トランス・ソロウ

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「ナツメはすごいなあ」 「え?」  ある日、いつものように怪我をしたアヤメの手を握ったあと、アヤメがそう呟いたので、僕は思わず首を傾げた。 「だってナツメと手を繋ぐと、どんな痛みもすーっと消えちゃうんだもん。でもね、なんだか悲しくなるの。わけわかんないんだけど、どうしてか、悲しい」 「そっか……」  そうだ、やっぱりそうだったんだ。アヤメの痛みが僕に移る代わりに、僕の悲しみがアヤメに移っている。  けれど、アヤメはそのことには気づいていないようだ。 「ねえ、どうやってるの?」 「なにが?」 「ナツメと手を繋ぐと痛くなくなるの。どうして?」 「それはね……」  僕はほんとうのことを言うべきなのだろうか。けれど、いつまでも黙っておくわけにもいかないような気がした。 「アヤメの痛みが、僕の中に移るからだよ」 「えっ? じゃあ、わたしの代わりに、ナツメが痛くなるの?」 「まあ、そうだよ」 「なんで言ってくれないの?」 「なにを?」 「わたしの代わりにナツメが痛くなるんでしょ? そんなのダメだよ……」 「言えるわけないじゃないか、だって……」  思わず、僕はダメな奴だなあ、と呟いてしまう。その呟きは自分でも驚くほどにのんびりとしていて、白々しかった。  アヤメの痛みが僕に移っている。僕は嘘はついていない。けれど、僕の悲しみがアヤメに移っていることを、僕は言わなかった。嘘はついていないけれど、真実を片方教えなかった。  アヤメは不思議そうな顔をして僕を見ていた。 「痛いのは慣れているから平気だよ。痛いときはいつでも僕の手を握るんだよ」  自分を騙すように、アヤメを騙すように、僕はそう言って、アヤメの頭を撫でた。
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