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第一話 とうさん、誘拐される
序幕
イエスは、大声で叫ばれた
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
これは、
「わが神、わが神、なぜわたしを
お見捨てになったのですか」
と云う意味である
(馬太の福音書二十七章四十六節)
一
今日も、午後になってから淡雪が、舞い始めた。
弁護士Kは、窓外に広がる銀世界から手元のノートパソコンへと視線を戻すと、正面に座る雇い主の勧めに従い、『ミッドナイト・リバース』社のホームページを立ち上げるや、メニュー下段に表示されているアイコンをダブルクリックした。
程なく、動画が再生される。
* * *
上手から、淡い桃色のアフロ・ヘアに同じ色の口髭、丸眼鏡に白衣といった装いの、小学校中学年と思しき女児が表れる。
同時に、下手からは、空色のアフロ・ヘアに蝶のような形をした同色の舞踏会マスク、こちらもやはり白衣をまとった、十代半ば程の少女が登場する。
長い睫毛に縁取られた二重の大きな瞳が印象的な、美少女姉妹である。
「帝国臣民の諸君。ようこそ我が研究所へ。吾輩が、超能力研究の世界的権威にしてIQ九億八千万の天才、アイザック・ユキポン博士であーる」
妹が、重々しく宣う。
「いつも『ユキポン超能力研究所』をご視聴いただき、ありがとう御座います。ボクが、助手兼太陽系最強のエスパー、『天の神様』の使用人ギンちゃんです」
姉が、カメラに向かって丁寧にお辞儀をする。
「博士、今日は、お店を手伝っていただき、ありがとうございました。ものすごく、助かっちゃいました」
映像が切り替わり、コンビニ『セブン・アイランズ』のユニフォームに袖を通し、サンタの赤い帽子をかぶった姉妹が、レジ・カウンター内で、接客とファスト・フードの提供を、絶妙のコンビネーションでこなす様が映し出される。
――2レジ、セブチキみっつはいりまーす
――はい、2レジセブチキみっつ
――いらっしゃいませー
――ワインとご一緒に、セブチキいかがですか?
――揚げたてですよー
――2レジ、セブチキとポテトお願いしまーす
――はーい、ポテトいったん終了でーす
――二番目にお並びのお客さまー
――ポテト、あと五分で追加でまーす
――ありがとうございましたー
少女と女児の黄色い声音が、仕事帰りと思われる男女でごった返す店舗内にこだまする。
「うむ。ギンちゃん、困ったときはお互い様なのであーる。それに吾輩は、『ミッドナイト・リバース』社の非常勤永年最高特別名誉顧問であるからにして、会社の危機に一肌脱ぐのは、当然なのであーる」
画面は再び、姉妹を映し出す。
同時に、『非常勤永年最高特別名誉顧問』とのテロップが、重厚な字体とシルバーメタリックの輝きでもって表示される。
「売上を締めるのはこれからですけど、前年比百二十パーセント超えは、まず、カタイかと」
「おお。五期連続目標達成ではないか。めでたいのであーる」
クリスマス・イヴにおける『日販売上高』の過去六年分の推移が、右肩上がりの棒グラフで表示される。
「はい。いつもご愛顧いただいているお客さまと、スタッフの頑張りのお陰です。チキンだけでなく、お酒もスイーツもよく出ました」
「うむ。ところでギンちゃん」
「はい、博士」
「スタッフと言えば、約一名。今宵、無断欠勤……いわゆる、バックレをやらかした者が、おるとか?」
「はい。博士に急遽ご参戦していただいたのも、実は、それが理由でして……」
「ふーん。だいたい想像つくけどさ、それって……とうさん?」
途端に博士の語調が、ラフなものへと変わる。
「はい……。ご明察の通りです」
助手は、たちまち畏まる。
「遺書とかあった?」
「博士! 瞬殺しないでください!」
「冗談であーる。確かもう少しで、例の『五年』になるのではなかったかな?」
「はい博士。五年の執行猶予があと二週間で満了します。この大切な時期に、まったくなにしてはンねャ……。イヴの夜だし、羽目を外したくなる気持ちも、判らないではないですが……」
「ギンちゃん、羽目を外していいのは、高二の夏、彼氏さんとの浴衣デートで、打ち上げ花火を二人で見上げたとき、だけであーるぞ?」
「博士! 例え、めっちゃアオハルです!」
「じゃあさ、ちょっと呼びかけてみたら? クリスマス気分で浮かれてる不惑のオッサンに」
「相変わらず、とうさんには容赦ないですよねェ……。でも……そうですね、では失礼して」
博士と助手は、二人同時にカメラに視線を向ける。
「とうさん、観てるでしょ? 副社長は、ブチ切れてるけど、ボクは、怒ってないから。話し聞いたげるから。『愛は寛容であり、愛は情け深い』、だからね。とりあえずさ、電話か、LIKEで連絡ちょうだい」
助手は、イエスの言葉を引用し、イヴの夜に、救いの手を差し伸べる。
「今回は初犯であることを勘案し、市中引き廻しの上、帝国議会議事堂の中央塔に磔にすることで、まァ、許してやることもやぶさかではないのであーる」
博士は、寛容と情け深さを装いつつ、研ぎ澄ませた断罪の刃をチラつかせる。
「磔って! この寒空でそれやると、天に召されちゃいますから! エリ・エリ・レマ・サバクタニ、ですから! まァ、クリスマスぽいっちゃ、ぽいですけど……博士もう少し穏便に……」
透かさず、以下のテロップが表示される。
*ギンちゃんの、偏った個人的感想です*
*クリスマスはイエスの『降誕祭』です*
*クリスマスと磔は一切関係ありません*
「ところでギンちゃん」
「はい、博士」
「いま、さらりと『議事堂事件』ぶっこんでみたのであーるが……五年前の今日、世間を騒がせたあの事件の黒幕って……いまさらだけどさ、Youだよね?」
「ぎくっ!」
博士の指摘に、助手は、わざとらしく狼狽してみせる。
「ふっふっふ。図星であーるな? IQ九億八千万の吾輩の目は、誤魔化せないのであーる。さあ、見せてみよ! 究極の力『半重力ビーム』の恐るべき威力を! 今回のテーマは、これ! せーの」
「空中浮遊! これが半重力ビームだ!」
二人が唱和し、実演パートが始まる。
* * *
帝紀二六八一年十二月二六日午後二時――。
弁護士Kは、動画を停止させると、正面に座る『ミッドナイト・リバース』社の代表取締役兼CEOへと視線を向けた。
「それで――我らが無断欠勤氏は、未だマンションに帰ってこず、連絡も取れない……と云うことですね? ギンちゃん?」
弁護士Kの問いに、十五歳九カ月の少女、若月銀音嬢は、ほとほと困ったと云いたげに、緩やかな弧を描く――正しく『若月』の形をした――眉を寄せながら、小さく首肯した。
二
「今日で、三日連続の無断欠勤――。部屋には戻ってへンようやしィ、電話しても出ェへンしィ、LIKEしてもいっこも既読にならへンしィ……。とうさん、何考えてはンのやろ? 先生、どない思わはれますゥ?」
戸惑い、不安、そして若干の苛立ち――。
二重の大きな瞳の奥で吹き荒ぶ寒風にユラユラと揺れるのは、どれもこれも少女に似つかわしくない感情ばかりだ、と弁護士Kは想察する。
「ギンちゃん、もう少し様子を見ませんか? 確かに、三日連続の無断欠勤は、社会人としては完全に、徹底的に、アウトですが……これで『執行猶予』が、取消になる訳ではありませんし」
弁護士Kは、心配性の顔を覗かせた代表取締役兼CEOを包み込むように、やんわりとそう提案しながらホットミルクを勧め、自らの腹を丸くさする。
「賞与も出たし、お給料も入ったし……世間様が長期休暇に入る前に、早めの冬休みを勝手に満喫中っていう線が濃厚じゃないですか? まァ、社会人としては完全に、徹底的に、弁護のしようも無いほど、アウトですけど……」
「あっ、なんやァ先生、ユキポンみたい。今朝、出かける前に同しこと云うたはったわ」
「あら? それはそれは、光栄至極」
女弁護士は、苦笑する。
最高経営責任者の五つ下の妹は、お世話好きで心配性の姉とは真逆の天真爛漫な性格で、その元父親――被告人X改め『正社員X』――に対しては、辛口な批評家でもある。
「今日は、ユキちゃんは? お店ですか?」
元父親の事をひとまず忘れさせるべく、弁護士Kは、話題を変えることを試みる。
「ん? オーディション。春ドラマの『四次審査』やねンて」
「四次? はァ……長くて、狭い、道のりなんですねェ……」
少女の妹は、『ミッドナイト・リバース』社の『非常勤永年最高特別名誉顧問』にして、同社の所属タレントでもあった。
「あ! ひょっとしたら、また、ややこしィことに、巻き込まれはったンかも?」
何事かを想起したらしく、少女は、女弁護士に唐突にそう問いかけて来た。
無論、誰のことを心配しているのかは明確で、『四次審査』に挑む小学五年生の妹ではなく、不惑を迎えた元父親である。
「ギンちゃん。実は……龍秋さんに事情を聞いて、帝都警察本部の知人に当たってます……いまのところ、どの所轄署にもお世話になっていないようですよ」
弁護士Kは、「いまのところ」と限定した云い方をしながらも、少女を安心させようと、秘かな『調査結果』を明かす。
「へ? さよかァ……先生、おおきにィ」
礼を云いつつも、その表情は、本日の天候の如く碧味を帯びた灰色の雲に覆われ、なかなか晴れない。
「だから、もう少し様子を見ましょう?」
弁護士Kは、再びそう提案をしながら少女の美しく成長した相貌を見つめるや――彼女が醸すその凛とした空気に誘われたかのように――あの日の突飛かつ、辛辣な提案を想起していた。
* * *
「先生、コンビニって、ほら? お酒扱ォたはるしィ、競馬新聞かて何紙も置いたはるしィ……それに、レジ開けたら現金じゃぶじゃぶやしィ……。『業務上横領免許皆伝』のとうさんにしてみたら、もう誘惑だらけ。理想郷!」
そんな物騒な枕で語り出す少女の表情は、嬉々とさえしていた。
「せやけどォ、ミュージック・ビデオの撮影ンとき、教えてもろたンやけどォ、監視カメラでレジの手元、しっかり映したはンねやってェ。しかもなァ、日に五回、レジと金庫、点検する決まりがあるもンやからァ、悪いことしはっても、数時間後には、証拠映像付きで、しっかり、きっぱり、バレてまうンやってェ……」
店舗のいたる所に存在する監視カメラは、来店客の万引きのみでなく、従業員の不正防止にも活用されているのだ。
「先生? これってとうさんの性根叩き直すのに、ピッタリの環境やと思わへン? 刑務所なんかに入るより、よっぽど?」
* * *
あれから、五年――。
少女が起業した、『ミッドナイト・リバース』社は、去る十二月一日に創業五周年の節目を迎えた。
この五年の間に業容は拡大の一途をたどり、今や同社は、三つの異なる『事業領域』で企業活動を営むに至っていた。
【事業領域Ⅰ】
その一つは、『創業事業』たる、セブン・アイランズのFC加盟店としての『コンビニ経営事業』である。
これは、少女の元父親の『再犯防止と更生』の為と云う、ただそれだけの目的で始められたものであったが、「あの銀カノンが経営する店」として、期せずして世間の注目を集め、少女が頼みもしないのに、FC本部とメディアが、大々的に『美談』を作り上げ、宣伝をしてくれた。
そんな、予想だにしなかった追い風を受ける中、少女は開業に際し、
A 値引き売切による『食品廃棄ゼロ』
B 全従業員の『有給休暇完全所得』
C 年末年始の休業
等々の――少女の叔父曰く、「オトコマエな」――施策を次々と打ち出した。
これが大きな反響を呼び、元父親に対する『判官贔屓』の心理が働いた事と、少女の可憐な容姿も相まって、商圏内外からの『新規顧客』の集客に成功した。
一方で、同時に敢行した商品構成の見直しと設備の拡充――手間ばかり係り、商品廃棄のリスクも高い『おでん』からは完全撤退し、文教地区といった立地特性を考慮したスイーツ、カフェ、文具、揚げ物等を強化するといった、いわゆる『選択と集中』――が奏功し、『客単価』と『粗利益率』を底上げした。
メディアによる宣伝、客数・客単価の増加、有給取得による従業員の士気向上――。
これらの様々な要因により、直近の同事業の年間売上高は、三億六千万円を計上するにまで伸張していた。
これは、日販百万円に相当し、同チェーン二万店の平均値を一五〇パーセントほども上回るものである。
【事業領域Ⅱ】
二つ目は、十年に渡る野球人生に終止符を打った若月龍秋氏を取締役副社長兼所属タレントとして迎えて始めた、『芸能事業』である。
「これは、オレの再生でもあるんやで?」
とは氏の弁で、『帝都タイタンズ』の母体であるネット局『帝都テレビ』での野球解説、コラム執筆、俳優業などの活動の傍ら、彼が育った児童養護施設への野球道具の寄贈、子供達を招いての野球教室開催などに、氏は精力的に励んでいる。
彼は、五歳で月御門の『若月家』に引き取られるまで、同施設で育ったのである。
最近では、下の姪と共にある映画作品に出演し、春先に開催された某映画賞にて、若月氏は助演男優賞、姪は新人賞を受賞し話題となった。
【事業領域Ⅲ】
三つ目は、四年前から始め、今や同社の主力事業に育った『月光再生事業』である。
これは、月明かり程度の微弱な光から直流電流を発生させる『月光発電』システムを企画・製造・販売するもので、なかでも小型化した同システムを内蔵した懐中電灯やスマホ用充電装置への注文が、近年の防災意識の高まりも後押しになり、帝国内の自治体、企業から殺到していた。
同システムの製造は、研究段階から協力関係にあった月御門資本の某企業に外部委託しているが、旺盛な需要に対応するには、同社の生産能力の拡充が課題であった。
斯くして――『ミッドナイト・リバース』社は、
・役員三名(少女、母親、叔父)
・正規従業員一名(元父親)
・非正規従業員二十名(コンビニ従業員)
・非常勤永年最高特別名誉顧(妹)
という家族経営の見本のような陣容ながら、この五年で、年商五十億円、純資産二百億円を超えるまでに、企業規模は急成長していた。
少女の元父親――『被告人X』改め唯一の正規従業員たる『正社員X』――の突然の無断欠勤は、そんな中に起きた、瑣末ではあるが、少々以外な出来事であった。
正社員Xは、元営業マンだけに接客はスマートで、そつが無く、彫りの深い端整な貌立ちをしている事も相まって、主婦が大半を占めるパート従業員らとの関係も、大いに良好だったのである。
その時――。
ダイニングテーブルに投げ出されていた少女のケータイが、宇宙蛍の『ミッドナイト』を奏で、着信を告げた。
「ん? とうさんやわァ……!」
少女は、ディスプレイを一瞥するなり喜悦と安堵の声を上げる。
「ほら。噂をすれば、ね?」
やれやれ、これで一安心。
あとは、怒り心頭であること疑いない今ひとりの『取締役副社長』たる元妻Aを、どう宥めるかだなと、最大の難題に対し思案を始めた弁護士Kだったが、次の瞬間には、少女の口から発せらた言葉に、呆然とさせられた。
「へ? とうさんを……誘拐した?」
三
「とうさん? もう、心配したんだよ? いま何処? 何してるの?」
通話ボタンをタップするなり――盗み出したバイクで走り出す息子を持った母親のごとく――そう問い質すギンの耳元に、機械で合成したかのような、甲高い、抑揚の無い声が飛び込んで来た。
――モトチチオヤ ヲ アズカッタ
「へ?」
音声変換アプリを使っているな、とギンは直感した。
だが、その言葉の意味するところをよく理解出来ぬまま、共にダイニングテーブルを囲んでいる弁護士先生の、女優と見紛う、美しい理知的な相貌に視線を向けた。
いまギンは、マンションの隣室に住まう『顧問弁護士』の元を、手焼きのチーズケーキを手土産に訪れ、ホットミルクを飲みながら、愚痴とも相談ともつかぬ話を聞いて貰っていたのだ。
一応、今期決算予想の資料を持参して、『業績報告会』を装ってはいたが、それはイソップのキツネ宜しく、『心理的合理化』に過ぎない。
――モトチチオヤ ヲ ユウカイ シタ
「へ? とうさんを……誘拐した?」
ギンは、ケータイの右上段に収納されているメニューを開くや、素早く、『録音』ボタンをタップした。
異常な事態が進展していることに、ようやく気が付いたのだ。
女弁護士先生も、『誘拐』の一語に反応して、目を見開く。
ギンは、その眼差しに頷くと、続いてスピーカーボタンをタップした。これで会話の内容を、少女が、太陽系で最も信頼を寄せる『戦友』と共有できる。
――ミノシロキン ハ ジカイノ
――ロト6 アタリバンゴウ
何者かが、とうさんを誘拐し、身代金として次回のロト6くじの当たり番号を要求している――。
ギンは、そう理解するや、口の中が干上がるのを感じた。
犯人は、現金ではなく情報を、身代金として要求してきたのだ。
―― LIKE ニ オクレ
「待って!」
ギンは、鋭い声で抗った。
メッセージアプリ『LIKE』を使って『当たり番号』を知らせる事が、身代金の受け渡しと全く同じ意味を持つ――。
そう洞察したギンは、次の瞬間、戦慄する。
「とうさん出して! 声、聞かせて!」
これでは、犯人と接触できない。
接触さえできれば、五年前の『ユキポン誘拐事件』のときのように、飛翔の力・紅を使って天空から尾行することも出来るし、菫を解き放って、重力の牢獄に縛り上げる事が出来る。
なんだったら『十一次元超弦粒子』に干渉して、『粒子崩壊』を見せつけ、恐怖心を植え付けてやってもいい。
とうさんの居場所は、月白を発動させて記憶を探れば、容易く知れる。
しかし、犯人は、この『接触』と言う最大のリスクを回避する方法を思いつき、実践しようとしている――。
* * *
ギンは、五年前のクリスマス・イヴに起きた、『ユキポン誘拐事件』に先立って百合子さん姉さんから知らされた、ある会話について想起していた。
男A
「我が帝国に向けて射出される悪意ある飛翔体を、その『偶然を引き寄せる力』を利用して、海上で誤爆させるなり、墜落させることは、出来ないでしょうか? 少女を通して、神様とやらに命じれば、良いのでしょう?」
男B
「それが出来るなら、君。海上ではなく、敵国の『地上設備』でやるべきだよ。帝国は、一兵を動員することもなく、敵の核施設を殲滅できるじゃないか?」
女C
「いずれにしろ、『実証実験』みたいなものを、やる必要がありますわね? 仮定に、仮定を重ねるだけでは……。その為にも、少女の身柄を早急に確保することを提案致します。総理、如何でしょう?」
男D
「うむ、実は……現段階では『某国』としか云えないが、そこの出先機関の人間と思われる人物が、少女の周辺で確認された、との情報もある。この恐るべき力が、他国に渡ることは、なんとしてでも避けなければならない……」
女C
「では? 内調を使いますか? 直ぐに動けますが」
男D
「う、うーん(決めかねるように、云い淀む)」
男A
「総理……ご決断を」
女C
「(やや声を荒げて)総理!」
あの日、五つ下の妹を幼稚園から連れ去った『サンタ御一行』は、武国大使館の職員として入国している同国の情報組織の人間であることを、ギンは、帝都上空にフラリと出現した高島宮妃殿下こと百合子さん姉さんより知らされた。
妃殿下は、『月白の力』を使ってサンタらの記憶を読み、丸裸にしたのである。
「銀音や。妙案がありますェ」
『サンタ御一行』を帝国議会議事堂中央塔の塔屋に放置することで、武国及び帝国政府を『恫喝』するよう指示したのも、先の大戦で武利天艦隊をたった一人で壊滅させたと噂される曾祖伯母である。
これが図に当たり、それで全てが、終わった。
帝国政府は、ようやく八十年前の記憶と共に、愚かな火遊びがとんでもない『怪物』を呼び覚ましことに気付き、沈黙した。
そう、思っていたのに――。
* * *
ダメだ、このまま一方的に電話を切られては堪らない、とギンは思った。
この反応は、相手も予想していたのだろう。程なく、先月末に四十歳になったばかりの、とうさんの力の無い声が、ケータイから漏れ聞こえて来た。
――ギンちゃん、云われた通りして……
「とうさん! 怪我とかしてな……」
安否を尋ねるギンの悲痛な声音に、合成された『犯人』の声が無慈悲にも割って入る。
――二八ニチ チュウセンゴ
――カイホウ スル
――ケイサツ ニハ シラセルナ
突如もたらされた『犯行声明』は、始まり同様、このひと言でもって唐突に終わりを遂げた。
四
「人生って云うヤツはね、ユリちゃん」
季節を先取りしたかのような白いワンピースの上から、早春の蒼穹を思わせる花浅葱色のカーディガンを羽織った雪歩が、微かな吐息と共に話しかけて来た。
「人生って云うものは、『わあわあ泣く』のと、『しくしく泣く』のと、『微笑み』とで、出来てるんだって。ギンちゃんから借りた本に、そう書いてあった」
「ん? 『賢者の贈り物』――やな? なんやァ? 雪歩の人生も、そない悲しい『構成成分』で、出来たはりますのンかァ?」
九十歳年下の一族の末裔から『人生』について諭された高島宮妃殿下百合子は、最近、ますます似てきたと侍従らから評される女児の顔に一瞥を投げかけながら、そうやんわりと問おた。
「私? 私の人生は、運と、偶然と、クソ度胸」
雪歩は、小さな胸を反らせると、やはり小さな拳で心臓の当たりを軽く叩いて、云い切った。
「クソ度胸? フフっ」
高島宮家の現当主は、その気持ちいいほどの断言ぶりに思わず吹き出す。
雪歩はいま、来春四月からの放送が予定されている、ある連続TV演劇の主要配役の一人、主人公の少女時代の役を獲得すべく、選考会に挑んでいる。
「そらァ、えらい謙虚なことやなァ」
今日の『四次審査』の会場は、これまでとは異なり、貸し稽古場ではなくTV局内の会議室が指定されていた。
先日の『三次審査』では、雪歩を含む十人の少女達とその付き添いの保護者が、間仕切りもない大部屋に詰め込まれていたのだが、今日は、六畳ほどの広さの、小さな個室があてがわれていた。
最終関門が、いよいよ近いことを百合子も肌で感じる。
「ん。ケンキョケンキョ――だからさ、落選しても泣かない自信だけはあるのね。『わあわあ』も、『しくしく』もナッシング。でも……」
雪歩は、壁の時計と控え室と外界を繋ぐドアとに、交互に眼差しを送った。
「長いね。ちょっと緊張してきたかも」
競い合う相手の顔も見えない、その人数も判らない、そもそも開始時間さえ告げられていない――。
このあからさまな処遇の変化に、流石の雪歩も戸惑いを強いられているのであろう。
この個室に案内されてから、既に二時間が、経過していた。
「ほれ、クソ度胸さんは寝てしもたンかァ? しゃあんとしなはれ」
妃殿下は、女児の華奢な背中を優しくひとつ叩くと、左の掌に『人』の文字を書くや、飲み込む真似をしてみせた。
「なあに? ユリちゃん? 月御門の魔法?」
興味津々といった体で、大きな二重の瞳を向けて身を乗り出す雪歩に、妃殿下は、秘事を明かす。
「人を飲む。帝国の迷信」
「なんやァ、迷信かァ」
雪歩は、期待外れと云わんばかりに、あからさまに頰を膨らませてみせる。
百合子は、この目まぐるしい表情の変化に、「銀音やったら、こないな貌は、絶対しィひんやろなァ……」との感慨を抱き、面白がる。
姉妹の貌立ちは、非常に良く似ているのだが、その性格は、ことほどさように全く違う。
「そう迷信。せやから効果は、一切あらへン。ナッシング」
妃殿下は、流暢な武国語で断じる。
「ない、ない、ナッシング?」
「ない、ない、ナッシング。せやから、雪歩や……飲むんやったら、自分。弱ァいとこ、情けないとこ、つくろうて、少しでも大きゅう見せよう、強ォ見せよう考える、浅ましい、小さな、しょうもない自分。それを、飲む」
妃殿下は、掌に「ユリコ」と書いて、飲み込む真似をした。
すかさず雪歩も、左の掌に「ユキホ」としたため、それに倣う。
「ふふ」
雪歩は、弾けるように微笑むと、椅子から立ち上がるや、左足の爪先を軸にしてクルリと一回転してみせた。
膝丈のワンピースが、花弁のようにひるがえり、中央で結んだウエストリボンが、生き物のように舞った。
「ん、それでええ。いつもの雪歩や」
百合子が、満足げに頷くと、頃合いを計ったかのようにドアが開く。
「若月雪歩さん。どうぞこちらに――」
二十代前半と思しき若い制作担当者が、『四次審査』の開始を告げた。
「はい! 宜しくお願いします!」
雪歩は、最敬礼で応じると、律動的な足取りで控え室を後にする。
「さて……」
残された百合子は、ひとつ呟くと、椅子へ腰掛ける。今しばらくは、この個室で待機しなくてはならない。
その時――。
再びドアが開き、先ほどとは別の若い男が顔を覗かせた。
「ご家族の方、どうぞこちらへ――」
「は?」
戸惑う百合子に、男は、言葉を重ねる。
「制作総責任者が、お待ちです。どうぞ」
「私をですか?」
訝しむ百合子に、男は無言で頷く。
どうやら己の人生は、『仰天』と、『驚愕』が主成分であるらしい――。
そう達観するや、百合子は凛とした空気を伴う挙措で、静かに席を立った。
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