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「高見さん、家出、してたの?」
何週間かぶりに登校したわたしに、隣の席のクラスメイトが少し怯えたような顔で訊ねた。わたしは首を振った。
「じゃあ、ユウカイ、とか?」
もう一度首を振る。ユウカイ、という言葉も近いような気がしたけれど、少し違う。それに、近いにしろ遠いにしろ彼女には関係のないことだ。
「じゃあ、どうして?」
「秘密」
彼女の顔の怯えがひどくなった。別段怖がることでもないのに。家出でも誘拐でもないと言っているのだ。それとも他にわたしの思いつかない、もっと恐ろしい理由があるだろうか。
「そ、それじゃあ、ひょっとして……」
予鈴が鳴った。どちらかと言えば真面目で、教師に怒られるのを怖れているらしい彼女は、わたしから顔を背けてきちんと前を向いた。
担任はぴったり予鈴が鳴り終わる瞬間に教室に足を踏み入れる。毎朝扉の外で待ちかまえているのではないだろうか。中年の女性教師は、フレームの細い眼鏡に手を当てて、壇上で突然声を荒げた。
「高見、あなた一体何をしていたんですか」
肩をすくめる。何をしていたというわけでもない。何もしていなかった。けれどそれを正直に言うと、担任の機嫌を損ねそうな気がした。
「高見! 立ちなさい」
これではただの見せ物だ。けれどわたしはそれを少し楽しんでいた。自分が見せ物になることは嫌だが、生徒を見せ物にしている担任が、おかしかったのだ。
クラスメイトの三分の二ぐらいは、わたしの方を見た。残りはあまり興味がなさそうだ。それか、わたしを見ることが心痛いのかもしれない。なんだか馬鹿馬鹿しくて、わたしは思わず、声を出さずに笑ってしまった。
担任が苛立つのがはっきりとわかる。すっと表情を消して、前を向く。消しゴムでもない、黒板消しでもない、強力な掃除機で一瞬にして吸い込んでしまえばいい。
「ずっと、寝てたんです。全く目が覚めなくて。今日の朝やっと起きました」
険しくなる担任の顔を見返して、わたしは続けた。
「生き物ですから、やっぱりずっと起きているときついんですよね」
教室の端で誰かが笑い出した。
「高見サンおもしろーい」
わたしは受けを狙っているわけでも何でもない。それに、今のわたしのセリフが笑えるものなのか一向にわからない。彼女はいわゆる、箸が転がっても笑う人なのだ。けれど一応、答えておく。
「どーも」
担任がため息をついた。少し、疲れているように見える。そう、教師だって疲れるだろう。私事で何かあったのかもしれないし、仕事のせいかもしれない。もっと言えばわたしのせいかもしれない。
「もういい。座りなさい」
「はい」
返事ははっきりと返して、椅子の上に体を落とす。隣の席のクラスメイトが、首を傾げてわたしを見ていた。意味もなく少し微笑んで軽く目配せをした。
なんだかすべてがおかしいのだ。
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