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プロローグ
その街角は、うらぶれた日陰の急な下り坂が、目の前にふと現れる七月の眩しい表通りに、見通しのきかない危険な角度で折れ込む一角で、とっつきに街路樹のプラタナスがただ一本、何かを思い出すような姿でぽつんと佇んでおり、あたりの標識や看板はといえば、何やら謎めいた数字や符号たちをやたらに散りばめていた。
むかし、時間の一秒目が始まったとき、一人の少年がその日のその時刻、その街角に居合わせるように決めたのはどんな力だったのだろう。
友也はふと後をふり返る。風の動きが妖しい。ほんのかすかな、あるかないか程度の空気の揺らぎだが、体全体をゾワゾワと粟立たせてくる。吉兆か凶兆なのかはわからない。
友也は手にした花束を心にそっと抱きしめ直す。ホームセンターの売り場で見かけた一束いくらの残りものに過ぎなかったが、色とりどりの暖かさを醸していて十分美しい。目の端に宿ったプラタナスが世界樹のようにそびえていた。
彼にはこの瞬間の世界の全てが、 ― その場のあらゆる物事が愛おしく、懐かしく、大切に思われた。失いたくない。何ひとつ手離さず、永遠にこの景色と共に生きてありたい。
?
… 通りの向うから何かがやって来る。
それは、逆光を浴びて、黒く、神々しく、如来めいた光輪を背負って見えた。
友也は、その、いつかどこかで見たことのある風景に一瞬立ち尽くし、横切りかけた道端から、自分に迫って来る不吉な車影に茫然と見惚れていた。運命が彼に追いつき、太古の約束が遂に果されるその瞬間まで、陽と影に切り分けられた世界の継ぎ目から、自分自身の姿を見降ろし続けていた。
ゆっくりとざわめく人々の叫びのなかで、友也の意識が干いて行く。
一台の黒いリムジンが、跳ね飛ばされた少年の身体と散り果てた花びらを遺して走り去って行った。
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