ある夏の青春

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 「アオの価値を証明する」と言ったところで、何かをしないことには仕方がないだろう。ただぼんやりと過ごしていたところで変化があるとは思えない。  作戦会議と銘打って、図書館でふたり顔を突き合わせる。ほどよく空調が利いているはずなのに、なぜか身体が火照る。 「で? 何するんだ」 「とりあえず、偉い人になればいいんじゃない? そしたら世界に影響も出やすい!」 「意見が馬鹿っぽい」  アオには一蹴された意見だけど、私の中では名案のような気がしてきた。偉くなる、うん、悪くない。どうしたらいいだろうか。とりあえず勉強はできないといけない気がする。 「よし! ふたりで勉強しよう!」 「何でそうなるんだよ……」  げんなりした顔のアオ。今まで勉強なんてロクにやってこなかった私たちだから、多分何かは変わるだろう。最近のアオのことは知らないけど、少なくとも多分中学の時はそうだった。 「あと1ヶ月で死ぬなら勉強より有意義なことやりたいんだけど」  ぶつぶつ言いながら、アオは立ち上がる。 「え、ちょっとアオ、どこ行くの」 「本探してくる。お前と違って勉強道具とか持ってきてないし。適当に勉強できそうなもの探してくる」  不満を言いつつも、私の気が済むまでは付き合ってくれるらしい。  そういえば、アオは昔からそうだった。私が、これをやりたい、って駄々をこねたら、呆れながらも一緒にやってくれた。おままごとなんて女の遊びだ、なんて妙に時代遅れなことを言うのに、ちゃんとお父さん役を演じてくれたっけ。 「何にやにやしてんだよ、気持ち悪い」  そう言い捨ててアオは行ってしまったけれど、私は決意を新たにしていた。やっぱり、こんなに優しいアオに価値がないなんて何かの間違いだ。私がどうにかして絶対にアオを助けるんだ。  その日は日がな一日、図書館で勉強をした。そろそろ帰ろう、ということで合意する。跡片付けをしていると、アオは大きく伸びをして、こめかみを揉んだ。 「こんなに勉強したのいつぶりだ? 頭痛え」 「うんうん、明日もやろ。そしたら何か変わるかも」 「……変わるかよ」  私はひとり達成感に満ち溢れていた。ついでに私の課題も(はかど)った。これはいいこと尽くしだ。私って天才かもしれない。  だから、気づけなかった。アオが何を思って私の思いつきに従っていたのかも、アオの本心がどこにあるのかも。  そうして、2週間が過ぎた。朝からアオはこう切り出した。 「なぁ、これいつまでやんの? 死ぬまでの1ヶ月勉強するとか俺はごめんだからな」  アオは明らかに不機嫌で、それでいて、その言葉に私を責める響きは一切なかった。  その言葉が意味のある言葉として変換された瞬間、頭から冷水をかけられた心地がした。アオは私のことなんて信じちゃいない。  ただ、文字通り「私のため」に私の自己満足に付き合っているに過ぎなかった。そして、それはアオが死んだ後、私が納得して前を向くため、なのかもしれなかった。  私は何がやりたかったんだろう。何が天才だ。アオを取り巻く状況は何も変わっちゃいない。  変わったのは、私の課題が過去最高のペースで進んでいることと、タイムリミットが 二週間後に迫ったことだけ。私が自己満足に囚われている間に、状況は明らかに悪化していた。 「じゃ、じゃあ、別の手立てを考えようよ」  声が上擦っているのが自分でわかる。取り繕うように、口が勝手に回る。黙った方が良い、理性の制止は届かない。 「次は、ボランティアとかしてみない? そしたら、もしかして」 「何も変わんねえよ」  私の言葉を遮ったアオは、静かに断言した。アオからは何の感情も伝わってこない。自分勝手な行動への怒りも、自己中心的な私への不快感も、迫り来る死への恐れさえも。  絶対に言うべきではないと、今まで胸に閉じ込めていた言葉。それは、アオと再会してからずっと抱いていた、純粋な疑問だった。 「なんで……? なんでアオはそんなに()()()()()()()の?」  絞り出した声は微かに震えている。視界が揺れて、じわりと滲んだ。部屋の照明から、白い筋が無数に伸びる。 「なんで怖くないの? わかってるの? このままじゃ、アオは……死んじゃうんだよ」 「わかってるに決まってるだろ!」  アオが怒鳴る。空気が震えた。アオは、俯いた。 「わかってるに決まってるだろ……」  今度の言葉に、力はなかった。真横に座っている私の耳に、辛うじて届くほどの小さな声。顔をあげたアオは、涙も流さずに泣いていた。  アオの目には涙すら浮かんでいないのに、アオが泣いているのが私には手にとるようにわかった。 「なんでお前が泣くんだよ、馬鹿」  私の髪をくしゃりと撫でる。耳元で、ふ、と笑った気配がした。湿った笑い声だった。ふわりと懐かしい匂いがする。アオの匂い。なんだか変態臭いけれど、昔から変わらない匂いになぜか安堵する。 「お前って、昔から泣き虫だよな。変わってねえ。世話焼きなのも昔から」 「……そうだっけ」 「そうだっての。んで、俺はいつもお前の強引さに救われる」  変わっていないのはアオの方だ。そうだ、昔からそうだった。アオは、自分が転んでも泣かない子だった。痛そうな傷を見た私が泣いて、それを見たアオが泣くのだ。 『だってハルカちゃんが泣いてるんだもん』  幼い頃のアオの声が遠くで聞こえた気がした。 「そんなんで、俺がいなくなったらどうするんだよ」 「アオがいないなんて無理だよ」  呟いた私に、アオは苦笑を浮かべる。私だってわかっている。アオだって、望んで死ぬわけじゃない。死なないで、と懇願したところで、アオを困らせるだけだ。 「アオはさ、何かしたいこととかないの?」  だから私は、わざと明るい声を出した。笑顔は引き()っているし、鼻の奥はいまだにツンとしている。下手くそな演技を見たアオは小さくふき出した。肩を震わせて、アオは笑う。そんなに笑わなくても、とアオを覗き込んで気づいた。  アオは、泣いていた。さっきみたいな不自然な泣き方ではなく、普通に涙を流して。 「え、ちょっと、アオ」 「うるせえ」  慌てる私をあっさりといなしたアオは、嗚咽(おえつ)を噛み殺して、涙を流し続けた。思わぬ事態に、私は周囲に視線を彷徨わせる。しばらくして、躊躇いながら、右手をアオの背中にあてた。  アオは一瞬身体を強張らせたが、私を止めはしなかった。ぎこちなく、手を上下させて、背中をさする。アオがしゃくりあげるたび、身体の震えが直に伝わってくる。私は、ただアオの隣に、無言で座っていた。  どれくらいの時間が経っただろうか。もしかすると10分程度かもしれないし、1時間近く経っているような気もする。アオの涙は止まっていた。 「頭痛え」 「泣きすぎだもん」 「うるせえ。お前ほどじゃねえし」  息を吸うように本音を言い合う。そうだ、そういえば昔はこうしてたんだっけ。年を重ねるごとに本心を隠す方法ばかり上手になった私たち。こんな風に思いきり泣いたのもいつ以来だろう。 「私の前でかっこつけなくていいよ、今更」  冗談交じりの言葉。アオには真意が伝わったらしい。戸惑うように視線を泳がせたアオは、大きなため息を吐いた。 「こわい」  たったの3文字。それは、他のどんな言葉より深く、私の胸を抉った。 「しにたくない」  続けられた言葉に胸が締め付けられる。アオは、ずっとひとりで戦ってきたのだろう。恐怖に呑まれないように。周りを心配させないように。自分が死んだあと、できる限り他の人が苦しまないように。 「アオは、死なせない」 「無理だって。……ハルカ、ありがとな」  アオは覚悟を決めてしまっている。そして、アオの死は、多分(くつがえ)らない。私たちがどんなに抗ったところで、世界を変えることなんてできやしない。  結局その日は、何もしなかった。ただ、くだらないことをずっと喋っていた。普通の、当たり前の会話。アオが死ぬ未来なんて忘れてしまおうとして、ふたりで無駄に足掻(あが)いた結果。  いつも通り図書館を出ようとしたら、司書のお姉さんに声をかけられた。泣いているのを見られていたらしい。大丈夫です、と作った笑顔で言うと、お姉さんは寂しそうに笑った。  アオはずっと、こんな気持ちで笑っていたんだろうか。  それから一週間。私たちは毎日図書館に通った。勉強は、もうしなかった。もちろんボランティアも。好きな本を読んで、何でもないことを喋って、こんな日々がずっと続くのが当たり前って顔をして別れる。  アオの命の期限は、あと一週間。
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