蝶々になれない

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 ツバキの言っていたことが本当なのかは分からないけれど、本当だとしたら、わたしは蛹の中身みたいなものかもしれない。一日のほとんどをベッドの上でどろどろと過ごして、殻がないからきっと蝶々になれない。ツバキはちゃんと殻のある蛹で、だからきっと素敵な蝶々になるのだろう。他のクラスメイトたちもきっと……。  ふと、自分の頬を触ってみる。確かにそこにははっきりとした輪郭がある。けれどわたしにとってそれはどこかぼんやりとしていて、このままどろどろとどこまでも広がってしまえそうな気がした。ベッドを溢れて、壁を登って、窓の隙間から溢れて、そのまま外をどこまでも広がっていく。  わたしはそこかしこで誰かに会う。蝶々に会う。地を流れてゆくわたしより、ずっと高いところで舞い踊る蝶々たち。きらびやかで、美しくて、日の光を受けてきらきらと輝く。 「あなたは誰?」  ひとりの蝶々がわたしにそう訊ねる。 「蛹の中身だよ」  わたしはそう応える。  蝶々は不思議そうにわたしを見ていて、その間も舞うことをやめない。 「蛹の中身って……、殻はどうしたの?」 「そんなもの最初からなかったんだよ」 「そんなことってあるのかしら」  蝶々は辺りを見回して、木の枝の近くへと飛んでいった。 「この子は中身があるわね……、こっちの子も……」  そんな呟きがかすかに聞こえてくる。  その間にもわたしのどろどろはどんどん広がっていく。いつのまにか花の咲き乱れる野原の上を滑っていた。 「ねえ、私があなたの殻を探してあげるよ」  さっきの蝶々が飛んできて、近くの黄色い花に止まりながらそう言った。 「殻なんていらないよ。わたしはずっと、ずーっと、このままなの」 「蝶々になりたくないの?」 「なれないんだよ。わたしは蝶々には、なれない」  蝶々は悲しそうな目でわたしを見下ろした。  ドアをノックする音で、わたしのどろどろはベッドの上にさっと戻り、人間の形になった。気怠さが身体中を締め付ける。  もう一度、ドアがノックされた。もう寝ていることにして無視してしまおうか……、と思ったら、ドアが開かれた。わたしは仕方なくベッドから降りて、母親の立つ廊下へ歩き出す。 「起きてたなら返事してちょうだい」  疲れ切った声で母親がそう言った。 「ごめんなさい、頭がぼーっとしてて……」 「カワウチ先生から電話よ」  母親は右手に持っていた受話器をわたしに差し出した。わたしが仕方なくそれを受け取ると、母親はドアから離れて、きっと居間に戻っていったのだろう。わたしは部屋のドアを閉めて、ベッドに腰掛けた。  思わず溜息を吐いてから、保留ボタンを押して受話器を耳にあてた。 「変わりました、クロキユウリです」 「こんばんは、クロキさん。カワウチです」 「こんばんは」  カワウチ先生は少し黙って、それから言った。 「とても大事な話があるから、明日どうしても学校に来て欲しいんだけれど、大丈夫かな?」  学校には行きたくない……。そんなわたしの心を見透かすように、彼は続ける。 「教室に来る必要はないよ。保健室の先生に話を通して、奥にある部屋を使わせてもらうから。あまり誰にも会わずに済むと思う」  そこまで言われたら、もう拒否権はないような気がした。 「わかりました、行きます……」 「ありがとう、じゃあ十時がいいね。僕はその時間に授業がないし、他の生徒たちは授業中だし。十時に保健室の前で待ってるから」 「はい、十時ですね。わかりました」 「じゃあ、よろしくね。遅刻しないようにゆっくり休んで」 「そうですね、おやすみなさい」 「おやすみ」  そして電話は切れた。わたしはふうーっと長い溜息を吐いてしまう。  受話器を持ったまま、居間へ行った。母親はやはりそこにいて、何かテレビ番組を観ていた。 「電話はどうだった?」 「明日学校に来いって……、だからもし起きてこなかったら、七時に起こして」 「わかった、七時ね」  受話器を元に戻して、わたしは部屋に戻る。そして、またベッドの上に転がった。壁に掛けてある時計を見ると、十九時を少し過ぎたところだった。今から寝ればさすがに寝坊はしないはず……。けれど、眠れるかどうかはまた別の問題だ。  とりあえず部屋の電気を消して布団を被る。そしてわたしはまた、どろどろと輪郭を失って流れ出してゆく。  空は青く、日も高かった。今は何時だっけ……。舞い飛ぶ蝶々たちを見ながらどんどん流れてゆく。 「ねえ、蝶々になったら飛べるのよ?」  さっきの蝶々が黄色い花から舞い上がって、そう語りかけてくる。 「色んなものを上から見下ろすのって、とても素敵よ。それに、花の蜜を吸えるようにもなるの。とっても美味しいのよ」  ひらひらと羽をはばたかせる蝶々をぼんやり見上げる。 「飛んでみたくない?」 「分からない……」 「分からない?」  蝶々はまた不思議そうにわたしを見る。
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