森を育てる

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森を育てる

老人の瞳は輝いている。少年のときから変わらぬ姿の老人は、腕のない老人の心の奥にある巨岩を揺り動かした。 「ずっと、あなたの手伝いをしたかった」 ざわざわと森が騒いだ。呟きは風に流れて消えてしまったかのように思えた。聞き流されてしまったのだろうかと思っていると、老人は大きく笑った。 「やっと言ったな。本当はずっと誘いたかった」 腕のない老人が大きく目を見開くとどこからか歌が聞こえてきた。森がざわめき海が波をたてる。風が大きく動くのに似ていた。腕のない老人の前にゆらめく光がある。木々の間から差し込む光ではなく、ひとの形だと気づいた。 「幽霊?」 「この森を育てたい。そう願った者たちだよ」 光輝くひとは見知った顔もあった。それどころか、昔、殺した人間もまざっている。 「神々の仲間入りというわけではないが、神々の手伝いになるらしい」 「神は唯一ではないんだな」 胸の奥にある巨岩がぐらりと動いて転がった。目の前に増えていく光と同じ色の光が、胸の奥からほとぼしる。 「どちらでもいいさ。光であることに変わりはない」 唯一の神の名のもとに闘い続けた自分はなんだったのか。その疑問すらも、まばゆく輝く光と森の声が消し去っていく。とめどなく流れていく涙はぬぐいもせずに足を踏み出した。 「今日、俺は死ぬんだな」 「いやか?」 ふるふると首を振る。死ぬならこの森に抱かれて死にたかった。死にかけた兵士はここに埋葬してくれと頼んだ。治療のかいなく命を落とした者も多い。家族も知り合いもこの森にいる。 「ようこそ」 差し出された手を取ろうとして驚いた。なくなったはずの腕があったからだ。困惑して顔を上げると悪戯っぽく笑う老人がいる。 「俺が死んだときは、ぐちゃぐちゃだったぞ」 声をあげて笑った。少年の頃に抱いた、必ず強い兵士になると誓った時の感情がよみがえる。神聖な誓いだった。いま、似たような感情がうずまいてくすぐったかった。 「この森はみんなで育てたんだね」 老人特有のしわがれた声が明るい弾んだものに変わる。背丈は低く腕も足も細かった。 「平和を呼ぶ、ひとの心に力を貸して下さったのだ」 少年は老人の手をそっと握った。固くて大きくてあたたかった。
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