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「どうしよう、父さん……」
叔父さんがいなくなった病室で、僕は父さんに向き直る。
父さんはしばらく僕を無表情に見つめた後、ゆっくりと瞬きをしてから言った。
「越生は、どうしたい?」
「……僕?」
「私は、自分の父親のようには……絶対になりたくないし、なるつもりもなかったのに……結局、身内を助けたいなんて利己的な気持ちでお前を成した時点で、血は争えないことが決定づけられていたようだ」
「あ、争えないから、それがなんだって言うのさ。僕は自分が会ったことも話したこともないような人のために、大事な二人が苦しんでいる姿なんて、もう見たくないよ」
僕の記憶の中にある祖父の姿は、古びた遺影の中の写真一枚きりだ。
「……お前、私たちの話を聞いていたか?」
「イヤと言うほど聞いたよ。でも、それでもやっぱり……僕は、二人のことを家族だって思ってるし、できればまた……一緒に暮らしたい」
「……私、たちを……ゆるして、くれるのか」
信じられないものをみるような目で、父さんが乞う。
「ゆるす、ゆるさないの問題じゃないよ。二人とも、最善を尽くしただけじゃないか」
それが悉く、裏目に出た悪手だっただけ。
「だが、私は、お前を勝手な都合で……」
「子供はみんな、親の勝手な都合で生まれるもんでしょ。子供から頼み込んで生まれることなんて、ない。大事なのは、生まれた後の関わり方だと思う。僕は……べつに、二人に不満なんてないから。そりゃ、もうちょっとぐらい父さんは喋ってくれたらいいかもとは思うけど……」
でも、もう慣れたよ。と笑ってみせたら、父さんは不意に俯いて強く目頭を押さえた。
「ワイラ、ハイラは……」
そして、おそるおそる禁名に語りかける。
「本来、無垢な存在だ。ノロイと呼ぶには……そぐわない」
「むく?」
「水子の霊と、動物霊が混ざり合って漂っていたところを、邪眼持ちによって名前を与えられた。人間の願いを叶える代わりに、受けるはずだった生を授けて欲しいと。そしてそれは歪んで伝承され、取り戻せないほど捻れてしまった。願いが叶って身体を手に入れたと思った途端、殺され続けてはや数百年……、もう、嫌気がさしているだろう」
「たしか、呪われているのはお互い様とか言っていたような……」
「お前には、本来人間に備わっているはずの恐怖心や猜疑心や功名心やその他もろもろの感情が著しく欠如している。だから、私の話を聞いても、体の中に別の存在が居ると言われても、あまり動じないのだろう」
「父さんまで、そんなことを言う……」
「いや、いいんだ、悪い意味じゃない。お前は最初こそ、無垢な力の介入で生きながらえたのかもしれない。だが、19年……いや、もうすぐ20年か。その間、越生が越生として生きてきた時間は、ちゃんと積み重なっているようだな」
「そんなの、当たり前だよ。僕は僕として、こうして生きているんだから」
「あぁ。お前はもう、ワイラハイラであり……同時に、越生でもある」
「そう言ってくれるのは、今のところ父さんだけだけどね」
「お前の越生という名前も……この、バカバカしい系譜を越えて生きて欲しいと願ったからだ。ただの番号でも、仲間外れの証でもない、ちゃんとした、希望の込められた名前を、お前に……」
「……これまで、何度聞いても教えてくれなかったくせに。小学校の時、自分の名前の由来を聞きましょうって課題が提出できなくて、本当に困ったんだから」
わざと茶化すように口を尖らせるけれど、実際は鼻の奥がツンと詰まってまた涙のお世話になりそうだった。
父さんの愛情を、疑ったことはない。
でも、やっぱり言葉にして伝えてもらえると……うれしい。
「……悪かった。本当に、わる、かった……」
「いやだな、父さんまで泣かないでよ」
「泣いてない」
いや、今にも溢れ出しそうだし、目頭を押さえていた指は光っているけど……。
あえて、問わないでおく。
「越生」
改めて、名前を呼ばれる。
「お前に、頼みがある」
「うん、わかってる」
「倫他を、たすけてやってくれ」
僕は無言で頷いた。
そんなこと、言われなくても分かっているし、僕は最初からそのつもりだ。
「畏等、逝拝来、稀有主、交ス……この言葉の意味を、私はずっと守り通してきた。一度しか言わないから、よく聞いて……」
「あぁ、待って、メモするから」
本を不可抗力で盗んでしまった時の二の舞になりたくない。
僕はしっかりマナーモードにしたスマホのメモ帳を起動して、父さんの言葉を待った。
「父さん?」
「……いや、そうやって携帯電話を流暢に操る姿を見ると、忌まわしき因習なんて本当にばかばかしくなってくるな……」
「実際、ばかばかしいんだよ」
父さんは憑き物が落ちたように気の抜けた顔で笑った。
なんだ、そんな顔も、ちゃんとできるんだ。
これからはもっと、そんな顔がみたいと思った。
「叔父さんが素直に好意を受け取る気になるまで、僕は絶対に諦めないから」
「私も、そのつもりだったが……」
父さんの視線の先には、不自然に凹んだ下半身。
「今の倫他は、かなり追い詰められている。私が言えた立場ではないが……無茶はしないでほしい」
「……説得力があるね」
***
「越生くん、ちょっと待って」
父さんの病室を出て、足早に病院を立ち去ろうとしたら真子に呼び止められた。
「真子。ごめん、悪いけど今は……」
「うん、わかってる。だから、これ……」
いつも肩でふわふわと跳ねていた髪を思いきった長さのベリーショートにした真子は、ちょっとだけ恥ずかしそうに前髪を手櫛で整えつつ僕に星の形をした貝のキーホルダーを差し出した。
それは二枚組で、蛤のように二つがピッタリと合わさっている。
「な、なにこれ……?」
「魔除けだって。クモ貝? っていうみたい。角がたくさん突きだしてるから、悪霊退散に効果があるって……家庭教師の人が言ってた」
家庭教師……赤間さんか。
「……ごめんね、越生くん」
「え? なんで真子が謝るの?」
「アタシたちが村に来たせいで……越生くんの家はずっと苦しんできたんだよね」
「………」
赤間さん、あの無自覚の無神経さを真子にも遺憾なく発揮したな。
「あんまり、実感はないんだけどね……もうずっと昔のご先祖様のことを言われても、ピンとこないっていうかさ」
「僕も同じだよ」
「でも、こうして目の前で越生くんたちが困っているのをみると……アタシにできることなら、出来るだけやりたいと思うよ。あ、アタシに友達が出来ないのもこの眼のせいなのかなって思ったら、ちょっと気が楽になったかも」
「……それは違うんじゃない? 真子はいい子なんだから、なにかきっかけがあれば、僕以外の友達なんてすぐにできるよ」
「そうかなぁ……でも、アタシは……」
これは紛れもない本心だ。
いつもタイミングが悪いだけで、真子自身には何の落ち度もない。
それは、長年幼馴染をやっていた僕が保証する。
「……新しい友達をつくるより、越生くんともっと仲良くなりたい、かも」
眉毛がはっきり見えるほど短く切られた前髪のおかげで、真子の特徴的な瞳がよく目立つ。
綺麗な瞳だと思う。
本当に真子が邪眼ならば、こんなにまっすぐ見つめられて、心穏やかになるはずがない。
「そっか、それじゃあ、そろそろ僕のことあだ名で呼ぶ?」
「いいの!?」
「うん、呼び捨てでも良いけど……真子は礼儀正しいから、イヤなら別に……」
「えっちゃん!」
前のめりに呼ばれた懐かしいあだ名に……もはや叔父さんだけに呼ばれていたあだ名に、僕は一瞬違和感を覚えたけれど、すぐにそれは綺麗に溶けてしまった。
「これから、アタシもえっちゃんって呼ぶねっ!」
なにがそんなにうれしいのか、真子はここ最近で一番かわいい顔で微笑む。
僕はそんな真子から魔除けを受け取って、病院を後にした。
駐車場に止めていたいつもの軽トラックに乗り込んで、また自宅を目指す。
「……あれ?」
順調に帰路を刻んでいたのに、あと一キロほどというところで急に車の調子が悪くなってしまった。
車通りのほとんどない道だけれど、一応路肩に寄せて復旧を試みる。
すると助手席側から、誰かが窓硝子を叩く音がした。
「えっちゃん」
これは、真子の声じゃない。
さっき、今生の別れのように病室を立ち去った叔父さんの声だ。
「叔父さん?」
音に反応して助手側のトビラを開ける。
その瞬間、左手以外に鋭い痛みが走って、僕は運転席を乗り越えて助手席から地面へ転がり落ちてしまった。
舗装されていない泥の中へ、受け身も出来ず無様に突っ込む。
「あいたっ!?」
身体中が、痛い。
ジッと息を殺して、何度も繰り返される痛みの波をやり過ごすうちに次第にその周期が分かってきた。
大きな痛みと痛みの間を利用して、唯一、痛覚に支配されていない左手を頼りに車体を掴んでなんとかヨロヨロと立ち上がる。
「お、おじさん……? どこ……?」
叔父さんの声がした方向へ視線と耳を向ける。
なぜか軽トラの荷台の上に腰掛けていた叔父さんは、僕が立ち上がったことをみとめると、ニコリとも笑わずに宣言した。
「さぁ、ワイラハイラを仕上げましょうか」
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