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森が浸食する
国境沿いに荒野があった。隣の国との間にできた空白地帯だ。ここに侵入しないと戒めのような約束事があった。最初は荒野だった場所に、大きな森が広がるようになった。今では隣の国も自分たちの国も飲み込むのではないかという勢いだった。
「町にまで届くと困るな」
初老の男がゆったりとした足取りで森へと向かった。少年の頃は身軽に駆けていった場所だが、今では森が近く感じる。町にある自分の住む場所から見ても大きな森がこんもりとしているのだ。
まばらな木々の間を歩き、次第に緑が濃くなっていく。樹木の匂いがうるさいくらいだった。
初老の男に腕はない。しっかりとした足取りではあるものの、もう若いころのような俊敏さはないようだった。動作のひとつひとつが重々しくなっている。
「また来たのか」
「来ちゃ悪いか」
顔を出したのはひとりの老人だった。退役兵とでも言いたげな風貌は、少年の頃から変わらない。名前も分からない、身元も何もかもが不明だった。
「森の浸食を食い止めたいんだ。町が埋もれてしまう」
「一緒に暮らせばいい。森と」
初老の男は困ったように笑った。自分の国だけではない。どうやら隣の国にも同じように森が広がっているのだ。敵対していたのに、森のことをどうするか、境界線をどうするかで話し合いが始まった。
「最初は小さな空白地帯だった。見晴らしが良く、敵が来れば一目瞭然だ。お互いにそれが分かっていたから、あえて、この場所は侵入しない唯一の場所と決めたんだ」
「なぜそんなことを決めたんだ。滅ぼしてしまえばいいだろうに」
木を植え続けた老人の言葉に黙った。なぜ、ここが空白地帯になったのか、初老の男は事情を知っている。経済を発展させるために、重要な町が近くにあったからだ。自分たちが判断したというよりは、諸外国の決定に従ったようなものだ。そう、経済を回すために、外国の人たちにとって失いたくない町だったのだ。
「滅ぼしてもいいのか?この森ごと」
「それは俺が決めることじゃないな」
木を植え続けた老人はほほえむ。ここまで森を育てるのは並大抵の努力ではなかったはずだ。それなのに、滅んでもいいと言うのか。カッとなるほど若くないが、大きな流れに身をゆだねるほどできていなかった。
「俺らが勝手に決めていいのか?この森の存続を。世界の在り方を。戦争の行方を」
「まあ、神々が決めるだろう」
老人の言葉にカッとなる。聞き流すことはできなかった。
「神はひとりだ。神々じゃない」
「だが、世界にはいろんな神がいる。見てみろ。バラエティに富んでるだろう」
初老の男の目の前に、ささやかな墓石がずらりと並ぶ。どの石の前にも埋葬された者の国の言葉で祈りの文句が書かれている。それぞれ別の神の名前も一緒だった。
「彼らは間違っている」
初老の男は地に膝をついて熱心に祈り始めた。彼の信じる神のことだけを思い浮かべながら。
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