ある夏の青春

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「ねぇ、どこで、なの?」  主語も目的語も省いた私の質問は、アオには正しく伝わった。互いに意識しながら避け続けていた話題を私が持ち出したことに、アオは少なからず驚いた顔をした。 「×××に来い、って言われた。それ以上のことは、知らねえ」 「そっか」  アオが挙げた場所は、この辺りの住民なら誰もが知る、公的な手続きをとりまとめる施設だった。そこに行けば最後、アオは殺される。人類が増えすぎないための、生贄(いけにえ)になる。 「……逃げちゃう?」  だから、私がそう言ってしまったのも、無理のないことだと思うのだ。 「逃げるって、どこに」 「わかんない。どっか、遠いとこ」 「MOTHERの目が届かないとこなんて地球上にあるかよ」  アオは不機嫌に吐き捨てた。私は、また同じことをしようとしているのだろうか。 「お前には普通に未来があるんだから、俺のことなんて早く忘れろよ」 「無理だよ、絶対忘れられない」  なんでだよ、とアオは困り顔で笑う。私は何気なく、むしろ無意識に近い状態で、アオに問われたその答えを考える。  「その理由」に思い至った瞬間、吐き気がした。  アオがいなきゃ嫌だ。寂しい。何もできずにこのままアオが死んでしまったら、一生後悔する。  こんな時にも私の中にあるのは、自分のことだけだった。どんなに耳障りの良い言葉を並べ立てても、最終的にはどれも全て自分のために帰結する。  そして極めつけ。最悪なのは、私がこの三週間でアオに恋をしていたこと。  アオは生きるか死ぬかの瀬戸際(せとぎわ)で、それも死ぬ可能性の方がずっと高い。私はそんなアオの横でぼんやりと生きて、アオが切望したこの先の人生を当然のように享受(きょうじゅ)する。 「もうやだ……。なんで()()()()()()()()」  口にして、ハッとした。今のは確実にアオに聞かれたはずだ。アオの顔は強張っていた。見ればわかる。アオが責めているのはアオ自身だ。 「あ、アオ」 「悪かった。お前を巻き込んだ俺が間違ってた」  違う、そうじゃない。  頭には気分が悪くなるほど言葉が溢れているのに、私の声帯は仕事を放棄している。口が異様に乾いている。呪いにでもかかったように、私は口を開くことすらできない。  何も言えないでいる私に、無理して作った笑顔を貼り付けたアオは、悪かった、ともう一度言った。 「これは俺の問題だから。もうこれ以上踏み込むな」  今がアオに何かを伝える最後のチャンスなのに。私の声は出ない。生ぬるいものが頬を伝った。唇に流れた(しずく)は、塩辛かった。  アオはそのまま(きびす)を返す。アオの背中がだんだん遠ざかっていく。あの日にはあんなにすぐ近くにあったのに。あまりに明確な拒絶が伝わってくるから、余計に私は何も言えない。  きっとこれはアオの最後の優しさだ。私がこれ以上傷つかないように。私は、最後までアオといたいのに。最後になんてしたくないのに。当たり前のように「最後」という言葉が浮かぶ自分が嫌だ。  追いかけたい。話をしたい。でも、もしアオに拒絶されたら。アオをこれ以上傷つけてしまったら。そう思うだけで足がすくむ。  もう無理だ。もうひとりの自分が囁く。お前にアオを救うことなんてできるはずがない。お前にできるのは、ただ傷つけるだけ。 『俺はいつもお前の強引さに救われる』  耳元でアオの声が聞こえた気がして、衝動的に私は立ち上がった。ガタン、と椅子の音が鳴る。見渡しても、アオは、いない。  嫌だ。そう思った。  アオが死ぬということは、もう二度とアオには会えなくなるということ。そんな当たり前の事実に今更気がつく。  私が傷ついたって知るものか。そんな無茶をするのが私の役目。それを止めるのが、アオの役目なんだから。  ()てついた足は、いつのまにか自由になっていた。椅子を蹴って走り出す。倒れた椅子が大きな音を立てる。周りの視線が刺さる。構うものか。私は今、アオに話さなくてはいけないことがある。  机に出したままの本も、持ってきた荷物も全て置き去りにして、私は走った。まだそう遠くには行っていないはずだ。図書館の自動扉が開くまでの間すら惜しい。早く。早く。早く!
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