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駅前の古い甘味処で待ち合わせをすることにした。
希は甘いもの好きで、そこしか認めないと指定してきたのだ。
「想像を絶する美味なあんこだ」
僕が店の扉を開けた時には、希はすでにてんこ盛りのあんみつを頬張っていた。
いつもは伸び放題の髪と髭に埋もれて顔かたちも定かではないが、今日は小ざっぱりとしていて、髭も丁寧に剃ってある。
一瞬誰かわからないほどだった。
こいつこんな顔だったのか。
中身を知らなければ整っていると勘違いしてもおかしくはない。
店内には他に男性客はいない。
ましてや男二人など。
学校帰りの女子高生たちの視線がとても痛い。
さっさと用を済ませてしまおう。
「希、これが話してた手紙。ちょっとばっちいけど、これでもだいぶ汚れは落としたんだ」
元は何色だったかわからない茶色っぽい紙切れを手渡した。
希はためらいもなくその場でワシャワシャと広げた。
しばらく目を通して妙に考え深い表情になったかと思うと、僕にポンと投げてよこし、一心不乱にあんこを味わっている。
「いや、こんなのどうしろと?絶対恥ずかしいこと書いてあるぞ。僕は読まないから安心しなよ」
そう、僕も十年前に自分に書いた手紙を読んで悶絶した。
ゴミ箱に捨てて、それが誰かの目に触れようものならヘソを噛んで死ななければならないような内容なので、引き出しに放り込んだままになっているくらいだ。
「構わない。それはそうと、私は今から源治に仰天発言をしなくてはならないが、心の準備はできているか?」
希の発言は不穏だ。
私、などとかしこまっているのは何故だろう。
普段の希はこんな言葉遣いはしない。
聞かなくてはならないだろうか。
子どものころ僕に仕掛けた、数々の悪戯を謝ってくれるのだろうか。
いや、それは希の性格ではありえない。
そもそも覚えてもいないだろう。
どこかの猪か熊を結婚相手だと紹介してくれるのだろうか。
ありえそうで怖いので考えたくない。
あれだろうか、それとも、と視線を泳がせていると、希は突然ぐいっと身を乗り出してきて、僕と目を合わせた。
圧力がすごすぎて、僕は思わず身体をのけぞらせた。
周りから滅茶苦茶凝視されているのがわかって、気が遠くなった。
「ここだけの話だ。今の私は細田希ではない」
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