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煙が目にしみる
「長女は独立しました。二人目は遅くできた男の子でね、元気に走り回ってます。三人目は女の子で、腹ばいでだーだー言ってます。もうすぐハイハイしますよ。俺のことを憶えていてほしいと、それだけをね……」
蕎麦屋を営んでいるという髭面の男は、81mm迫撃砲の砲身を撫でながら、そっと目元を拭った。
「孫が大勢いるんだ。ひとりたりとも欠いたらわしが存在した意味がない。それこそご先祖様に叱られる。なぁ、青年」
5.56mm機関銃を肩にした老人が窪田の肩を叩いた。
「ところであんたなんとおっしゃる? 恰好が普通の兵隊とは違うが」
窪田が現場の指揮官であることなど知らない市井のひと。
「窪田といいます」
「窪田さんとやら、かつて日本は、戦闘機ごと敵艦に体当たりする特攻をやってのけた。人命軽視の最悪な作戦だったが、若者たちは守るべき者たちのために飛んだ。今わしらがやらんで誰がやる。なぁ」
「怖くはないですか?」
向かいに座る朝比奈が心配そうに老人を見た。確かにこの年齢と身のこなしでは危険が大きい。
「ない。数えきれないほどの思い出をもらったからな。こんな命いくらでもくれてやるさ。ところでお前さん、まだ若いな。お子さんは?」
「いえ。もうすぐ結婚します」朝比奈が微笑んだ。
「そうか……。不思議なもんでな、人ってのは子供のころに褒められたことをずっと覚えてるもんだ。孝はやっぱり男の子だねぇ、って母親に褒められたことがあってな、あの嬉しさはじじいになっても心に残っておる。叱るのも大事だが、褒めて育ててあげるといい。ん? 窪田さん、なんで泣いておるのだ。怖いのか、それとも家族が恋しいか?」
「いえ、煙が目に染みたのです」
戦場に向かうというのに、子供のことばかりを口にする男たちが、頼もしくもあり切なくもあった。
「煙もないのにおかしな奴だな。スモウゲッティニョラィ」老人が口ずさみ、ふっと笑った。
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