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 蝉がやかましい。窓を閉めきって、それでも蝉がやかましい。  空気の淀んだ部屋の中で、僕は煙草を吸う。吐き出した煙の向こうに、ヤニで汚れた壁を見る。  灰皿に落としたつもりが、僕の手は震えていて、灰は机の上に散らばった。けれどそれはよくあることなので、構わずにまた煙草をくわえて深く吸いこむ。  少しだけ息を止めて、そして吐き出す。うっすらと白い煙を見て、思う。  ああ、僕は生きている。どうしようもなく。  短くなった煙草を灰皿に押しつけて、火を消す。やっぱり僕の手は震えている。  窓の外には眩しすぎる空の青。目が痛くて、二度三度とまばたきをした。  あの日と同じような青。あの日も蝉は鳴いていた。それをやかましいとは、まだ思っていなかったけれど。  机の上に灰は散らばっていなくて、ちゃんと灰皿の中におさまっていた。僕の手は震えたりしていなかった。  彼はシングルベッドに腰かけて、ぼんやりと空中を眺めていた。僕はそんな彼の横顔を見ながら、煙草に火をつけた。  彼はときどきまばたきしながら、空中へ顔を向け続けている。きっとなにか相談事があって僕のところへやって来たものの、言い出すのをためらっているのだろう。  僕はどう声をかけたものかと考えあぐねていた。もしかしたらとてつもなく重い話かもしれない。そんな気もして、簡単には声をかけられなかった。  煙草の灰を灰皿の中へ落とす。彼の息を吸いこむ音が、やけに大きく聞こえた。 「蝉は、すぐに死んでしまうのに……」  彼が口を開いたので、僕はその横顔へと目を向けて、その言葉の続きを待った。 「やかましいね」  僕はいったいどう反応していいのかわからず、煙草を灰皿に押しつけた。彼はこんなことを言う人間だっただろうか。  その後に彼がなにを言ったのか、あるいは言わなかったのか。僕がなにを言ったのか、あるいは言えなかったのか。もう思い出せない。  彼の訃報が僕の耳に入る頃には、もう蝉は鳴かなくなっていた。  今、僕の手は震えている。窓を閉めきっているのに、蝉がやかましい。  冬なのに、蝉がやかましい。  震える手でひきだしから薬を取り出して、口へ放りこむ。そして、噛み砕く。  もしも、あのとき……。もしも、あのとき……。もしも、あのとき……。  いないはずの蝉の鳴き声を聞きながら、僕は目を閉じた。  君にはまだ、言いたいことがたくさんあったんだ。君にはまだ、訊きたいことがたくさんあったんだ。  ああ、僕は生きている。どうしようもなく。
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