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デスクの上のノートパソコン。それが、光を発したままの状態で、実花は、弁当箱の風呂敷を開いた。
操作していたマウスから、ようやく手を放し、弁当箱の蓋を開ける。中に入っているのは、タコの形をしたウインナーと、ブロッコリーのサラダ。そして、ケッチャップライスに卵を乗せた、簡易的なオムライスである。デザートには、フルーツの盛り合わせ付きだ。
女子がいかにも好みそうな、この弁当は、もちろん、実花が作ったものではない。
昨夜、明日が出社であることを告げた時、タンが手作りしておいていったものだ。
『本当は、こういうの、朝いちに作った方がいいんすけど』
そう、申し訳なさそうに言うのだが、実花にとっては、ありがたいことこの上ない。
シン、コスそしてタン。
彼らの所属する、℃0サービスを受けることになってから、すでに数週間が経過していた。
はじめこそ、遠慮を感じていた実花であるが、すっかり、家事は、彼らに任せてしまっている現状だ。
そして、なんだかんだと、三人と毎回、性行為まがいなことをしてしまっている。
それは、期待を含めた瞳で、こちらを見る彼らのせい。
『実花さんに、触られるの、きもちい』
『どうぞ、お仕置きをして、ください、』
『また、パンツ持ってくんの忘れた、っす……』
ということにしておきたい。
そもそも、三人の男たちとこんな行為を繰り返すのは、かなり不純なのではないだろうか。
けれど、お金は払っているし……向こうも仕事だし……何より、嫌そうじゃないし……と、そんなことを、考えながら、ウインナーの一つを口へ運んだ時だ。
「実花さん、それ、自分で作ったの?」
ふと、後ろから声をかけられ、実花は、箸を持ったまま、振り返る。
同じ部署の男性が、彼女の弁当を覗き見て、つい声をかけたようだった。
「え、あ、いや、ちがいます」
慌てて、そう否定する。
ズボラな性格であるのに、料理がうまいなどと、噂が広まっては、たまったものではないと考えたからだ。
「じゃあ、恋人?」
実花は、それに対して、どう訂正していいかわからず、苦い表情をする。
すると、前の席の事務の女性から「知らなかった!」「いいなぁ」という声があがった。
今更、否定することは出来ないだろう。あいまいに微笑んだ。
「今日は、コスさんの日かぁ」
実花は自宅へと辿り着き、そう独り言を発する。
金曜日だというのに、珍しく、残業もなければ、飲み会にも誘われずに帰ってくることが出来た。
それは、実花に恋人がいると勘違いしている、社内の人々の気遣いなのかもしれない。だとすれば、もっと早くに嘘でもついておけばよかったのか、とも思う。
スマートフォンを開けば、コスより『今から向かわせていただきます』というメッセージが入っていた。
彼が来るまでの間に、軽く夕食でも済ませておくかと、冷蔵庫を開いた時だ。
玄関のチャイムが鳴った。随分と速いが、それはコスのものだろうと、実花は考え、いつもの冷静な彼の表情を想像しながら、すぐに扉を開く。
「こんばんは、実花様」
そこにいるのは確かにコスだ。けれど、不機嫌そうに眼鏡を持ち上げる男。
いったい何があったのか、と思ったところで、扉を開ききり、そして気づいた。
「実花さん、お疲れ様です!」
「……こんばんは」
コスの後ろから姿を現した、二人の男性。
シンとタンである。
「え、なんで、二人も一緒に?」
見た目も、系統も全く違う男たちが、こうして、三人そろって、この場に立っていることは、何か異質の雰囲気がある。
「それは、私も知りたいところでして」
コスは、呆れたようにため息を吐く。
そして、後ろの二人へと睨みを利かせた。
「今日は、私の担当だったはずですが」
「いや、それは知ってたけどさぁ、サービス営業っていうか」
「しないでください」
「オレは、コスさんの日ってこと忘れてて。普通に、実花さんに、借りたもん返しにきただけっす」
「プライベートでお客様のご自宅にくるんじゃない」
二人の様子に、怒りを覚えている男は、額に青筋を立てているが、実花の前であるからか、努めて静かな声でそう言う。
これはようするに、予期しないトリプルブッキングが起ってしまったということなのだろう。
「とりあえず、中へどうぞ」
それぞれ様々な意味で、目立つ三人の男の言い争いを、誰かに見られては、ご近所で噂になると、実花は急いで、彼らを部屋へと招く。
勧められたクッションや、ソファーを断り、男たちは、地べたへと仲良く並んで座り込んだ。
「実花さんと、こうしてみんなで話せるとか、ちょっと新鮮ですね」
ヘラヘラと微笑んでいる、シンは心底この状況を楽しんでいる様子だ。
それに、コスは額を抑えて、ため息を吐く。お説教をしようというのか、その口を開きかけたが。
「あ、実花さん、これ、借りてた漫画。忘れないうちに返さねぇとと思って」
ピリリと張り詰めている空気を読めないタンは、そういって、実花へ漫画本を差し出した。
「タンくん。お客様には、もっと丁寧な話し方をするように」
「え、あ、すんませんっす」
やはりというのか、不機嫌であるコスの怒りの矛先は、タンへと向かってしまい、叱られた男は、その大きな体を、少しだけ縮める。
「まったく、適当な先輩と、困った新人だ……」
そう独り言のように呟くコスの台詞を聞いて、実花はずっと気になっていたことを口に出す。
「シンさんが、コスさんの先輩っていうのは、このサービスの会社に先に入社してたってことですよね?」
「ええ、そうですね」
「なんだか意外ですね。その、年齢以外の意味でも」
「え~、そうですか?」
正直な実花の言葉にも、ふわりと柔らかい笑みを浮かべるシン。
「お客様にまで、そんなことを言われていいのですか」
「コッスー、怒らないで~。眉間に皺が寄ってる!」
「……だれのせいだと……」
コスの眉の間に刻まれた深い筋を見て、からかうようにそういうシン。
すると、男は、ふいに実花の手をとった。
「実花さん、コッスーの眉間、クルクルしてほぐしてあげてください」
「え、あ、こう?」
導かれるままに、実花はコスの額に人差し指を当て、揉むように動かす。
すると、男はモジモジと体を動かし、恍惚の表情を浮かべた。
「あ、んん、きもちいです……もう少し、つよくても……って違う!」
「実花さん、次は俺にですよ?」
「これって……シンさんの後ろ並べばいいんすか?」
コスのツッコミも空しく、自身の額を、実花へ近づける、シン。
そして、その後ろに立っては、ワクワクとした期待の表情をしているタン。
「二人とも! お客様に失礼を働かない。私たちは奴隷らしく、実花様からの命令を待ち、それに従えば良い。それが仕事です」
コスは、一度は声を荒げたものの、冷静に、二人を叱りつける。
さすが年長者なだけあると思うのだが。
「他の奴隷がとんだ失礼をいたしました。どんな罰も、この私が、二人の分まで、引き受けさせていただきます」
「え、ずりぃ、っす……」
「それ、コッスーがされたいだけじゃん……」
巻き起こるブーイングと、期待しているようにこちらを見つめてくるコスの存在。その二つに耐え切れなくなり、実花は両手を上げた。
「私は、怒ってないですから! せ、せっかくなら、みんなで仲良くしましょう」
「実花様がそうおっしゃるならば」
彼女の言葉に、コスは、複雑な表情ながらもようやく落ち着いた様子だ。
そして実花は、三人に対して、なんの持て成しもしていなかったことに気付く。
「あ、お茶! 淹れますね」
「俺が淹れますよ。奴隷に任せて」
「そしたら、オレがなんか作る、っす」
そういって、自身の家のような素振りで、台所へと向かう、シンとタン。
その後姿を見て、ふと、実花は思う。これだけ、大人数が、この家に揃ったのは初めてだ。もしかしたら、アレ、が出来るのではないか。
「あ、そしたら、したいことがあるんですけど」
「なっ、実花様の、し、したいこと……」
「……オレ、じょうずに出来るかわかんねぇけど、が、がんばる、っす」
「はい、なんでも言ってください!」
期待するように、ランランと目を輝かせ、正座をしては、実花を上目遣いに見上げる三人。
それに、なにかよからぬことを期待されていると、気付いてしまい、実花は申し訳なさから、おずおずと、小さな声を発する。
「タ、タコ焼きパーティ……がしたいです」
いつか、両親から引っ越し祝いにといって、プレゼントしてくれたタコ焼き器。
両親の考えとしては、自宅に集まった友人たちとこれを使用することを思ってのことだろう。
けれど、実花といえば、社会人になってからというもの、友人も出来たことはないし、学生時代の友人が、この家に遊びに来たこともない。
よって、埃をかぶっていたそれを使うことが出来ないのが、憧れというより、心残りのようになっていたのだ。
実花の発言に、目を丸くさせた三人であったが、快く賛成してくれた。
数十分後、タコ焼きの材料を調達し、手際よく、準備を進めていく。
「はじめてっすけど、なんか楽しっすね、これ」
「さすが、タンくん上手」
タコを落とし、楊枝でくるくると生地で丸めていく、タンを見て、実花はその器用さに、驚く。
真似てやってみるのだが、どうもうまくひっくり返すことができない。
「実花様、火傷にはご注意ください」
「俺も、やってみる! 実花さん、見てて~」
「先輩、温度調節は私がやります。プレートには、絶対触らないでください。壊しかねないので」
「はーい」
コスにそう釘を刺されるシンだが、そつなくなんでもこなす面のある男だ。
タンと同じように、くるりと楊枝でそれを丸めていく。
皆で、共同で何かをするということ。それがとても楽しく感じてしまい、実花の頬は終始緩みっぱなしだ。
そして、一度目の生地で、数十個のタコ焼きが完成した。
「実花様、お熱いのでお気を付けください」
コスは、取り分けたそれを皿にのせ、マヨネーズとソース、そして、かつおぶしに青のりを振りかけると、まるで店で販売しているようなクオリティとなる。
「ありがとうございます、おいしそう!」
皆は、実花が先に食べるのを待っている様子であるが、ふと、テーブルの上に置かれた、ビールや、チューハイの缶が目に入った。
「先にみんなで、乾杯しましょう!」
「そうですね」
シンがグラスに注いでいく、酒。けれど、一杯には、オレンジジュースが注がれ、それが置かれた人物を見て、実花は首を傾げる。
「タンくんは、飲まないの? 強そうなのに」
「はい、タンタンはまだ駄目ですよ」
「タンくんは、まだ、成人していないですからね」
「オレ、十八……言ってなかった、っすかね……」
シンからオレンジジュースを受け取り、タンは首を傾げる。
まさか、そこまで年下とは思っておらず、実花は驚いた。
「え、そ、そうだったんだ!」
「年の差気になる人もいるかもっていう配慮なんだよね。ホームページのプロフィールにも、そう書いてるし」
シンはそう言って、スマートフォンを操作すると、スタッフの一覧を実花へ見せる。
確かにそこには、二十と書かれていた。
「やっぱり、こういうのって、嘘を書くものなんですね」
「私は正直に書いていますが、オーナーのアドバイスを受け、多少、偽っているスタッフはいるようです。先輩も、身長を偽っていますから」
「ええ!? 誰にも言ったことないのに、コッスー、なんでわかったの!?」
コスの発言に、大げさなリアクションで驚くシン。
実花がシンのスマホ画面をスクロールさせていけば、シンとタンは、1センチ差の身長が記載されていた。
「先輩は、私と同じくらいでしょう。タンくんとは、わりと差がありますよ」
「ええー、俺、かっこ悪い……実花さんの前で恥ずかしいです。嫌いにならないでくださいね?」
彼は、落ち込んだような素振りをするが、それは慰めて欲しいと甘えるような仕草だ。
二人きりの時であれば、ついそれに流されていた実花だっただろうが、ブンブンと頭を左右に振る。
「と、とりあえず、かんぱいしましょう!」
実花がそういえば、グラスを持つ三人。その縁が合わさり、カチンっと音色が響く。
そこから、四人は、タコ焼きを口へと運んだ。トロリと柔らかい生地に、歯ごたえのあるタコの触感。ソースの味の濃さに、酒を飲むペースがあがっていく。
「次は、わさび入れて、どれかわらかなくてしてさぁ、実花さんに食べさせてもらうのって、どう?」
「ッ、わ、悪くはないですが、そういう提案は、実花様からしていただく方がッ」
「え、楽しそう、やりましょう!」
次の生地を流しいれる前に、シンがした提案。
酒のせいでもあるのだろうか。実花は、その案に、乗り気となる。
「実花さん、結構、こういうの好きっすね」
「私の目に狂いはなかった……」
彼女のそんな様子に、各々喜びを見せる面々。
「じゃあ、実花さんは、向こう向いてて!」
彼女が後ろを向いてるうちに、たっぷりとワサビを注いだ、タコ焼きを一つ作る男たち。残り二つは、普通のタコをいれたタコ焼きである。
どれがどれであるのか、分からないよう綺麗に丸め、その三つを皿へと置いた。
「実花さん、どうぞ~!」
シンの声に、実花は振り返る。
すると、目を閉じ、まるで、ひな鳥のように口を開いている男たちの姿があった。
思わず、それに笑ってしまいながら、実花は爪楊枝で刺したタコ焼きを、彼らへ食べさせていく。
「あー……、おいしい。実花さんに食べさせてもらったから余計に」
「あーんとか、初めて、してもらった、っす……」
「ん……、熱いですが、とてもおいしいです」
実花に直接食べさせてもらい、嬉しそうに頬を染める男たち。
もぐもぐと口元を動かしては、それぞれが微笑を浮かべる。
「え、ちょっと待って、わさびは誰に当たったの……」
特にその後、変わった反応もしない男たちを見て、冷や汗をかく、実花。
まさかワサビ入りはなかったのか? と不信を抱くが、タコ焼き器の近くにある、わさびチューブは、かなり量が減っていた。奴隷って屈強だ。
それから、具材を変えてみたり、甘いものを作ってみたりと、遊びを取り入れつつも、タコ焼きを食べ尽くした、彼ら。
友人がたくさんできたようで、楽しく感じ、実花の口角は上がりっぱなしだ。
奴隷サービス、頼んでよかったかも。
そんなことを考えていた実花だが。
「それで、実花さん、今夜は、誰とえっちします?」
「え、へ? えっち?」
シンの突然の言葉に、実花は、そのまま聞き返す。
酔っぱらっているせいで、何か聞き間違いをしたのだろうかと思うが、うっすらと欲のともった瞳を向けてくるシンに、間違いではなかったのだと気づく。
「それは、私に決まっています。今日は私の出勤日ですから。あ、違います、その実花様が、したいのならという話で、もちろん、奴隷の分際で強請っているわけでは、」
コスも酔いを感じているのだろうか。自身の言葉に、何を言っているんだというように頭を抱える。
「俺は、四人でするのもいいと思ったのになぁー」
「四人……って、どうやって、その、する、んすか」
「先輩、少年にそういうことを教え込まない!」
シンの言葉に、モジモジと体を揺らしてしまう、タン。慌てたように、その耳を塞ぐコスのやり取りは、まるでコントのようだ。
そんな彼らに、早めにツッコミをするべきだろうと、実花は手を叩く。
「きょ、今日は皆さん帰りましょう!」
「「「……はい」」」
怒りを買ってしまうだろうかと思って放った言葉だったが、彼らは、シュンっとしながらも、すぐに頷く。
まるで、犬猫を三匹見ているような気分である。
「実花さん、今日は楽しかったですか?」
後片付けを終え、彼らを玄関へと見送っている最中。
ふと、シンがこちらを振り返り、こっそりと囁くようにそう聞いてくる。
「え、えと、はい、楽しかったです」
実花は、素直にそう頷いた。
こんなにも一日中笑って、はしゃいで。大人数と過ごして楽しかった夜は、社会人になって、初めてだったんじゃないだろうか。
「オレも、すごく楽しかったし、嬉しかったです。実花さんは、もっと、俺たちにいろんなワガママ言ってください。それが俺たちの幸せなんで」
そういう男の顔を見て、そして後ろに立っている二人の姿を見た。
もしかして、自分も、彼らと同じ顔つきになっているのではないか。そうだといい。
つづく
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