰す為、棟梁の頭の中には石の形状、目方、癖、石目、全て再現されており、石垣の全容は完璧に把握されている。 そこまでしてもの万が一、不慮の事態は起こり得ると、全ての石に神酒(みき)を注ぎ、神主の祝詞(のりと)に合わせ(こうべ)を垂れる。 ようやく準備が整って、明日よりいよいよ着工だと明けた翌朝、棟梁はじめ全ての人工が言葉を失った。 「…………。」 組まれる予定で一から順に番号の振られた石をそのまに、蛸石だけが朝日を遮る様に立っていました。 当然、現場が大騒動になる場面なのですが、次の瞬間全ての人工の脳裏に 『穴太の衆』 という言葉が浮かび、予定変更を余儀なくされる棟梁の指示を待つこととなる。 棟梁の見立てによると、僅か70cm幅の不安定な岩石が、ここでしか無いというバランス位置で据えられており、 「十頭の牛で引いてもびくともしない」 との事。 又、支えを兼ねて組まれる予定だった石を、蛸石に沿って組みあげていくと、組みながらでないと分からない様な極々微細な変更点が、意図も容易く解消されて、予定していた工程の十分の一で作業が終了した。 (まこと)しやかな説話の様に、石工達の間に語られて来た「穴太衆」ですが、彼らの中に「この人こそは穴太の衆也!」と直接対面した者は一人もいないにも関わらず、神仏や御伽噺の物怪の類などよりはっきりと、皆確信をもってその存在を認めている。
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