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小籠倫他の告白
「な、なんで……叔父さんがここに?」
以前、病室に叔父さんを連れてこようとした時は病院関係者に強く阻まれてしまったのに?
「ありふれた日常に嫌気がさしている人間なんて、たくさんいるんです。わたしの見た目と生い立ちは、非日常を演出するのに役に立つので……まあ、籠絡のやりようはいくらでも。お兄さんが目覚めたと聞いて、つい手を尽くしてしまいました」
「……そういう悪趣味なことは、やめろと言っただろう」
「ごめんなさい、ぼくはちょっと、生まれつき気が狂ってるもので」
僕の前で二人が話す姿を見るのは久しぶりだ。
元々、三人で一緒に住んでいたのにいつからか喧嘩別れをして別居したと聞いていた。
当時の僕の目からは、二人の諍いの原因は分からなかったけれど……。
「せっかく三人揃ったことですし、昔話の続きでもしましょうか」
叔父さんは病室の扉を閉めて、そのまま扉にもたれ掛かる。
部屋に一歩入った場所から、僕たちに近寄ろうとはしない。
叔父さんはいつもの一人称と昔の一人称が混じりあっていたけれど、雰囲気だけは終始穏やかだった。
「すみません、あの時、ぼくがお父さんの言いつけ通り自殺を躊躇わなければ……こんな厄介な状況になることもなかったのに。お兄さんに、親殺しの罪を被せることもなかったのに」
叔父さんはしきりに足踏みをして、靴の中でつま先を丸めている。
「……でも、躊躇ってしまった。死にたくなかったわけじゃないんです。ずっと、生きながら死んでいるようなものでしたから。本当におそろしかったのは……、自殺して、わたしが本当に、誰からもいらない人間だって……思い知ることだったんです」
「倫他。それは……」
「ぼくが死んで、わたしがワイラハイラがなれば、それはもう揺るぎない事実になってしまう。だから、ひと思いに死ねなかった。いつもやさしいお兄さんの本心なんて、知りたくなかった……」
弁明しようとする父さんの言葉を、叔父さんは受け付けない。
「ねえ、お兄さん」
相変わらず自分の足下を見つめていた叔父さんは、一呼吸おいて微かに震える声で父さんに言った。
「中途半端な優しさや同情って……ただ殴られるより、痛いんです」
「………」
「腹違いの兄弟のことなんて、完膚無きまでに捨て置いてほしかった。ましてや、ぼくのために……なんて理由で、母親も表沙汰にできない新しい命を育んで欲しくなかった」
父さんは何度もなにかを言いかけて、そして再び口を噤む動作を繰り返している。
いまの叔父さんに伝えるべき言葉を探しあぐねているのだろう。
「……だけど、えっちゃんがいたから」
叔父さんの視線が、父さんから僕へとうつる。
「ぼくなんかのために、生まれる命なんてあってはならない。そんな一心で手を汚しました。……でも、きみは、まだ、生きてる」
無意識に自分の首元に触れた。
どうやら僕は、一度この首を叔父さんに絞められているらしいけど……ちゃんと、いま生きている証である脈動は指に伝わっている。
「わたしの代わりに、ワイラハイラをその身に宿して。……だから、また儀式をやろうと思いました。今度はちゃんと間違えずに、変な期待なんて持たずに、ちゃんと役目を果たそうと。お兄さんに邪魔されながらも、ぼくは千切れた指を本の中に投げ入れました。そしてその時願ったのです。なんでもしますから、えっちゃんには、手を出さないで下さい……と」
「な、なんでそんな願いを……? 叔父さんだって、辛かったはずなのに……」
「なんで? やっぱりおかしなことを言いますね、えっちゃんは」
叔父さんは心底面白そうに笑う。
「どうせ生きるのなら、しあわせになってほしいじゃないですか。それが甥っ子なら、尚更です。ぼくでは手に入らないものを、その手に掴んでほしかった。それが、ぼくがえっちゃんにできる……せめてもの贖罪だと思いました」
「………」
無くした左手の先を右手で包みながら、叔父さんは続ける。
「その願いが聞き入れられたのか、どうなのかわかりませんが……幸い、えっちゃんはすくすくと育ってくれました。村の方々へは、ぼくが仕上げの儀式を完遂したけれどその過程の不慮の事故で父親を殺してしまった、だからお兄さんが常に監視役として見張っている……と、いうことにしました。そうですよね? お兄さん?」
「……そうだ。村からは、慣例通りワイラハイラの宿った倫他も殺すべきだと意見も出たが……いい加減、時代にそぐわないことと、たとえ子供であっても人間一人を消す労力を説明して、私が抑止力になると約束した」
叔父さんにバトンを渡されて、父さんはようやく口を開いた。
「さんざん、お父さんの死を隠蔽するのに苦労した後でしたしね。まあ、お兄さんというトカゲの尻尾がいるから、それが切れるまでは自分たちは安全だと思ったのでしょう。だから、お兄さんが襲われた後の村の方々の反応は滑稽なほど露骨でしたよね?」
ここまで、わかりますか?と叔父さんが僕に向けて理解を促す。
僕はただ気圧されて、小さく頷くことしかできなかった。
「村の監視の中で、ぼくときみと、そしてお兄さんの暮らしが始まりました。比較の対象がないのでわかりませんが、きみは育てやすい上にとてもかわいい子でしたよ。その合間で、ぼくとお兄さんはワイラハイラを本当に終わらせる方法を探し始めました。そして、君が胤待神社から盗んだ、表紙に書かれていた文字がその手がかりだと突き止めたのです」
僕と叔父さんの間に、小さな鈴のついたなにかの鍵が放り投げられる。
「それ、神社のお友達に返しておいて下さい」
「え?」
「結構、頻繁に拝借していたんですけどね。とうとう気付かれてしまったようなので」
「お、叔父さんが比奈夫から盗んだの?」
「有り体に言えば、そうなります。正面から行っても望みが果たされない可能性が高い場合、少々道を逸れるしかないでしょう? えっちゃんだって、わかりますよね?」
「それは……」
どうやら、僕が比奈夫の家に忍び込んだことまでバレているらしい。
「ですが、突き止めた後が大変でした。なにせ、本物のノロイというものは、誰も知らないからこそノロイ足り得るのですから。文献を紐解いて、口承を訪ね歩いたところで、手に入るのは手垢の付いた使用期限切れのものばかり。真相を知るために、ずいぶん長い時間を費やしてしまいました。そしてある日、とうとうお兄さんが気付いたのです」
「父さんが?」
「はい。仮説の域は出ませんが、ほぼそれで間違いないだろうと。わいらいはいらい、けふうしかわず……の、部分ですね」
「少々、音と区切る場所は違うが」
「唱えれば、ほとんど同じですよ。この世は似て非なるもので溢れていますから、大目に見て下さい。お兄さんはね、自分の気付きをなぜか決してぼくに教えてくれませんでした。だから、ぼくは自力で見つけるしかなかった。周回遅れで、ようやく辿り着いた時にはもう30歳手前で愕然としました」
「それが、喧嘩の原因?」
「おや、覚えていますか?」
「あんまり、記憶はないけど……」
「えっちゃんの前では、言い争いはしないように努めていましたからね。お兄さん?」
「あぁ……」
父さんはすっかり勢いを失ってしまったのか、組んでいた指も解かれてだらんとシーツに流れるままだ。
「だから、今日は最期の挨拶に来ました」
「あいさつ?」
「お兄さんの脚を奪っておいて……さすがにもう、愛されているかもしれないなんて、馬鹿げた希望は持ちませんよ」
「……叔父さん、まさか、死ぬつもりなの? でも、僕は叔父さんのこと……」
「ああ、ありがとうございます。本当にうれしいです。まったく、この愚かな身に余るぐらいありがたいことですね」
ゾッとするほどの棒読みで、叔父さんは僕を通り越した奥の存在へ向けて言う。
「でも、えっちゃんはワイラハイラですから。べつに、わたしを嫌っていても好いていても、どうでもいいことです」
「どうでも、いい、って……」
少なからずショックを受ける僕を見て顔を歪めた叔父さんは、取り繕うように見慣れた左右非対称の笑みを無理やり浮かべた。
「きみと過ごした日々は、とても楽しかったですよ。信じてもらえないかもしれませんが、わたしはえっちゃんの叔父さんでいる時間が一番すきでした。えっちゃんとの時間はすべて、わたしの大切な宝物です。……願わくば、ずっと、今のままでいたかった。ですが、気付いてしまいましたから。もう、後には引けませんから」
叔父さんは頑なに詰めなかった僕たちとの距離をそのままに、踵を返して病室から出ようとする。
「お、叔父さん!」
「えっちゃん、大丈夫ですよ。これまでの生活に、わたしがいなくなるだけです」
「そ、それが一番、イヤなんだって!」
叔父さんに駆け寄りたかったのに、威圧感と拒絶された衝撃でうまく立ち上がれない。
僕の内心の動揺をしっかりと見抜いた叔父さんは、その隙に普通の見舞い客のように立ち去ってしまった。
「お二人とも、どうか末永く、お幸せにお過ごし下さい」
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