ある夏の青春

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 何でもない普通の朝。幾重(いくえ)にも重なった(セミ)の鳴き声が木霊(こだま)する。(もや)がかかった頭を振ってベッドから下りた。家の中の空調は専用のAIが管理しているから、室温に不快感はない。  居間に足を踏み入れる。おはよう、口の中でモゴモゴと朝の挨拶をすると、母さんが振り向いた。 「ハルカ、あのね、いくら夏休みだからって」 「わかってる」  ぞんざいに返事をして、私は朝食を食べ始めた。家庭用総合管理AI(COCORO)がニュースを映し出している。MOTHERの新たな命令がトップニュースになっているようだった。まぁ、どうだって良い。私にはどうせ関係ないから。  私が生まれる100年くらい前、人類史上最高の人工知能、MOTHERが誕生した。人類の英知(えいち)の結晶とも言われている。  何にしても、今やMOTHERは世に欠かせない存在だ。昔の人たちはどうやってMOTHERなしで暮らせていたのかわからない。人類の知能には限界がある。MOTHERに決めて貰うのが一番いい。  本当はMOTHERが全てを管轄する方が効率は良いはずだけど、人類の生活は100年前とあまり変わっていない。もちろん色々と便利にはなった。  でも、子供は学校に通って、大人は仕事をして、そういう基本的なことは変わらない。遊んでばかりだと人類は堕落(だらく)するから、というMOTHERの判断らしい。  正直私は勉強なんて馬鹿らしいと思うけれど、MOTHERの思惑は人間ごときにはわからないのだ。MOTHERはいつも正しい。少なくとも人間よりは、ずっと。 「MOTHERの判断を信頼しすぎるのは危険だと思うんだがなあ」  私の心の中を覗いたようなタイミングで、父さんが独りごちた。また始まった、と母さんがため息を吐く。 「MOTHERは確かにすごいさ。だけど、判断材料はあくまで現在の状況だ」 「ふうん、それで?」  父さんはAI関係の仕事をしている。だからこういう話題になるとよく喋る。相槌(あいづち)を打ったのに深い意味はない。実際のところ興味なんて欠片もないけれど、父さんが話している間は母さんに小言を言われずに済むから、それだけ。 「MOTHERが予測もできないような大きな変化が起こる可能性もあるってことさ。人間だって捨てたもんじゃない」  もう一度、ふうん、と呟いて、私はパンの残りを口の中に詰め込んだ。  身支度を整えた私は、行ってきます、と言い残して自転車に跨る。家に閉じこもって一人で課題をやるなんて気が狂いそうだ。課題をやらないわけにはいかないから、せめて誰かと一緒にしたい。  勢いよくペダルを踏み込むと生暖かい風が頬を舐めた。  家の敷地を出てすぐ、私はブレーキをかけた。耳障りな音が耳を刺す。油が足りていないらしい。危うく誰かにぶつかるところだった。歩くなら前を見て歩いてほしいものだ。 「危ないじゃん……って、アオ? 久しぶり」 「……ハルカ?」  アオは私のいわゆる幼馴染とかいうやつだ。アオの両親は仕事で忙しいから、小さい頃はよく我が家に預けられていたのだ。こんな前時代的どころか、2つも3つも前の時代みたいなご近所関係を築いているご近所さんもそうないだろうと思う。  小学生の頃はよく一緒に遊んでいたけれど、高学年にもなると自然と別の友人と遊ぶようになる。アオも1人で留守番ができるようになったし。  そんなわけで、アオと喋るのは随分久しぶりのことだった。どこか元気がない。俯いて、心ここにあらず、といった風体だ。 「どうしたの、そんなボーっとして」 「……ったんだ」  頭上では(セミ)の大合唱。暑さで早々にやられた頭が、大音量の鳴き声とリンクして痛む。アオの声はいとも簡単にかき消された。 「何、聞こえない」  大声で怒鳴ると、アオは私を睨んだ。直前までの覇気(はき)のなさが嘘のように。 「ほっとけよ、俺はあと1ヶ月で死ぬ。MOTHERに殺されるんだ!」
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