第7話 さよなら館、こんばんは船?

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第7話 さよなら館、こんばんは船?

 メグたちは岩場に低い姿勢となって静かにしている。  ただし、彼女らの近くには見知らぬ人のかたまりがいくつもあって、それぞれけっこうにぎやかだ。  館の主、未姫の素顔をじっくり見たことのある人間は、この地ではほんの数人なので必死に顔を隠す必要はないはずなのだが、人目につかないようにするにこしたことはないということで、メグはすっぽりかぶったフードに隠れている。  見事に裏切ってくれた婚約者候補「タリー」をはじめ男たちを閉じ込めた広間には、外から閂をしてバリケードを作り、さらにメグだけが鍵を持つ隠し扉から退出した。  広間は、かつての館主によって緊急時の戦闘指揮所として設計されていたようで、あの周囲だけ過剰に頑丈な作りをしている。もし早く目覚めても、工兵部隊でもこない限り脱出は一日仕事になるだろう。 「敵兵に火を放たれれば、そのまま蒸し焼きではないですか」  メグが言うと、お福も孔雪もそれがなにか?という顔をした。自分はまだまだ甘いらしい、とメグは考えた。  これから逃避行と聞いてから、メグの頭にはひっそりと夜闇に紛れる自分の姿がしきりに浮かんでいた。しかし、館を離れてたどり着いた船着場は、夜なのに市でも開かれているように騒がしい。  この先にある、普段館の人間が人目を避けての移動に使った岸にも、さらにその向こうにある小舟の係留場所にも、人がうろうろし、焚き火までしている。 「このかしましい者たちはなんです?」我慢できずお福が聞いた。古くから住む人間たちとは、少し雰囲気が違ったからだ。 「わたしみたいに、最近になって鷺の巣に移ってきた連中のようです」と美歌が答えた。  黒鷺にどこかの軍隊が攻めてくるとの噂は、今ではほぼ全ての人間が知っているようだ。ただ、黒鷺館は基本的には祭場であり、戦力もなければ現在の主たる未姫に戦う意思もないことは、古くからの地元民にはわかっている。だから鷺の巣の先にある集落に暮らす人々は、館に勤めていた家族が帰されてからは、いつもよりしっかり戸締りをして、中に引っ込んでいる。断崖に突き出る形の黒鷺館なら、万が一火をかけられても延焼の可能性は少ない。  今夜、慌てて岸に集まっているのは比較的最近、鷺の巣にある繁華街での仕事を目当てにやってきて、その付近に住んでいた人たちである。 「ほんとに大丈夫なんじゃろなあ。萌の国の軍隊に火をかけられたりせんかな」 「さあ。ここには特に兵もおらんし、すぐ通り過ぎるんじゃ無いの」  聞こえる言葉もいろいろな国のものが混じっているし、声そのものが大きい。  国主様の末の姫が館に入ったと聞き、賑わいが増して金も落ちるだろうとわざわざ来た人間が少なくないらしく、メグは申し訳なさで背中を丸めていた。  目下の悩ましい問題は、船着場に炎が煌々と焚かれ、さらにかなりの順番待ちが発生していることである。どうやら、もうけ口と聞き急遽ここにやってきた他所の船頭が多く、そのせいか行先や料金についての揉め事が頻発している。  普段なら地元の業者仲間が差配するのだろうが、めぼしい地元船主は持ち船を安全な場所に隠して仕事を休んでしまっていて、今夜ばかりはいつもの社会的なしくみが十分機能していない。 戦の噂にもかかわらず船頭が集まっているのは、脱出を望む人たちに心強いが、「理由は義侠心より金。金のためなら命もいらぬ、ですか」お福が言った。 「正直申しまして、商人の瞬発力を読み違えました」と黒狐が言った。「まさかこれほどに船と人が集まるとは。我々だけが舟を出すのは難しいですな」 「舟がないのですか」メグの問いに黒狐は首を横に振った。 「いえ、いざと言う時のため、小さな舟ですが一艘、隠してあります。しかし、これほど大勢が川面を睨んでいる中に押し出したら、載せろ載せろと一斉に押し寄せてくる」  黒狐からめずらしい動揺の気配が感じられ、メグはかえって興味を覚えた。  館では氷のように冷静だったのに、船着場の人々が手前勝手に動いているのに、明らかにうろたえている。  館で歳下は孔雪ぐらいのメグからすれば、いつも半ば顔を覆い、言葉も動きも年寄りじみた黒狐の年齢など真剣に考えたことはなかったが、少し前に美歌が「あいつ、けっこう小僧ですよ」と言っていたのをふと思い出した。そういえば獣人のくせに獣くささも、年配の男にありがちな臭いもしない。  彼女の内心に気づかず、 「すぐ戻ります」と黒狐は姿を消した。人の集まった場所に紛れ込み、様子を調べるつもりらしい。  荷物を担ぎ、舟を待つのはだいたいが大人の男女、それも百姓や猟師には見えない連中だが、中に少数だが小さな子供がいた。  それを見たメグが、「本来ならわたくしたちが舟を買い取り、皆を逃さねばならぬのに」と言うと、「それより、これだけ舟が集まっているということは、たいした戦にはならないと船主たちは見ているのではありませんか」と穏やかな口調で美歌が言った。いつもながら、なかなか腹が座っている。 「今宵集まっているのは、もとから鷺の巣にいる船頭たちではなく、他所からやってきた冒険好きの奴ら。まあ、火事場泥棒みたいなものかもしれませんが、ほんとうに危ないと思えばこないでしょう。姫様がお金を払うなんて噂がながれたら、それこそ収拾がつかなくなりますよ」 「そういうものかな」 「調子づいて言わせてもらえば」美歌は続けた。「今度の騒ぎも黒鷺にいたから気づかなかったけれど、よその場所では違ったかもしれませんね。例えば霧島ならば、不穏な気配を察していた者がいたかもしれません」  霧島というのは藤の国の首都にあたる。 「これこれ美歌。そのぐらいに」お福がたしなめたが、メグは「ほんとうだ」とうなずいた。「そう考えたら、すっと意味の通ることもありますね」  納得したような顔になった彼女は、考え考え言葉を口にした。 「わたくしたちはいま、目の前に見えるものだけを追い、それを判断の基準にして右往左往しています。しかし、見えない暗い水の下には、もっと大きく複雑な動きがあったのやもしれない。あるいはもっと単純に、父上への不満が澱のように溜まっていたのに、わたくしたちが気づかなかっただけかもしれない。景気の良さにいい気になって、人心を見失っていたのかも」  思いがけない反省に、「メグ様……」お福が絶句し、お蘭や美歌までが黙ってしまった。  そこにちょかちょかと孔雪が戻ってきた。あまり感傷には縁のない彼女は、どこかしょんぼりした様子の歳上の女たちをぐるりと見回すと、精一杯体をのばし、 「あたりの状況を見て、聞いて参りました。どうやら萌の国の本隊は、予想より侵攻に手間取っていて、まだ紅葉岳の手前にいます。しかし確実に近づいてはきています。この状況のもと、ここから六人が揃い逃げるのは難事ですが、少人数に分かれるのはさらに危ない。皆様はそれぞれすばらしい特技をお持ちなのですから、これを生かして切り抜けましょう」  と、宣言した。その姿に、 「おまえって娘は、本当に」と言いかけたお福は、「なんですか」と表情に綾のない孔雪に正面から見つめられ、「まあいいわ」と、途中でやめた。  船着場が賑やかになった。いったん出た船が何艘か戻ってきたようだ。 「今度はわたくしが見て参ります」と、お蘭が被り物をして偵察に行った。  それを見てお福が、「しかし男手があまりに少なすぎるのも、考えものですね」と愚痴めいた言葉を吐いた。メグまでが荷物を分担して持っているのが気になるようだ。 「仕方ありませぬ」とメグが言うと、「信用できない男こそ最も危険」と孔雪が同調した。「館に捨ててきた頭にウジの湧いた男どもをご想起ください。常に裏切りを疑って行動するよりマシ」  美歌とメグが笑うと、「そうねえ」お福も認めた。「早くわかって、良かったかもねえ」  曙川の下にいた者たちはすべて館に放置してきた。実際のところ、逃避行は黒狐を除くと女ばかりだ。お福にお蘭、孔雪、そして美歌もお供しますとついてきてくれた。いずれもメグへの忠誠は疑い無いが、力仕事はいささか心許ない。お福の気にしているのはここだ。  当初の孔雪と黒狐の計画では、曙川の部下からましなのを何人か護衛兼荷物持ちに同行させることも検討していたそうだが、全員がメグをあまりにあっさり裏切ったため、毒消しも飲まさずに黒鷺館に放置してきた。  お蘭など、「姫様を裏切った馬鹿たちは、残りの人生を後悔し続けるよう、ひとりひとり鼻をそいでおきましょう」と、過激な主張をしたが、結局はそのまま放置した。毒あるいは火事によって死ななければ、明日遅くには目覚めるだろう。おそらく。  小走りのお蘭が戻ってきた。 「ついさきほど、風向きがよかったとかで船が三艘、予想より早く戻ってきたそうです。すぐまた出ますが、今乗れば矢後までは必ず連れて行ってくれるとか」  矢後とは、鷺の巣から最も近い港町であり、メグも黒鷺館にくる際に休息をとった乗り換え地点だ。砦もあって水軍まで駐留している。いくら図々しい豪胆斎でも容易には手をだせまい。  むろん避難先の筆頭候補でもあったが、すぐに向かわなかったのは、内藤家老の影響圏にあるかどうかが掴めていないためだ。三月ほど前に滞在したばかりだから、役人の中には未姫の顔をまだ覚えている者だっているだろう。町の監視の目は厳しいだろうし、たどり着いてすぐ捕縛されたら、洒落にならない。 (もっと城の人事の話とか諸将の噂とか、聞いておけばよかった)  メグは、この手の政治的な情報にうとい自分を恥じた。おそらく二人の姉なら、矢後砦の守将が家老につくかどうか正確に読めたりするのだろうが、神事ばかりだったメグにはそのへんがさっぱりわからない。残念ながらお福の持つ軍についての知識は古すぎるし、さすがの孔雪だって元は都の人間だけに、掴み切れていない。  くやしくて、さっきから爪ばっかり噛んでいるので、凸凹になってきてしまった。  黒狐が戻った。さっそくお蘭から話を聞き、メグのところにやってくると、自然と全員が集まった。 「なるほど。思い切って大勢に紛れ、矢後に入るのもありかもしれません」と、黒狐はメグと孔雪を交互に見ながら言った。「鳥耳に会えました。それで少し事情がわかりました」  黒狐の使っていた鳥耳はこの先に家のある中年女で、夫は馬を何頭も持って輸送業をしていると聞いていた。そちらからの情報もあるようだ。 「萌の国軍と、家老の追手のどちらもまだなのは、音聞峠の付近で両軍が鉢合わせし、戦闘を開始したせいです」 「まあ、大変というかありがたいというか」思わずメグはつぶやいてしまった。 「はい。東西から黒鷺館を狙って峠を回り込んだところ、正面からぶつかった。互いに裏をかこうとして失敗したらしく、鉄砲やら妖獣どもの吠え声やら大変なさわぎとか」 「急いで陸路を取らないでよかった。曙川に聞いた非常時の取り決めは、馬か徒歩で音聞峠まで駆け、そこから洞窟に入って舟に乗り換えるとのことでしたから」そうメグが言うと、 「つまり、その取り決めが漏れていたということですな」と黒狐が言った。「両軍とも峠で待ち伏せるつもりだったとも考えられます。御家老はともかく豪胆斎にまで伝わっていたのはうれしくない」と聞かされ、みんなぞっとなった。 「たしか赤い影と豪胆斎は因縁の相手ではなかったですか」お福が言った。彼女は赤い影がよほど気になるようだ。  黒狐はうなずいた。「その昔、赤い影は頭目の一人を奴に殺され、豪胆斎はお気に入りの弟子を殺された。おそらく両者に手打ちはないでしょうから、この隙に矢後に入って、それからまたこっそりと逃げるのはどうでしょう。あそこなら六人でも目立たない」 「私に異論はありません」メグが言うと、皆揃って動き出した。  どうやって交渉したのか、出発間際の三艘のうちのひとつに、全員が乗り込むことができた。金をいっぱい遣ったのだろうな、とメグは思った。一行は、路銀として胴巻に入れた金を持たされている。かなり重いが姫様のメグだって例外ではない。彼女の気持ち的には、館で働いてくれていた者たちにもう少し分け与えたかったのだが、「落ち着いてから、あらためて礼をいたします」と厳しい金番に却下されてしまった。  その孔雪によると、金は全部合わせればそこそこの額になり、わずか六人なら当面は食べるに困ることはないだろう。ただ、移動の間になんとか、各地に点在するメグの領地に保管する彼女の個人資産を手にしたいと小さな軍師はいう。誰が信用できるかわからない状況下、腹違いの姉の臣下をはじめ、他人に快く協力してもらうには、やはり金を撒くのが一番というわけだ。  船の中は想像ほど狭くなかった。  だが、かなり揺れた。  岸を出てしばらく経過し、まさに急流に達したせいなのだろうが、腰下が絶えず揺すぶられる。  船体も操船者もハイレベルな御座船かそれに準ずる船にしか乗ったことのないメグは、乗合船の乗り心地の悪さに少々焦った。  しかし、船室に目が慣れてくると、乗客はほとんど似たような蒼い顔をしているのがわかって、ちょっぴり安心もした。  黒っぽい頭巾の黒狐は少し離れたところにいて、ときどき出たり入ったりして周囲の様子を探っている。一方のメグたち女性五人組は、目立たないように角にひとかたまりになっている。そのせいでよけいに揺れを感じるのかもしれない。  一部の船員が、メグ一行を見てヒソヒソ話をしていたように思えたが、黒狐が平然としているので彼女も気にしないことにした。  揺れる船内ではお福だけが平然と、しかし不服そうな顔をしていた。彼女は船酔いなどしないし、水に落ちても体力の続く限りどこまでも泳ぎ続けられる。 「この船の船頭たちはどうです?」機嫌をとるように美歌が囁いた。 「まあ、こんなものでしょう。少々荒く感じるのは、この船が本来、もっと大きな川でたくさん荷物を積んで使うものだからかもしれませんね」 「なるほど」  たしかに、いつも館から見ていた川舟に比べるとずっと立派なつくりをしていて、船体も二層になっている。普段は大きな荷物を運んでいるのかもしれない。  助かったと思うのは、嫌なにおいのしないことだ。この船の前に出発した船は普段なにを積んでいるのやら、近づくとなんともいえない異臭が漂っていた。女たちが一斉に文句を言ったため、黒狐はあわてて再交渉に行った。余計な金がかかったのだろうかと、ここにきて申し訳なく思う。  だが、ようやく揺れに諦めがついた頃、黒狐が顔を出してささやいた。 「お蘭さま、しばらくの間、皆をお守りしてくれ」 「どうしました」メグの問いに、 「正体不明の小型船が近づいてきます。なかなかの高速です。赤い影は船を好みませんが、使わないわけではないし、こういう場合に金は惜しまない」 (またかあ)メグは内心で大きくため息をついた。 (一難去ってまた一難。楽に逃げさせてはくれないよ)
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