1人が本棚に入れています
本棚に追加
森を育てる
老人の瞳は輝いている。少年のときから変わらぬ姿の老人は、腕のない老人の心の奥にある巨岩を揺り動かした。
「ずっと、あなたの手伝いをしたかった」
ざわざわと森が騒いだ。呟きは風に流れて消えてしまったかのように思えた。聞き流されてしまったのだろうかと思っていると、老人は大きく笑った。
「やっと言ったな。本当はずっと誘いたかった」
腕のない老人が大きく目を見開くとどこからか歌が聞こえてきた。森がざわめき海が波をたてる。風が大きく動くのに似ていた。腕のない老人の前にゆらめく光がある。木々の間から差し込む光ではなく、ひとの形だと気づいた。
「幽霊?」
「この森を育てたい。そう願った者たちだよ」
光輝くひとは見知った顔もあった。それどころか、昔、殺した人間もまざっている。
「神々の仲間入りというわけではないが、神々の手伝いになるらしい」
「神は唯一ではないんだな」
胸の奥にある巨岩がぐらりと動いて転がった。目の前に増えていく光と同じ色の光が、胸の奥からほとぼしる。
「どちらでもいいさ。光であることに変わりはない」
唯一の神の名のもとに闘い続けた自分はなんだったのか。その疑問すらも、まばゆく輝く光と森の声が消し去っていく。とめどなく流れていく涙はぬぐいもせずに足を踏み出した。
「今日、俺は死ぬんだな」
「いやか?」
ふるふると首を振る。死ぬならこの森に抱かれて死にたかった。死にかけた兵士はここに埋葬してくれと頼んだ。治療のかいなく命を落とした者も多い。家族も知り合いもこの森にいる。
「ようこそ」
差し出された手を取ろうとして驚いた。なくなったはずの腕があったからだ。困惑して顔を上げると悪戯っぽく笑う老人がいる。
「俺が死んだときは、ぐちゃぐちゃだったぞ」
声をあげて笑った。少年の頃に抱いた、必ず強い兵士になると誓った時の感情がよみがえる。神聖な誓いだった。いま、似たような感情がうずまいてくすぐったかった。
「この森はみんなで育てたんだね」
老人特有のしわがれた声が明るい弾んだものに変わる。背丈は低く腕も足も細かった。
「平和を呼ぶ、ひとの心に力を貸して下さったのだ」
少年は老人の手をそっと握った。固くて大きくてあたたかった。
最初のコメントを投稿しよう!