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生人剥【ショウニンハギ】
「へぇ、これが越生くんご自慢の愛車ってワケか。立派、立派」
叔父さんから借り受けた古い軽トラックの助手席に乗り込んだ比奈夫は、ちゃかすようにジロジロと車内を見渡す。
「ほっとけ。でも、車高が高いから運転しやすくて助かってる」
「そうかぁ? 最初はデカい車で車体感覚掴んだ方が良くない? 俺の車貸してやってもいいぞ」
比奈夫は免許をとってすぐに親父さんに新車を贈られていた。
毎日駅まで車通学しているらしいので、運転なんて慣れたものなのだろう。
「……ぶつけた時に、責任とれないんだよなぁ」
「おい、なんでぶつける前提なんだよ。お前って、そんなに運動神経悪かったっけ? 高校時代はなんでも器用にこなしてただろ。器用貧乏だったけど」
「一言多いんだよ。なんか、運転は苦手なんだよね……感覚がつかみにくいというか。自分の手足として動かすには程遠いっていうか……」
「……待ってくれ、エンジンをかけるな。降りて良いか?」
「大丈夫大丈夫、もう随分慣れたから」
「あっ! おいやめろ! 俺はまだ死にたくない!」
「僕だって、そうだよ。でもここで暮らしていくなら、運転くらいできないとダメでしょ。何事も、練習練習」
「お前の変に真面目なところは美点であり欠点だよな……」
「ちゃんとここまで運転してきたんだし、運転手歴も半年だからね」
「じゃあ、信じるぞ。そのかわり、俺が止まれと言ったら必ずブレーキを踏め」
「了解」
比奈夫を助手席に乗せて、胤待から中心街へと車を走らせる。
『あいつの運転手、いつまで続けるんだ?』という問いかけに口ごもって答えられなかった僕を見かねて、比奈夫はサボりを口実にドライブに誘ってくれた。
いつまで……と、聞かれても答えようがない。
だって、叔父さんは家族だから、求められればいつだって引き受けるつもりだ。
期限を決めて……なんて、考えたこともない。
それより、村の人たちの叔父さんに対する冷たい態度の方が気になって思考が鈍っていた。
確かに、叔父さんは昔から社交的とは言えないけれど、周囲の態度もここまであからさまではなかったはずなのに。
なにか、あったのだろうか。
僕にはぜんぜんわからない。
情けないことに。
半年前に父さんが倒れてから、ずっとそっちにかかりきりだったせいもあるかもしれない。
仮に何かあったとして、叔父さんならきっと僕に迷惑をかけまいとなにも言わないだろう。
相手が話したがらないことを無理に聞き出そうとすることほど、困難なことはない。
一時的な関係ならともかく、相手が長期的な関係を結んでいる相手なら尚更だ。
だから、比奈夫は話題を逸らしてドライブに誘ってくれたし、僕もその誘いに乗ることにした。
比奈夫と連れだって神社を出て行く最中に、神主さんと奥さんに出会った。
神主さんの叔父さんへの剣幕を見たばかりだったからちょっとドキリとしたけれど、夫婦そろって息子の友人に対して微笑みつつ軽く会釈をするという、いつもと変わらない姿勢に肩すかしをくらう。
神主さんなんて、まるでいま初めて僕の姿を見た、とでも言わんばかりの表情だった。
「ふーん、なかなか安全運転じゃん」
「お褒めに与り光栄です」
ドライブ、と言っても僕たちの暮らす日胤村に観光する場所なんてない。
目的地はいつものファミリーレストランだ。
高校時代から変わらず、僕たち学生をやさしく受け止めてくれる場所、それがファミレス。
「駐車も一発OKで問題なし……と」
「及第点ですか? 比奈夫さん」
「うむ。今後も精進するように」
比奈夫に限らず、父さんが倒れてからの半年はずっと身内にかかりきりだった。
今日は生きていても、明日のことは約束できない、とお医者さんに言われすぎて精神がすり減っていたから、久々の友人との会話は気負わずに軽口を叩けて気持ちが休まった。
やっぱり、友達っていいなぁ。
「……さて、じゃあどこから話そうか」
比奈夫はファミレスと言ったらコレだろ、と注文したイチゴパフェをつつきながら言う。
僕はあまりお腹もすいてなかったから、ドリンクバーだけ注文した。安っぽいけれど懐かしいメロンソーダを喉に流し込む。
「どこから……って?」
「まあ、そうなるよな。てか、イナエタがお前を連れてくるなんて思わなかったし」
「いなえた? なにそれ? それってもしかして、おじさんのこと?」
「今は、そうみたいだな。……えっ? まさかお前、マジで知らねえの!?」
「う、うん……」
あんぐりと口をあけて、パフェ用のロングスプーンを取り落とす比奈夫。
「そっか〜。そうかそうか、相変わらず過保護だなあ、うんうん」
「なんだよ、知ってるなら教えろよ」
「俺だって全部知ってるワケじゃないけどさ、じゃあ、『生人剥』って知ってるか?」
「しょうにんはぎ? ……知らない」
なんだか今日は知らない単語ばかり耳にする。
しかも、そのどれもが良い予感がしないものばかりだ。
「生人剥っていうのは、お前の叔父さんが犠牲になった呪いの儀式のことだよ」
「ぶふっ!? な、なにそれ……ゲホッ、ゴホッ……」
「うわ、きたねぇな」
リアリストだと思っていた友人の口から、叔父さんの冗談をそのまま真に受けたような台詞が飛んできたので、思わず飲んだばかりのメロンソーダを吹き出してしまう。
「ショウニン、って一言に言ってもな、色々とこの部分に当てはまる言葉がある」
比奈夫は紙ナプキンにアンケート用のボールペンでつらつらと『ショウニン』の文字を重ねる。
『承認』
『小人』
『聖人』
『上人』
『証人』
『生人』
「最後に書いた生人って字をあてるのがほとんどだけどな。その理由は、共通してこの契りには生きた人間が使われるからだと聞いた。主に子供を使う。手足を生きたまま破壊して砕き、胴体は土に埋めて頭は出す。その時、四肢を砕いた粉は周囲に撒いておく。神仏のもとへ逝かせないようにするため、契った対象のために働かせるためだとさ。動物でやったら犬神とか、そんなふうに呼ばれたりするよな」
「よな、……って、言われても……」
話についていけない僕を置き去りに、比奈夫は淡々と説明を続ける。
いつの間に、『ノロイ』なんて言葉はここまで市民権を得たのだろう? いや、ソレが昔からあったことは知識の上ではしっていたけれど、それは昔話の中だけで、まさか自分が生きる現代まで適応されているなんて……。
「ま、ンな深刻な顔するなよ」
「そう言われても……」
「俺だってまるっと全部信じてるワケじゃない。第一、本当に犠牲になったのならなんで叔父さんはまだ生きてるんだ、て話だろ?」
「そうだね、何なら僕より運動神経良いし、健康な気がするよ」
左指がないことも相まって叔父さんの雰囲気は実に薄幸だけれど、その心身は特に問題ないと思う。
「でも村の文献にはハッキリとお前の叔父さんが生人剥に選ばれたこと、そしてイナエタになったことが残っているんだ。そして、お前の父親が倒れてから、俺にもよくわからんが皆そろって今みたいな態度になっちまった。俺だって困惑しているし、好きでお前の叔父さんに冷たい態度をとってるわけじゃないんだぜ? でもそうしないと、どうにも居心地が悪くなる。同調圧力ってヤツに家庭内で屈するつもりはないけど……まあ、避けられるものなら避けたいよな。だからせめて、関わる時間を少なくしてあんまり叔父さんのことは傷つけないようにしてる。信じてくれないかもしれないが、俺の親父だって普段は叔父さんに負けず劣らず誰に対しても腰が低いんだぜ? 入り婿だし」
そうか、だから比奈夫もあんなに叔父さんにそっけなかったのか。
小さい頃はむしろ懐いていたはずだったのに、おかしいと思った。
生人剥……。
イナエタ……。
この二つに、いったいどんな意味が込められているのだろう。
「で、てっきり越生も村の連中と同じなのかと思ったら、お前だけは普段と同じだった。あの異常な空間で、普通にオロオロしてたから、話してみたいと思ったんだ」
「いや……そりゃオロオロするでしょ、あんなの……。あんな……」
思い出してもちょっとこみあげるものがある。
藁人形だけでもゾッとするのに、それに血塗れのちぎれた耳だなんて、あれは……。
「美術の時間に、耳を削いだ芸術家の映画を見たよな。ひまわりの絵を描いてた」
「ゴッホのこと?」
「そうそう。あの画家は、耳を削いだあとも元気に生きてたよな」
「元気かどうかは知らないけど……あ、でもさ、アレって警察に通報とかしなくていいの? 誰の耳にしても、事件性がありそうなんだけど……」
「そうだよな。俺も思った。でも、親父たちはイナエタに任せればいいってそればっかり。俺には、あの耳は作り物だって言ってたぜ」
「作り物? そうなの?」
「さぁなぁ……。作り物だと言えばそう見えるし、本物だと言えばそう見える。大体、ソーセージだって見ようによっては人間の指に見えるし、人間の認知なんて曖昧なものなのかもな」
「……話が逸れてるよ、比奈夫」
「冗談の一つでも言わなきゃ、やってられんって。親父たちにとって俺らはまだ子供で、どうにも蚊帳の外って感じが否めない」
パフェの底に溜まっていたコーンフレークがふやける前にさっさと食べ終えた比奈夫は、フゥとため息をついて僕に居直った。
「なあ、お前はどう思う?」
「えっ? 僕?」
「気になるだろ? 大人たちが俺らに隠していること。てか、俺らだって来年はもう成人なんだから、知る権利があると思わないか? ……まあ、今は父親の様子のほうが気になるかもしれないけど。……そしたら、無神経なこと言ってゴメン」
「……父さんはもう随分安定したから、大丈夫だよ。でも、そうだね……」
もしも仮に、叔父さんに直接詳細を聞いたとしよう。
きっと叔父さんは「まさか」と笑ってまともに取り合ってくれないだろう。
ノロイうんぬんも、子供の頃に一度聞いたきりだ。
僕らは家族で、現在進行形で辛いときに支え合っている。
互いが互いの負担になりたくないと思っているし、自分で言うのもなんだけれど僕は自分の精神の安定を叔父さんに一部預けてしまっている。
叔父さんがうれしいと僕もうれしいし、叔父さんがかなしいと僕もかなしい。
良くないことだとわかってはいるけれど、長年適切な距離に頼る大人がいなかったことも手伝って、ちょっと叔父さんに依存している自覚はある。
叔父さんもそのことをわかっているから、僕の前ではできる限り『良い大人』然としてくれている、と思っている。
僕の勝手な思いこみかも、しれないけど。
でも僕だって、家族のためにできることがあるなら。
「……気には、なるよ。だって、あんな冷たい態度をとられて平気な人なんているわけないんだから」
「お前の叔父さん、感情が表情に出ないからわからないよな。ああいうタイプは余計に迫害を助長させるって先週の授業で言ってたぜ」
「比奈夫、お前、授業なんて出てるのか……」
「学費出してもらってるんだから、真面目に通うのは当たり前だろ」
「じゃあ、今はなんなんだ?」
こうしてファミレスで甘味を食らう昼下がりは。
「これは緻密に計算されたサボりだから大丈夫。お前こそ、大学はどうしたよ」
「今日は六限だけなんだ」
「なにそれ、そんなおかしな時間割にするなよな。午前中暇すぎるだろ」
「意外と便利だよ。細々した用事がこなせるし、それにこうして友達と久しぶりに話ができたし」
それに、父親が倒れてからの半年間、いかに自分のことだけで手一杯だったのかを思い知らされた。
家族が困っているときになにもできないのは、もうイヤだ。
「……僕も、調べてみるよ。なにからはじめたらいいかな?」
「俺は家を漁って『生人剥』について調べてみる」
「じゃあ、僕は『イナエタ』だね」
「大丈夫かぁ? お前に腹芸ができるなんて、俺にはとうて、い……い、ぃ、いたたたたたた」
「比奈夫? どうした?」
「あ、あれ? なんか、すげぇ腹が痛くて……ちょ、ちょっと便所!!」
言うが早いが、比奈夫は前屈みになりながらトイレまで一直線に駆けてしまった。
残された僕は、とりあえず座り直して二杯目のドリンクバーについて考えはじめる。すっかり甘ったるくなってしまった口を仕切り直すためには、なにを選ぶべきか……。
「越生くん」
聞き慣れた声がして顔を上げると、幼なじみの藤堂真子がいた。
「久しぶりだね」
「うん、偶然だなぁ、驚いたよ。どうしたの?」
真子と会うのも、父さんが倒れて以来だから半年ぶりだ。
「越生くんの姿が、見えたから」
オレンジジュースを手に持った真子は当たり前のようにさっきまで比奈夫が座っていた僕の向かいに座った。
赤茶けた髪と色素の薄い瞳が印象的な真子は、控えめな態度を崩さずに僕に問いかける。
僕は昔からのつきあいだから慣れているけれど、瞬きもせずにジッと大きな瞳で責めるように相手を見据えるのは真子の悪い癖だ。
大丈夫大丈夫、責めているつもりなんてないこと、僕はわかってるから。
「さっき、アタシ以外のお友達と、なにを話してたの?」
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