電車★鉄道中心の都市計画は制度疲労がはなはだしいと思う

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 電車について、小説を一本書いた。  利便性を感じるよりも、朝夕のラッシュの凄まじさをまず考える。  駅まで移動して、電車に乗るまでに長い階段を上り下りする。  駅近の物件が高騰し、デパートやスーパーも自然と駅近が繁盛する。  大都市は駅を中心に発展してきたといってもいい。  だが、自動運転車という、とんでもないものが実用化されようとしている。  もしこれが市場に現れたら、瞬く間に社会のインフラになるであろう。  なぜなら、サラリーマンが周りを気にせず安全に居眠りしながら通勤できるのだ。  スリに遭うことも、朝帰りの酔っ払いに絡まれることも、痴漢に遭うことも、  機嫌が悪い人に怒鳴られることも、人の圧力で骨折することも、  感染症の心配をする必要もないのである。  メリットを挙げればきりがない。  数百万円投資する価値は充分にある。  こんな夢のような話があるだろうか。  可能性として、自動運転車は安全だから車体を小型化できるはずだ。  そうなれば、道路をもっと有効に活用して交通渋滞も減らせる。    時代に合わないインフラは、心の病気を増やし、経済成長の障害になっていると思う。  メンタル不調になった人は、電車に乗れなくなるケースが少なくない。  裏を返せば、そのような人たちは電車に乗らない生活ができれば、メンタル不調にならないのではないだろうか。  少なくとも、鉄道中心の都市計画は制度疲労がはなはだしい。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加