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古いしきたりと思っていた。そんな事が私の元に訪れていた。いや、正直に言うとそれは違う。この事は私が幼い時から知っていた。
私の家は小さな田舎町で十代も続く家で、特に家業もしてないのにその硬さだけは皆の自慢だった。子供は女の私だけで、そうなると十代も続いているのだから跡継ぎ問題になってしまう。
しかし、親たちはそんな事を問題にはしなかった。友人の歴史は浅いけれど地元で事業をしている親の友人の家に私より一つ上の次男が居た事がキッカケに私はその子と許婚になってしまった。
こんなご時世にそんな家庭が有るのかと思う程だけれど、それが我が家だった。
許婚の男の子とはそれこそ幼い頃からの知り合いで普通程度には仲が良かったけれど、将来結婚する相手と言われてもそんな実感は無くて、歳を重ねてもその子に恋をする事なんて無かった。と言うより私はこの境遇からなのか、中学や高校で友達が恋をしている時でもなんか他人事の様な気がしていた。
それは今までずっと続いていた。大学を卒業して家の命令で実家に帰る事になり、恐らくはこのまま結婚させられてしまうのだろう。しかし、そんな事にも既に私は折れてしまっている部分も有った。別に許婚は好きな人じゃない。それでも結婚しなければならない。マインドコントロールと言われればそうかもしれないが、私にとってはこれが普通だった。そんなものが私を待っている。
家に帰るとそれはもうトントン拍子に結婚の話が進んでいる。許婚は一年前から自分の家の会社で働いていて、その年収は同年代の比では無い。そして見た目も結構カッコイイとされている。私にはそれらが魅力にはならなかったが。
大学で離れていたので久し振りの再会になった許婚は、ハッキリ言うと私の好まない人だった。
「オウ、久し振りだな。辛気臭そうな顔しやがって」
まず有って一言目がこんな事だった。別に喜んで会う様な相手では無い。だから私は平然としていたのに彼からしたら、ニコニコとして無いのが気にくわなかったらしい。
元々家の跡継ぎでは無くて婿養子になる彼はかなり甘く育てられた様で、人への話し方ですら習ってないのかもしれない。しかも相手が許婚で言う事を聞くからと言うのも有るのだろう。子供の頃からそんな雰囲気は有ったけれど、それが今には度を増している。
「さて、じゃあメシでも行くか」
「ちょっと、仕事はもう良いの?」
「良いって」
許婚はそんな簡単に言ってしまって退勤時間では無いだろうに会社を後にしていた。その時に会社の人間は困った顔をしているが、流石に創業一族の子供なので文句を言う人なんて居なかった。
それから取り敢えず許婚の自分で稼いだとは思えない高級車で街に出かけると「まだ時間が有るからカフェで暇を潰そう」なんて事を言っていた。仕事をしないで退社したのは許婚なのにこの言い草だ。私は真面目にしない人間が嫌いだ。
二人でコーヒーを頼んで話をする。彼は自分の自慢話ばかりだ。こんな事にもうんざりで、私の話をする機会なんて全く無かった。
「なんかこのコーヒー酸っぱくない?」
「そうかな。美味しいけど」
「おかしいって、腐ってんじゃね? ちょっと店員!」
暫くしてからだったのに彼はコーヒーの味わいに文句を付ける様にして威圧的に店員を呼びつけていた。
「コレ、酸っぱいんだけど豆が古いんじゃないのか?」
「いえ、そんな事は無いんです。この品種は酸味が強いので…」
もちろん店員はこんなクレームを受け付けようとしなかったが、その対応に許婚はまた納得をして無い表情になってしまった。
「いやいや、おかしいってコーヒーが酸っぱいんだって。お前もそう思うよな」
勝手に「お前」なんて呼ばれて気分は良くないのは私の方だ。彼はそれからも文句を言い段々と声を大きくするので周りの客が私たちの方を見ている。
「この品種は酸っぱいのが普通なんだって。良いじゃないこのくらい」
流石に今の状況に耐えられなく店員さんも困惑していたので、私が擁護する様にした。
「良くない。良くないなー。新しいのに淹れ替えて。もちろん腐ってるコーヒーの金は払わないけど」
本当に迷惑な客でしかない。店員さんも今の状況から逃げる為にそれを了承してしまった。
「なあ、言えばどうにかなるんだよ」
彼は全く悪びれる様子も無くて、店員さんに「気を付けなよ」って自分が間違ってない様に振る舞っている。我儘な事で呆れてしまう。
こんな人が私の伴侶となるのは結構苦労をするのかもしれない。それでも断れないのだからしょうがない。耐える事しか無いのだ。
暫くカフェで主に彼の事ばかりを聞かされて時間は過ぎ、夕食にしても良いくらいになって田舎町で高級料理を出す所なんて無いので、許婚は焼き肉店を選んで向かう。
するとそこには私でも見た事の有る人達が居た。それは彼の会社の人々。どうやら週末と言う事も有って皆で飲み会に訪れていた様子。まあ許婚を誘わなかった理由は私にも解ったが、彼はそんな事を気にしてない。
「オイ! ポチ。ちょっと来い」
そう犬を読んでいる様な許婚だったが、その言葉に対して近付いたのは普通の男の人だった。
「はい。どうかしたんですか?」
「お前、酒飲むなよ。俺の車を会社まで持って帰れ」
ポチと呼ばれた彼は許婚の部下なのだろうか。すんなりとそれを受け入れてしまっていた。その時のポチくんの姿が見覚えが有って、私は許婚の言動よりも彼の方が気になっていた。
会社の人達とは離れてのんびりと夕食をしている時になって、許婚はお酒も進んでやっと言葉数も減ったので私は自分の聞きたい事を話題にする事にした。
「さっきのポチって呼ばれてた人だけど…」
「あれか? 四年前から働いている奴なんだけど、特に使えないし俺の雑用係にしてる」
私から話し始めたのにまた彼は饒舌になって話し始めるので、私の思う様に聞き出せる事は無かった。
それでもポチくんの事はそれだけで解った。やはり私の知っている人だった。小、中学校の時の私の同級生だった。彼は高卒入社をこの会社にしていたみたい。
確かに許婚よりは年下とはなるのだが、彼はもう四年目なのだから許婚は先輩に対してあろうことか雑用を押し付けているらしい。そんなところもため息でしかなかった。
食事を終えて許婚はすっかり酔っぱらってタクシーで帰ったが、私は直ぐに帰らずに許婚の会社の飲み会の方へ向った。
こちらでも皆が存分に酔っぱらっていて、もう一件目としてはお開きの様子になっていたが、私が顔を出したので全員が静かになって顔を整えていた。恐らく許婚が一緒に居ると思ったのだろう。
「先程はすみませんでした」
別に私が悪い訳では無いけれど、あんなのでもいずれは私の家の名を継ぐのだと思うと、評判を落とす訳にもいかない。
「貴方が謝る事では無いですよ」
座敷の前の廊下の所で正座をして頭を下げている私に対して、管理職に思える人が慌てた様に言ってくれた。まあ、それはこれで良い。私にはもう一つ用事が有ったのだ。
「それで、彼をちょっとお借りしたいのですが?」
私は許婚からポチと呼ばれていた彼の事を呼びだした。もちろん御曹司の許婚の私の言う事は会社の人間が逆らう様子も無い。彼は帰り支度をして私と一緒に店を出た。
「あんな言われ方してみっともないと思わんの?」
「その前に、久し振りとかじゃないんか?」
「なんか腹立ってたからそれどころじゃ無かった」
彼とは中学時代に結構仲が良かった。もちろん恋はしてなかったので友達として。それでも顔を合わすと面白おかしく会話をしていた様な仲だったので、そんな友達が許婚から有んな扱われ方をしていたのが気にくわなかった。
「別に気にしてないてや。あんなのでも直ぐに上司になるんだから」
「君はそれで良いわけ?」
「構んてや。気にしとらんもん」
あまりに彼がのらりくらりとしているのでこっちが呆れくらいだったが、久しかったのは彼の方言。彼も会社ではここまで田舎臭く使ってないだろうし、私でもいつからかこんなには使わなくなった。それが今ではホッとする様に懐かしい。
「送ってこうか?」
「それは、あの人の許婚だから気を使ってる?」
「昔の友達だから言ってる。ホラ俺って優しい人だから」
ケラケラと笑う彼は本当にあの頃からタイムスリップしたみたいで、私まで今のこの状況とは違って楽しかったあの頃の事を思い出していた。
もちろん彼の優しさと言う気遣いを受けて、許婚に置いてけぼりをされた私は彼に送ってもらう事にした。もちろん許婚の車なのだが。
私の家までの道は楽しく昔話が出来た気がする。許婚とは違って彼は、適度に私に話をさせて、そして彼も話して居た。そんなキャッチボールがこの街に戻って一番楽しかった。
家に帰ると私は取り敢えず両親の元へ向かった。名家と言えど普通の家庭と違っているのは少々家の敷地が広い事くらい。父親は普通に公務員だったので稼ぎは良くてもその程度で、家庭の雰囲気も特別なものでは無い。
「ねえ、私は本当にあんな人と結婚しなきゃダメなの?」
「どうしたんだ? 急に」
「急じゃない。昔はそれなりに大人しい子だったからしょうがないかと思ってたけど、今の彼を見たら」
そう、確かに昔の許婚はちっとくらいは可愛らしい所が有った気もする。次男で甘やかされて育ったからなのか、怖がりの弱虫な幼少時代に、親に反抗したがり不良に目覚めてしまう時代には甘えん坊な所も有って真面目でも有った。それが今ではどうした事でしょうっとリフォーム番組なら驚く事は請け合いだ。
「彼は礼儀正しい良い人じゃないか。それに昔からの約束なんだ。破談になんて出来ない」
「そうよ。おかしな事を言わないでちょうだい」
違った。私の両親は普通の人では無かった。今のこの世の中で許婚を認めている前時代的な考え方をするのだから、明らかに普通では無い。そんな事も私は忘れていたのだろうか。
それにしても父の言う「礼儀正しい人」と言うのは誰の事なんだろう。今日の許婚は普段とはちょっと違ったのかもしれない。難問になりながらも、私は到底論破なんて出来ない両親と話し合いをしても無駄だと思った。
それからの日々もちょくちょく許婚とは会う機会が与えられた。それは彼の方から私の家を訪ねる事も有る。そんな時には「お元気ですか?」なんて許婚は私の両親の前ではとことん下手になっていた。
「この前は、娘がおかしな事を言わなかったかい?」
「とんでもない。とてもおしとやかに育って驚きましたよ」
まあ、本当にこんな時ばかりは彼は「礼儀正しい人」だった。やはりこの前のは間違いかなんかなんだろうかと私は思ったが、それはあくまで私の両親の前だけの顔だった。
「鬱陶しい。名家は良い事として今は平民なんだから俺に気を使わせんなよ。お前も俺の嫁になれるんだから小さな文句を言うなよ」
私の両親の姿が無くなった途端にこうだった。本当にそれからも私の両親の前では「礼儀正しい人」でその他では基本「傍若無人」になっていた。後者が彼の本当の姿なんだが、それに文句を言えない私も居る。
確かにこの日本で家を十代に渡って守ると言うのはかなり難しい。そりゃ相当な名家や貴族なんかなら問題は無いだろう。それでも安定した家業もない家にとっては問題になる。そこに許婚の家は安定した家業が有るのだから、私でもこの結婚は正解だと思っている。
人の感情を気にしなければ。そう、私は誰かの言いなりになるしかないのだ。まだこれで自分で未来を切り開くだけの自信が有ったなら反抗も出来るのかもしれない。けれど、私にはそんな勇気は無かった。
なので結婚の話は順調に進んで、結納を交わして日取りが決まり、その日まで淡々と日々が終わっていた。
私が地元に戻ってから一年が過ぎた。もう結婚式も近くなっている。相変わらず許婚は私の好かない人のままだが、それをどうにか耐える事が出来る様になっていた。マインドコントロールをされている分にはおかしい事をおかしいと思わないので気が楽でも有る。
ただ私が本当の自分に戻れる時間はポチくんと会っている時だけだった。
「ポチくん。今日もアイツが我儘な事を言ってたんだよ」
いつからか私も彼の事をポチくんと呼ぶようになったが、それは許婚の様に馬鹿にしている訳では無くて、彼に「可愛い呼び名だ」と冗談を言ったら「そう呼べば良いやん」と言われてからだ。彼は私からポチくんと呼ばれるのを別に気にしてない様子だった。
「はいはい。グチは聞きますから、落ち着いて話さんかいよ」
彼には時折会ってこんな風に許婚の悪口を聞いてもらってる。それが私のストレス発散になっていて、私のグチを素直に聞いてくれて、時には一緒に怒り、時には笑いにしてくれる彼との時間は楽しかった。
もう結婚式まで一か月となった時に許婚に呼びつけられた。なんの事か解らなかったが、こんな事が無い訳でも無い。時にはどうでも良い事を言う為だけに呼び出される事も有った。
しかし、今日はちょっと様子が違っていた。そこにはまだ仕事の時間なのに許婚はもちろん、ポチくんも居て仕事の途中とは思えない。
「お前、ちょくちょくポチと会ってるそうだな」
怒りを明らかにしている許婚が話し始めると、ポチくんはとても申し訳なさそうな顔をしていた。
「うん。昔の友達だから」
私はなんにも悪いと思ってなかった。元々友達に会う事が悪い事では無いのは当たり前だから。
「来月には結婚式なのに他の男と一緒に居るのはどう思うんだ?」
どうやら許婚は私の浮気を疑っているみたいだ。それはこの許婚にしてはまともな反応だったので、私としては嬉しい事でも有る。それを怒っていると言うなら許婚は私の事を愛してくれていると言う事になるんだろうと思った。
「別に友達だよ。心配している関係じゃないよ」
ニコニコとして私は返したが、それでも許婚の怒りは覚める様子は無い。
「友達だとしても、そんな所を誰かに見られでもした時の俺の立場も考えろよ。お前は俺が許した人間としか会うな!」
許婚の心配しているのは私では無くて自分の事だった。それを思い知った瞬間に私のこれからの人生が真っ暗になってしまった。ある程度のマインドコントロールはされていると思っていたのに、こんなに未来の無い人生が恐怖にもなってしまった。そうなると自然と涙が流れる。
「訳も解らない所で泣くなよ。これだから女ってのは…。取り敢えずこれからはちゃんとしろよな」
命令だけをして許婚は私の事をこれっぽっちも考えないで、さっさとどっかに消えてしまった。死んでしまった方が良いのかもしれない。こんな人生なら今終わりを告げた方が少しはマシでは無いのだろうか。そんな風に思いずっと泣いていた。
「大丈夫か?」
だけどポチくんはずっと私の事を心配してくれていた。
「私と居ると君の立場も悪くなるよ」
きっと許婚が怒ったならポチくんの事をどうにでもするだろう。彼までも不幸になる必要は無い。生贄は私だけで良いのだから。
「俺は別にそれでも構わないけど、そっちは本当に大丈夫なん?」
「取り敢えず今は私だけで考えたい」
そう言うと彼はポンポンと私の肩を優しく叩いてからその場を離れた。
正直この時私はもう死んでしまおうと思っていた。だけど、それは怖くて実行する事なんて出来ないくて、私はどうしてもこの状況から逃げられないのかと自分の弱さを含めてそれからも泣いてしまった。こんな悪夢が待っているとは思ってもなかった。
結局ポチくんにグチを言う機会を無くされたまま私の望まない結婚式の日が訪れた。
全ての事を飲み込んで残りの人生を捨てる様に生きる事を決心していた。難しい事でそれは度々吐き気を伴ってイヤだと言う感情を呼び起こしていた。でも、その度に自分を殺していた。実際には殺せない自分を何度も亡き者にしていた。
準備が整い本望では無いウエディングドレスを着て、嫌いな許婚の彼と一緒に親族への挨拶へ向かった。そこには喜ばしくないこの結婚式を目出度いと言う親類たちが居て、馬鹿らしい事でもあった。
式までは多少時間が有ったので私は気分が悪くて休憩をする為に式場の中庭で落ち込んでいた。もちろん許婚も居ないし、式場のスタッフも人払いをしたから誰も居ない。私はそんな所でまた自分を押し殺していた。
「ちょっと、こっち、こっち」
遠くの方で声が聞こえた。
私はその声になぜだか嬉しくなって声の主を探すと、中庭の塀の隙間の所にポチくんを見つけた。
「どうして居るの?」
私は嬉しくなって彼の元に近付いた。彼は結婚式に呼ばれていない。それなのにその場に居たから驚きでも有った。
「心配になったから。それと、伝えたい事も有ったんだ」
「伝えたいコト?」
「言おうか迷ったんだけど、君が幸せに思えなくて自分に正直になる。俺は君の事が好きなんだ」
その瞬間に私には嬉しさが生まれていた。世界にやっと色が付いた様な気がしていた。
「今頃言わないでよ。もう間に合わないんだから」
「それは解ってる。だけど伝えたくて」
「その言葉を言うだけの覚悟は有るの?」
私はもう彼に賭けてみる事にした。こんな私の事を待っていた奇跡を信じる為に。
「うん。俺は君の望む通りにする」
「じゃあ、連れ出して。知ってる人が誰も居ない所に連れてって」
私はもうこんな人生を歩きたくない。ポチくんへの思いは恋かもしれないし、逃げたいだけの感情かもしれない。それでも今よりはもっとマシだと思った。
「簡単な道じゃないよ」
「茨の道だって超えてみせる」
この時の私は笑っていたのだろう。
「これからはずっとその顔になろうよ」
彼が手を出してくれて高くは無い塀を乗り越えると私は走り始めていた。
おわり
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