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第十五話「一人ぼっちのサマータイム」
部屋は薄暗く、あちこちでキャンドルが揺れていた。
テーブルの上には、ワインとデパ地下で買ってきたらしいお惣菜がきれいに並べられている。
「さあ、そんな所に突っ立ってないで座ってください」
座る場所は二人がけのソファーベッドしかない。
この家(と言っても1DKだが)の事は全部知っている。
僕は彼女の隣に座った。
―――
「なわないはん、人手が足らんのや。小さい引越しの手伝い、行ってくれへんか」
そして
「若い女の人の声やったで」
「行きます行きます。よろこんでー」
ちょうど1ヶ月前に、この女性の引越しを手伝った。
引越しと言っても、ちゃんとした住家が決まるまでのマンスリーマンションなので、車から簡単な日用品を運び出す程度だった。
ただ、エアコンが壊れているとの事で僕も女性もたっぷりと汗をかいた。
女性は30歳前後か……。
奈良県の山奥からその日、車でこちらにやってきたそうだ。
「田舎もんだからオシャレな神戸になじめるかしら」
陽に焼けた顔でくったくなく笑った。
黄色いタンクトップが似合う小柄な明るい女性だった。
―――
「なわないはん、ご指名やで」
「便利屋さんの用事で僕に指名があるなんて?」
「若い声の女性やったで。電話番号と名前は……」
「ああ、あの時の女性」
―――
僕は彼女の隣に座った。
そして揺れるキャンドルを眺めながら、マイナスの糸口となる会話を探し続けている。
「2時間だけ一緒に食事をして話をして下さい」
それが今回の依頼だった。
部屋の中なのにサングラスをつけたままの女性の依頼から、まだ10分しか経っていない。
「こちらの生活はもう慣れましたか?」
「だめです。みんなキレイな人ばかりで私なんか」
『そんな事ないですよ』と言いかけたが口をとざす。
「全然なじめないんです、周りの人と」
「まだ、1ヶ月じゃないですか」
「やっぱり、田舎へ帰ろうかと考えてるんです」
「……」
「……」
以前の引っ越しの時、調子の悪かったクーラーはまだ直っていない。
女性は時折タンクトップをぱたぱた揺すり「暑い暑い」と笑う。
彼女の熱気が伝わってくる。
僕はただひたすらワインを飲む。
「けっこういけるんですね。じゃ、私ももっと飲もう。もう一回かんぱーい」
「ええ、かんぱーい」小声で僕は応える。
「結婚はされてるんですか?」と女性。
「ええ、まあ」と僕。
「そうでしょうね」
「ええ、まあ」
「ねえ、便利屋さんの趣味は何ですか?」
「まあ、一応、音楽が……」
「うわーい。私もです。何かかけてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
女性はあの時、僕が運んだ大きなCDケースを持ってきた。
「変な趣味でしょ」
CDケースの中身を見て僕は愕然とした。
エリック・クラプトン、オールマン・ブラザース・バンド、ジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、B.B.キング、ジャニス・ジョプリン……。
どれもこれも僕の好きな70sだ。
「こんな古いの知らないですよねえ」
マイナスの糸口が見つかった。
「ええ、こんな古いのは全然知りません」
(本当は大好きだ……)
「残念、なんだか便利屋さんって、ロックバンドしてそうに思ったんだけどなあ」
(ずっとバンド続けてます……)
彼女はサングラスを少し上げてジミ・ヘンのヘイ・ジョーをかけてハミングをする。
そして約束の2時間のあいだ、デュアン・オールマンの死因についてやクラプトンの名曲「愛しのレイラ」がなぜ生まれたかなどを語った。
「……やっぱり興味ないですか、こんな音楽」
「ええ、だめですねえ、やっぱり」
―――
玄関先で2時間分の日当、5千円を受け取った。
彼女は『また来て』とは言わなかった。
僕は帰り道々、握ったままのくしゃくしゃになった5千円札に聞いてみた。
「さっきまでの、僕のした仕事は、正しかったか?」
もちろん、5千円札は答えない。
そのかわりに、彼女が最後にかけたジャニスのサマータイムが僕の頭に流れてきた。
まだ、彼女は、あの切ない歌をあの部屋で一人、聞いているのだろう。
しわがれてすすり泣くようなジャニスの歌声が、
遠ざかるにつれ、大きくなる気がして
僕は足を止めた…………。
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