穴太衆/集落

2/2
前へ
/6ページ
次へ
穴太家の長男太一が嫁を連れ帰ったというので、物見遊山で見に行くと、何やら様子がおかしい。 穴太家の面々に加え村長の伊兵衛(いへえ)さん始め重だった面々が勢揃いし、二人を前に神妙に話している。 村長、お歴々を囲む様にもう一重人垣があり、隙間から覗く娘の様は、俯き仕草それだけで器量の良さが窺い知れるのだが、 「美しい嫁さん連れて帰ってきょってなw」 という雰囲気では無さそうである。 娘は、太一が出向いて石段を施工した熊野の山中にある集落の巫女で、名をサクヤと言い、神主の娘であった。 「神主の娘だから駄目なのか?」 いやいやだとしても、村を挙げての大騒ぎになる必然性が無かろうと、先に来ていた三郎に聞くと、サクヤの腹に子があるらしく、その事で揉めているという。 「なんや、目出度い事やないんかい?」 「いやいやそれやいね、太一の子ではないんじゃって…」 「ほんなもん、誰の子でも穴太の子でええがね」 「いやな、わしらはそれでええんやけんども、あちらの部落がそれじゃならんのね」 「はあ…?」 我々の集落は、来る者大概拒まずで受け入れるので、そういった感覚があまり無くて当然で、隠里などとと呼ばれる、山間にひっそりと佇む集落の多くは、他所との関わりは殆ど無く、生活全般自己完結に近い形に部落内で終えていて、冠婚葬祭全て身内、従兄弟同士の婚姻もザラにある。 全て集落内で完結させるが故の近親婚は、必然的に血の濃度を上げて行き、先天性異常の発生率を上げ、結果小さな集落の貴重な労働力を奪う。 この、近親交配によって顕在化した劣勢遺伝子が引き起こす近交退化を、感覚的な知恵で理解していた古来の人々は、非常に直接的な方法でそれを緩和させてきた。 【人身御供】 とは、 この橋が流されませんように… 雨が降りますように… 疫病が退散しますように… と、 抗えぬ物を総じて神と位置付けて、それに対する最上級の供物として、人そのものを生贄とし、対価を得ようという行為である。 往々にして、その関係性に確証付いたものはなく、只々祈るのみが行える事であり、祈りの濃度を上げるしか願う者にはしようがない。 しかし、 過剰なまでに切実な願いは、時に若干の狂気を孕み、祈りに対する対価を手繰り寄せる。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加