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「今度こそ消えます。見つけないでください」
ダイニングテーブルの上に置いてあったメモを裏返すと、酔っぱらったような文字が現れた。ぱっと見は「見つけないで」で問題なさそうだったのだが、なんとなく違和感を覚えて細かく見てみる。どうやら、「見つけでください」の「け」と「で」の間に無理矢理「ない」を押し込めているらしい。そのせいでその二文字だけ少し下がっていて、変に見えたのだ。二文字だけを書き忘れていたのだろうか。
わたしはメモを置いて、冷蔵庫を開けた。水の入ったペットボトルがなくなっている。代わりに黒っぽい液体の入ったハンドサイズのボトルがある。上の方は色が薄く、下には液体でない何かが溜まっている。
泥水だろうか。とりあえずそれは入れたままにしておく。
カーテンを引きちぎるぐらいの気持ちで開ける。小さな悲鳴をあげて、木の留め具が落ちてきた。本当にちぎってしまったらしい。笑えるような気もするのだが、まったく笑みが浮かんでこない。
夏の真ん中の陽射しは強い。わたしは青空が気にくわない。食器棚の奥から墨汁の入ったプラスチックの容器を取り出す。キャップをひねって、小さな口から黒い液体を絞り出した。掌を真っ黒に染めて、窓ガラスに触れる。指の跡が黒く、ガラスを汚す。わたしは掌を叩き付けた。じわりとわたしを侵す痛みに、ほほえみかけたくなる。けれどきっと無表情のままで、墨にもう一度手を染め、何度も何度もガラスを叩いた。
窓はところどころ掠れた黒に覆われた。誰かの芸術作品に見えなくもない。タイトルは「はみ出した空」。誰が言っていたんだったっけ。
足元、偽物のフローリングに黒い染みが散らばっていた。
何をしているのだろう。意味など、理由など、必要ない。目的もない。誰も喜ばないし、悲しんでもくれない。
わたしは何が欲しいのだろう。
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