蝶々になれない

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 十時の五分前ぐらい前に保健室の前に着くと、そこにはすでにカワウチが立っていた。 「おはよう。来てくれてありがとう」  そう言いながら彼は保健室の扉を開けて入っていく。わたしも重たい足を引きずりながらそれに続く。保健室の先生がこちらに目を向けた。 「おはようございます」 「おはようございます……」  挨拶を返しながら、部屋の奥の仕切りの向こうへ歩いていくカワウチの後ろを着いていく。保健室登校すらしたことのないわたしは、保健室の奥に仕切りがあることを初めて知った。  カワウチが小さな机の横にある小さな椅子に腰かけたので、わたしもその向かいにもう一つ置かれている椅子に腰をおろした。 「大事な話っていうのが、ちゃんと学校に来なさい、ってことだったら、それは聞けません」  わたしはカワウチが何か言う前に、と思ってさっと声を発した。 「いや……、君はハルヤマさんと仲が良かっただろう?」  彼の口から、予想外の言葉が飛び出す。 「仲が良かったというか……、唯一の話し相手ではありますけど。と言っても、いつも彼女からわたしに話しかけて来ますね」  わたしはツバキの顔を思い出しながら、言葉を選ぶ。 「実は数日前から、ハルヤマさんが行方不明になっていてね……。君なら何か知っているんじゃないかと思って」 「行方不明……? いえ、何も知りません」 「そうか……。実は彼女が行方不明になる前の日に、手紙を預かったんだ。今度クロキさんが学校に来たら渡してほしい、と」  そう言いながら彼はカバンから薄い青色の封筒を取り出した。そしてわたしのほうへと差し出す。 「もちろん中を勝手に見たりはしてない。ただ、もしその手紙に行方が書いてあったら教えてほしいんだ」 「はあ……」  わたしは封筒を受け取った。しっかりと糊で封がされている。カワウチがカバンから今度は鋏を取り出してわたしへ寄越す。ここで読めってことですか? そう言いかけて、やめた。家で読んでまたカワウチに報告して……、というのはどう考えても面倒だったからだ。鋏を受け取り、封筒の端を少しずつ切る。 「ただ、君が学校に来るのはいつになることやらわからないからな。仕方なく呼び出したんだ」  封筒の中から出てきたのは、やっぱり薄い青色の手紙だった。そこに濃い青色のインクで綺麗な文字が並んでいる。 「私、蝶々になるの。あなたもならない? 一緒にどこまでも飛んでいきたいな」  手紙にはそれだけが書かれていた。わたしはそれを二度三度と目で追い直して、途方に暮れる。あまりにも意味がわからないし、なによりカワウチになんと言うべきなのか。 「どうだ?」 「えっと……、特に行き先だとかは書いてないですね」  仕方なくわたしは言葉を濁した。 「じゃあ、その……、死ぬとかそういうことは……」 「ああ、それもないです。安心してください」 「そうか……。まあ、じゃあこれ以上は訊かないでおく」  わたしはほっと胸を撫でおろす。 「今日はわざわざすまなかったな。無理に教室に行く必要はない。ただ、もしハルヤマさんと連絡が取れたら、電話でいいから知らせてくれないか」 「わかりました」  多分一生連絡がつくことはない、わたしにはそんな気がしたが、それを彼に伝えるのはやめておくことにした。 「じゃあ、わたし帰りますね」 「ああ、気をつけて」  わたしはカバンにツバキからの手紙をしまい、鋏をカワウチに渡して、立ち上がった。失礼しました、と保健室の先生に声をかけてから部屋を出た。お疲れさま、という声が後ろからかすかに聞こえた。
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