森の中

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森の中

国境に空白地帯があった。隣の国との間にできた場所だ。荒野が広がり見晴らしがよく、戦闘の準備をしていればお互いの状況がすぐに分った。この空白地帯を相手から奪い自分の国のものにすればよかったのに、なぜかお互い侵入しないという取り決めができていた。 「町が浸食されずにすんだが、ほとんど森の中だな」 腕のない老人が町はずれから、森の中に入っていく。町はずれと言っても、すでにこんもりとした緑の中にいるので森の中と言っても良かった。空白地帯だった荒野に木を植えた男がいた。植えられた木が成長して森となり、こうして町を覆い隠すようになっている。町が森に飲み込まれると心配していたが、不思議と森は町を守るように囲み始めた。町を壊すことはなかったが、町の中に緑が増えていく。息を吸うのが嬉しくなり、射るような日差しがやわらかくなった。それは隣の国でも同じようだった。 「森を壊さなくて良かった」 腕のない老人は息を吐いた。町を守るために森を焼くことも考えたが、森がもたらす水や空気や動植物の恵みを手放すのが嫌だった。荒野に森ができるなど誰が考えただろう。 ほどなくして、小さな石が立ち並ぶ場所に出た。花や果物やお酒が供えてあった。この光景は見慣れたもので、埋葬された兵士や町のものたちの石だ。 もちろん死者を埋葬する場所は町にちゃんとある。町の宗教者が厳かに葬儀をあげるが、埋葬先はここが良いという者ばかりだった。我々の教義に反するという声は、森の送る風と鳥の歌声にかき消されていった。 「治療のかいなく死んだ兵士ばかりだったのに、今では一般市民までここに来たがる」 老人の家族もここに埋葬されることを希望した。 「まるで巨大な墓だな。家族や友人、知人がみんないる。ここに来ればみんなと一緒になれる」 森を焼き払えなかった理由もそこにある。偉大な兵士が、勇敢な市民が、誠実な諸外国の人間がここにいる。自分たちの国だけじゃない、海外からこの地に来て自分の国に帰らずこの地に埋葬された。 「この森を焼き払うのはだめだなんて、ずいぶん勝手なことを言うもんだ」 奇跡と呼ばれたこの森に、偉業を成し遂げた者たちの名が刻まれた墓石がある。世界中から保護されたこの森は、今では観光客が訪れるほどになっていた。 「ここはお前の散歩コースなのか。よく来るな」 ひとりの老人が笑って声をかけてきた。浅黒い肌、優秀な兵士を思わせる体格。自分と同じ退役軍人だ。名前も分からず身元も不明。なのに、ここにずっといる。誰もこの老人を咎める者はいなかった。 「あなたは神ですか?」 沈黙したまま近寄ってくる老人に微笑む。いつの頃からか気づいていた。木を植え始めた男は大きな森を育てたが、自分の少年の頃からちっとも変わっていない。 「幽霊かもしれないね」 老人は軽く頭を下げて、腕のない老人についてくるよう目くばせした。どれ程歩くのだろうか、もう長距離を歩くのは難しくなっていた。ひどいけがをした足は治ったものの、年老いてから痛むことがあった。
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