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「ねえ、覚えてる?」
すぐ隣でブランコに座る美紗子が、明るい声で言った。
少し肌寒い秋の風が、彼女の制服のスカートをはためかせる。
「何の話?」
俺が聞くと、彼女は「去年の私の誕生日のこと」と口をとがらせる。
「ああ、それはもちろん。忘れるわけないだろ」
「私の誕生日前夜、電話で急に幸一を呼び出したのに、すぐに来てくれたよね。しかも、ここの公園って、幸一の家から遠いのに」
「まあ、そうだな」
美紗子は母子家庭で、さらに、母親はスナックで働いている。夕方に出勤し、早朝まで帰ってこないことがほとんどだ。そして、彼女の誕生日前日の夜、寂しいからという理由で、唐突に俺の元に電話をかけたのだ。
「来てくれると思わなかった。しかも誕生日プレゼントまで用意して。まあ、プレゼントなんて期待もしていなかった私を待っていたものが、巨大なホールケーキだとも思わなかったけど」
「ああ、あれは急に用意しなきゃと慌てて買ってだな」
「大きいよって怒る私に、幸一は、愛の大きさだよ、なんて言うから思わず笑っちゃったよね」
「はは。我ながらくさいセリフを言ったよ」
砂場で遊んでいた子供が、公園の外に走り出していた。その先には、お迎えに来たパパとママとおぼしき人がいた。その子供は両親に挟まれて手を繋ぎ、横断歩道を渡っていった。
「子供の頃の友達にも、誕生日なんて祝ってもらったことなかったんだよね。まず、自分の家に友達なんて呼びたくなかったし」
「へえ、そうだったんだ」
「だからバースデーソングなんて生まれて始めて歌ってもらった。まあ、夕立みたいに激しく歌うもんだから、通りすがりの人が驚いた顔でこっちを見てたもん。もう恥ずかしくて顔から火が出そうだった」
「はは、いや、あれは本当にすまない」
「そして、おやすみを言って別れる時、あんなことを言われると思わなかった」
「うん?」
「結婚しよう。幸一の言葉に、心臓が止まるかと思った」
彼女が目を細める。その表情は、どこか寂しげだった。
「高校卒業まで待ってほしい。私はそんなこと言ってはぐらかしたけど、本当はすごく嬉しかったんだよ。結婚できるなら、すぐにでもしたかったくらいだよ。その日から、卒業の日が待ち遠しかった。早く幸一と一緒になりたい。そんなことばかり考えていた。それなのに……」
彼女は瞳を閉じ、顔をわずかにうつむける。
「一緒に卒業を迎えることもできなくなったなんて、信じられないよ」
静かな公園に、葉擦れの音だけが響いていた。
「ふふっ」
彼女がゆっくり目を開ける。その口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。
「こんなことしゃべっていると、まるで隣で幸一が聞いてるんじゃないかって思っちゃう。私の言葉が、幸一に届くわけないのにさ」
彼女が言ったことに、俺の胸が強く締め付けられる。届かないのは、君の言葉じゃない、俺の言葉だよ。頭に思いついたそんなセリフを、俺は口にしなかった。
「幸一、もし近くにいるなら、聞いてね」
彼女はそっと立ち上がり、大きく息を吸う。背後から差す西日に、彼女の茶色い髪が輝いていた。
「ずっと、いつまでも、幸一のことが好きだよ」
彼女はそう言って、ゆっくりと歩み始める。踏み出す度に、砂を噛み締める音が、乾いた空気を震わせた。
俺はブランコに座ったまま、遠ざかっていく彼女の姿を見つめる。燃えるように赤く染まった公園、にじんだ景色の中の彼女は、変わらずきれいだった。
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