ギャップとスタート

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ギャップとスタート

 沙優の休日は基本ソファで始まりソファで終わる。  家のソファでダラダラとスマホ画面に指を滑らせていると、亜希からのメッセージが降ってきた。 『明日の昼空いてない?』  空いてるよ、と返信しようとしたのだが、それを見透かしていたかのような素早さで 『やっぱりなんでもないや、ごめん』 とまたメッセージが滑り込んできた。LINEのコメント送信の早さはスムーズな分、こういう時の暴力性が増す気がする。相手のトーンがどうであれ、押し伏せられたような敗北感が生じる。  わかった、とだけ返して沙優はコーヒー用にお湯を温める。亜希の気まぐれな連絡はいつものことだった。彼女は放任主義だから、相手の考え方を気にするよりも自分のやりたいことを優先する。だから私も同じようにできる。こうやって人と共に行動することが苦になっていくんだろうなと思う。  何があっても亜希の側だけは離れたくなかった。それが、実家に戻るという選択肢をいつだって持たない理由の一つだ。自分には彼女が必要なことが分かっている。亜希にはいつも迷いがない。だから彼女といると自分に迷いがあることが恥ずかしくなる。亜希の前では、定まらない自分を見せたくない、と無意識に考えているのかもしれない。沙優はこの世の誰よりも亜希が好きだ。それは性別を超えた人間愛にカテゴライズされる類のものだと思っている。  亜希は性別差別を嫌う傾向にある。そこに沙優が亜希にのめり込む理由があるのかもしれない。沙優の中では、異性愛には異性愛の、同性愛には同性愛の愛し方がそれぞれに存在している。だから亜希が彼氏ではなく彼女を探したい、と言い始めた時には正直すごく嫌な気分になった。彼氏なら許せるのに、とモヤモヤしていた矢先、彼氏ができたと報告を受けた時には、随分とスッキリとしたものだ。自分と同じ土俵にいる相手に亜希を捕られたくないという思いは自分の中で認めざるを得なかった。    そんな風に亜希に思いを馳せながら、思いの外美味しく    淹れられたコーヒーを啜っているとテーブルとスマホがぶつかり合う音が急に響き渡った。沙優はいつも電話がかかってくると、スマホが痙攣を起こしたかのような不気味さを感じる。  画面に涼矢と名前が出ていて、少し安心する。 「どうしたの」 『今日暇?昼メシか晩メシでも一緒にどうかなと思って。』   涼矢との関係が変わってから表情は比較的柔らかくなったが、声に関しては相変わらずの愛想の無さだった。 「暇だよ。どっちでも大丈夫。」  あの告白があった日以来、二人は一緒に帰ることはあっても、なかなかプライベートで会ったりはしていなかった。それゆえに、向こうが夕飯がいいと言えば、それなりの進展は覚悟しなければならないな、と答えてから気づいた。 『じゃ、晩メシで。』  涼矢はあっさりそう決めると、時間と待ち合わせ場所を淡々と述べて電話を切った。もし涼矢の隣で聞いている人がいたら、仕事の打ち合わせ?と聞かれているだろう。  珠樹ならこうだった、とつい考えてしまう。比べるのは良くないともちろん分かってはいるが、頭が勝手に考えてしまうのだからしょうがない。珠樹なら、夕飯食べてそのまま沙優の家行っても良いかな、と照れ臭そうに言っただろうな、と。珠樹は自分の見せ方を良く分かっているタイプだった。恋愛気質とでもいうのだろうか。あの頃の沙優はまんまとそれにハマってしまっていたように思う。涼矢は真逆のタイプだから、この先物足りなくなったりするのだろうか、と不安になる。それでも、Tシャツにジーンズで現れるであろう涼矢の服装にどう合わせようかと考えていると、とりあえずなるようになるか、と思えるのだった。  秋の始まり特有の澄んだ冷たい風が沙優の髪をふさふさと揺らす。いつもと変わらないはずなのに、風が冷たくなっただけで夜の暗さと街の明かりのコントラストにどこかもの悲しさを感じる。年の終わりがよぎるのか、夏が終わってしまった寂しさなのか。  待ち合わせ場所には案の定半袖のTシャツに細身のジーンズを身にまとった涼矢が待っていた。涼矢の軽い髪は風になびいて、サラサラと音がしそうなくらいしなやかに揺れていた。沙優は好きだな、とふと感じる。 「沙優」  涼矢は沙優を見つけるとふわっと笑った。こんな笑い方、職場の同僚が見たらみんな替え玉かと疑うだろうなと可笑しく感じながら、沙優も微笑み返す。 「遅くなってごめん。」 「いや、急だったのにありがと。」 「ううん、こちらこそ。」  涼矢と話していると周りの空気を柔らかく感じる。付き合うようになってから、より強くそう思うようになった。 「ねぇ」  自分の呼びかけに眉を上げて優しい瞳を向けてくる涼矢に、沙優は思わずひと息吸った。一日中この調子で接されると完全に落ちる。いつもこうなら会社にファンクラブの一つや二つはできただろうに、と余計なことを考えてしまう。 「涼矢ってそういう表情できるんだね。」  涼矢は眉を下げて困ったように笑う。こりゃダメだ、と観念して沙優は素直にその微小に魅せられる。 「そりゃできるよ、人間つくりはみんな一緒なんだから。」 「そりゃそうなんだけど、今まで見たことなかったから。」 「まぁ、仕事中は表情動かす必要ないし。」 「それもそうなんだけど、極端じゃない?」 「そうかも。変かな。」  涼矢は目線を前に向けたまま聞いた。身長差のせいで涼矢の表情は見えない。」 「変ではないんだよ。ただ…」 「ただ?」  涼矢の澄んだ瞳が沙優を射抜く。沙優は覚悟も決めないまま急かされたように言葉を続ける羽目になった。 「格好良すぎて…」  涼矢は一瞬目を丸くしたが、すぐにふっと力が抜けるように笑った。 「なに、文句言われんのかと思った。そんなこと思ってたの?嬉しい。」  そう言う涼矢の笑顔が眩しすぎて沙優は目を細めた。涼矢が沙優の手をとった。意外と自分の容姿の良さを理解しているアイドルタイプなのかもしれない。言動の流れに慣れすぎている。沙優は少しのめり込んでいく感情に歯止めをかけた。 「涼矢って結構モテる感じ?」 「何、警戒してる?」  涼矢の視線が降りてくる。沙優は逃げるように前を向いた。 「いや、新たな一面が多すぎて。」  涼矢はハッと笑った。 「ごめん、だから警戒した。」 「素直。」  涼矢は更に笑った。 「モテないよ、残念ながら。」  そう言いながら覗き込んでくる涼矢はますます信用できなかった。それをごまかすのもなんだったので、ふーんとその謙遜を流す。 「うわ、やっぱ素直。」  そう言いながら前を向き直した涼矢の声はまんざらでもなさそうな程ご機嫌だった。誰だよ、と思わず言いそうになった。
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