一話 子猫連れの野犬

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一話 子猫連れの野犬

猫澤(ねこざわ)くん、ボリスを見てくれ。腹出して寝てるのが可愛くって 」 「 悪くないですね。私の()達の方も可愛いですよ 」 ボリスという名前の、狼犬の姿をした愛犬を御自慢してくる彼は、一流企業の社長であり私の上司 犬塚(いぬづか) 拓海(たくみ)という、 名字に恵まれてると思う程、本人も大がつく程の犬好きであり、それは社内では知らない者が居ないってほどに有名な方だ 彼の飼ってる゙ボリズと言う愛犬はニヶ月前に、彼自身が前に飼っていだルーカズという名の子を亡くし、 ペットロスになった時に出会った元野犬であり、色んなことがありその子を飼うようになり、今ではすっかり溺愛していた 子犬が大変だからって成犬から飼い始めた事には少しばかり驚いたけれど、 私も脱走した際は捜したりと、色々手伝っていたので仲良くなって貰わなきゃ困りますね 「 フフッ、君の猫達も可愛いなぁ 」 「 そうでしょう。とても愛らしいのですよ 」 そう言う私も人様が言えない程に、猫澤(ねこざわ)家に生まれた事に感謝するほどの、猫好きなのですがね 今では十二匹の愛猫達が、家で待ってると思うと仕事も捗ります  猫様達に貢ぐ為にしっかり働かなくてはなりませんからね 何枚か見せた写真をスライドしたのを止め、スマホをズボンのポケットに入れれば、彼は告げる 「 猫もいいが、犬もいいぞ。健気で、帰ってくると玄関先で待っている。愛情表現が分かりやすく、散歩にも行ける 」 「 私は貴方と違って態々、休日迄出るのは好きではないので。ゆっくり寛いで居たいです 」 犬好きの人は決まってアウトドア派だろう 外に出るのが好きで、散歩をするきっかけとなる犬が一緒なら山や海へと出掛ける けれど私は、休みの日まで走り回りたくないインドア派であり、部屋で美味しい紅茶を飲みながら本を読み、猫達とのんびりとした空間で過ごしたい そんな空気に騒がしい犬がいるなら、きっと精神的に疲れてしまう 社長とは言えど、そこは丁重にお断りして貰えば彼は小さく笑い、腕時計へと視線を向ける 「 おっと、十八時になる。そろそろ上がろうか 」 「 もうこんな時間ですか…。お先に帰って大丈夫ですよ。私はもう少し、週明けの会議資料の確認を致しますので 」 「 じゃ、御言葉に甘えて先に帰るけど…余り残業するとブラック企業になってしまうから、キリがいい時に切り上げてな? 」 部下達は優秀だが、それでも間違いはある もう少しだけ確認をしようと思い答えれば、彼は早々にスーツ上からコートを羽織り、鞄を持つ 「 はい、お疲れ様でした 」 「 お疲れ様でした。よーし、ボリスと散歩に行こう 」 定時で上がりたいのは、それだけ早く帰って愛犬と散歩したいからでしょう きっといつもより三十分とか長く散歩するのでしょうが、私からすればそんな元気がある事に尊敬する 「( 三十八歳になりましたよね…。私より五つは歳上なのに、若々しいです )」 仕事を終えて散歩をする… 私なら考えられないと改めて思っては、社長室を出て鍵を掛けてから、秘書室へと行く 「 やっぱり…此処のコンマ、一桁ずれてますね… 」 椅子に座り、書類へと目を通し、間違いの部分の紙だけを作り直し、新たにコピー機で作成してはホッチキスで留め直す その作業をしていれば、扉のノック音に視線を上げる 「 由羅(ゆら)さん、電話が入ってますよ。一番につなげますね 」 「 はい、分かりました 」 こんな時間に会社に掛けてくるとは何だろうか? 彼が離れた後に、机にある受話器を取れば電話が繋がる 「 お電話代わりました。猫澤ですが… 」 ゙ 猫澤さん。携帯の方に繋がらないから焦りましたよ。私は日の出動物病院の… ゙ 何故か焦ってるような声と、電話の相手の名前を聞いて、身体の血の気は引く 嫌な予感がし、ズボンのポケットに入れていたスマホを取り出し、電源を付ければそこには、日の出病院から十八時を過ぎた辺りから八件、連絡が入っていた   その多さと、社長のお墨付きであり、 私自身もよく世話になっている日の出病院に゙ 預けてる子 ゙が頭に過る 「 どう、したんですか… 」 声が震えてしまう… 身体の容態が悪く、様子見に病院に入院させていた子だ だからこそ、その子に何があったんじゃないか、と思えば、獣医は静かに告げた ゙ 最善策を尽くしたのですが…。ソールくんは、十九時頃に息を引き取りました…。本当に、申し訳ございません… ゙ 「 っ…いえ、本当に…ありがとう…ございました。後で…引き取りに行っても大丈夫でしょうか? 」 ゙ はい、お待ちしております ゙ 電話が切れた瞬間、立ち上がっていた腰は砕けたように座り込んでしまった 十四年という歳月を共にしだソール゙という、ラテン語で゙太陽゙という意味を持つ、 オレンジ色の毛並みが特徴のソマリという種類の猫だ 気管支が細く、心臓の音も悪く、ブリーダーから゙身体が弱いが血統書は付いてるから゙、と言う理由で殺処分を免れて、里親募集に出されていた子であり、小さくて可愛い姿にひと目見て引き取る事にした   良い仕事をしてるし、給料もある 病院なんて幾らでも行かせて上げれるから、身体が弱いことを承知だった けれど、ソールはそんな心配をよそに、十二歳になるまで病気一つしない元気で甘えん坊の子だった 本当に気管支が細いのか、心臓が悪いのか? そう思わせてくれるほどの元気いっぱいの子だったからこそ、少し前に倒れた時は驚いた 其の時にはもう、助かる見込みは少ないと言われていたが…… 「 ソール……、よく頑張りましたね…。今迄、ありがとうございました… 」 幼い頃の記憶を思い出して、身体を気遣いながら世話していた事を考えていれば、いつの間にか日の出動物病院へと来ていた 眠るように横たわっているソールの、綺麗な毛並みに触れ、亡くすにはまだ早い年齢だから胸が締め付けられる 「 細かい病気を知りたいのでしたら解剖して調べると早いですが… 」 「 大丈夫です…。受け入れますから 」 「 そう、ですか… 」 亡くなって尚、身体にメスを入れてバラバラにされるのは見たくない  綺麗に息を引き取ったのなら、このまま火葬してあげたい…そう思う 病院に、最後の入院費と医療費を支払ってから 毛布で包んだソールを箱に入れ連れて帰る 「 明日…火葬してあげますから…。その間、皆に挨拶しましょう 」 一ヶ月も病院に居させてしまった 仲のいい皆の場所に帰りたかっただろう、 会いたかっただろう 元気になって、それが出来なかったのは本当に申し訳無い 気持ちが荒れる為にゆっくりと車を走らせていれば、道路の影から見えたものに急ブレーキを掛けた 「 っ…!? 」 横に置いていたソールの箱がズレないように咄嗟に片手で塞ぎ、前へと視線を向ければ、道路を横切る大きな黒い犬に驚く 背を丸めたように歩き、ふっさりとした尻尾を持つ けれど夏毛から冬毛に生え変わっているのか汚く、見窄らしい野犬らしき犬は、 敢えて車の真ん中で止まり、此方へと目を開かせてはまた歩き出した 金色に光る瞳は私をじっと見詰めてから何食わぬ顔で、道路を横切った ゙ まるで人間は、引かないだろう ゙   って言ってるぐらいの堂々とした歩き方は少しばかりイラッとする 「 もう少し危機感持って道路を渡らなきゃ危ないでしょ…。はぁー、私も冷静に運転しなきゃいけませんね 」 愛猫を失った直後で、野良犬や野良猫を引くなんて考えたくない そう、溜息を吐いていれば目の前を通り過ぎる子猫に驚く 「 え、猫? 」 犬はどうでもいいが、猫は気になる為に走った先を見れば、あの大きな野犬は戻って来て、足元に来た黒猫を咥えるなり、立ち去った 「 あの犬……子猫と仲いいのでしょうか? 」 仔猫がついていくって事は、恐らく犬が食べる気は無いからだろうか それでも、子猫に犬が餌を与えられるとは思えず、車を少し移動させ、道路の脇に駐車してから、ソールに触れる 「 少し待ってて下さいね。すぐに戻ります 」 病院に預けていたソールに与える為の餌を持ち、犬が行った方へと行く   少し茂みを抜ければ小さな公園があり、耳を澄ませば子猫の鳴き声が聞こえてきた ゙ ミィー!ミィー! ゙ それはまるで乳を求める子猫の鳴き声だった為に、声のする方へと行けば木の影から聞こえて来た子猫の声と共に、低い唸り声が響く 「 ヴゥゥ…… 」 子猫がいた、そう思った時にはその辺のゴールデンレトリバーのような大型犬より、一回り以上はデカイあの野犬が牙を剥き出し、現れた 「 貴方、餌ないでしょ?其の子に何を与える気ですか? 」 この野犬も大きな割りには痩せている そして子猫は目やにが酷く、細い為に語り掛けるように告げれば、野犬は更に牙を剥く その歯を見て、ふっと頭に過る 二ヶ月前…自身の上司である社長が拾った愛犬とよく歯並びが似ていた 犬より鋭く、狼のような太く鋭い犬歯を持つ 「 私、貴方のことは如何でもいいんです。猫派なので、子猫に…これを上げてください 」 まさかね…… そう、この街に狼犬が他にいるなんておかしな話でしょう そんな事は無いと心に言い聞かせ、 布の袋から容器と共に柔らかい猫缶を空け、容器に入れ、指先で砕いてからそっと差し出せば、野犬は唸ったまま一歩近付いた為に、私は一歩下がる 野犬の足元から出て来た子猫は、直ぐに容器へと行ったのに安堵すれば、唸ることをやめない野犬を見て立ち上がる 「 分かりました。明日、容器を取りに来るのでその辺に放置してて下さい。後、その子猫にちゃんと食べさせて上げてくださいね? 」 流石、ずっと猫を飼って話し掛けてただけある こんな話が通じないような野犬にすら話し掛けてしまうなんて如何かしてる 野犬が居なければ子猫を連れて帰って、病院に連れて行きたいが、手を出すもんなら噛んできそうな為に諦めた 車へと戻り、ソールへと待たせたことを謝って走り出す
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