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穴太家の長男太一が嫁を連れ帰ったというので、物見遊山で見に行くと、何やら様子がおかしい。
穴太家の面々に加え村長の伊兵衛さん始め重だった面々が勢揃いし、二人を前に神妙に話している。
村長、お歴々を囲む様にもう一重人垣があり、隙間から覗く娘の様は、俯き仕草それだけで器量の良さが窺い知れるのだが、
「美しい嫁さん連れて帰ってきょってなw」
という雰囲気では無さそうである。
娘は、太一が出向いて石段を施工した熊野の山中にある集落の巫女で、名をサクヤと言い、神主の娘であった。
「神主の娘だから駄目なのか?」
いやいやだとしても、村を挙げての大騒ぎになる必然性が無かろうと、先に来ていた三郎に聞くと、サクヤの腹に子があるらしく、その事で揉めているという。
「なんや、目出度い事やないんかい?」
「いやいやそれやいね、太一の子ではないんじゃって…」
「ほんなもん、誰の子でも穴太の子でええがね」
「いやな、わしらはそれでええんやけんども、あちらの部落がそれじゃならんのね」
「はあ…?」
我々の集落は、来る者大概拒まずで受け入れるので、そういった感覚があまり無くて当然で、隠里などとと呼ばれる、山間にひっそりと佇む集落の多くは、他所との関わりは殆ど無く、生活全般自己完結に近い形に部落内で終えていて、冠婚葬祭全て身内、従兄弟同士の婚姻もザラにある。
全て集落内で完結させるが故の近親婚は、必然的に血の濃度を上げて行き、先天性異常の発生率を上げ、結果小さな集落の貴重な労働力を奪う。
この、近親交配によって顕在化した劣勢遺伝子が引き起こす近交退化を、感覚的な知恵で理解していた古来の人々は、非常に直接的な方法でそれを緩和させてきた。
【人身御供】
とは、
この橋が流されませんように…
雨が降りますように…
疫病が退散しますように…
と、
抗えぬ物を総じて神と位置付けて、それに対する最上級の供物として、人そのものを生贄とし、対価を得ようという行為である。
往々にして、その関係性に確証付いたものはなく、只々祈るのみが行える事であり、祈りの濃度を上げるしか願う者にはしようがない。
しかし、
過剰なまでに切実な願いは、時に若干の狂気を孕み、祈りに対する対価を手繰り寄せる。
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