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Wadjet
ぎゅっと銃を持ったまま、『蛇』はあたたまらない指を握った。
「……っ、アタシから逃げようなんて良い度胸だよっ!」
逃げ惑う標的の兵士を捕らえると、関節を無視した恐ろしいまでの柔らかさで、女は己の両足と胴体をぐるぐると縄のように体を巻き付け締め上げた。両腕は首に絡ませている。ぐっと腕の力を入れ首を絞め落とすと、数秒で兵士はノックダウンだ。兵士の意識が失ったところで、ふっと力を緩める。兵士が崩れる前に女はさっと素早く離れた。兵士の体が完全に地に伏すと、右ホルダーの銃を出し、撃った。軌道は頭を撃ち抜いた。
女の足元には、似たような惨状の死体が複数転がっていた。服装から先程女が殺した兵士と同じ軍のようだ。女が自らの深緑の長い髪を掻き上げていると、新手の敵が来る。視認の前に銃口を向け撃鉄を引いた。初手、気配だけで撃った弾は標的の頭を狙い定め撃ち殺す。女は唇の端を吊り上げた。脳内でゴングが鳴る。縦長の瞳孔が収縮、拡大と動き、青白い唇を嘗めた。第三ラウンド、開始だ。
女は人間ではなかった。蛇だった。比喩ではない。本物の、蛇だった。
「たっだいまー」
「普通に帰還したって言え、ウア」
自身の陣営へ戻った女、ウアはテントに入った早々食らったお小言に、白けた表情をして舌を出した。青味の濃い唇に反し舌は赤かった。小言を寄越した人物は、不貞不貞しいウアの態度に嘆息している。
兵装に包まれた上からでも、厚い筋肉に覆われているのがわかる強面の渋面男は、ウアの上司であり、現在のご主人で頭の固い、軍人だった。
現代は、とかく人間を残そうとする絶対生存世界だ。あるとき、時のコンピュータがとんでもない数字を叩き出したことに端を発している。早い話、“このまま先細りが進めば、人類滅亡ですよ”と言った統計のデータだった。各国対応に、いがみ合っていた国同士でさえ急遽手を取り合ったのだから、どのくらいだったか予想が出来るだろう。
未婚者の『不老延命措置』の義務化、既婚者の『完全優遇制度』の徹底、不妊治療技術の進歩や子がいない場合代替されるクローンの製造とクローン制度の改正、養子制度の整備改善、他国間の帰化、入植、永住権の規制緩和……言い出せば枚挙に暇が無い。当然国々で浸透度の差は在れど、大半が子を産め人口を増やせよとなった。
「ウア、今日は何隊潰した?」
「えー? 憶えてなぁい」
気を取り直し報告を求めた男へウアは気の抜けた声で返した。溜め息が、再度吐かれる。男は手にしたモバイル端末をウアへ向けた。
「……データ上の記録では三小隊だ。誘導、撹乱だけで良いと言ったのに、随分暴れたようだな」
端末には、ずらずら数字と英文が並んでいた。簡単に言えば今日ウアが取ったコース、撃破ポイントの緯度と戦闘時に相対した人数が記されていた。ウアが首に掛けているドッグタグにはGPS機能が付いており、衛星でリモートされた情報が男に即時送信される仕組みだった。
「はぁ? 殺らなきゃ、殺られるんですけど?」
ここで不満げにウアが表情を歪める。男は厳しい面立ちを、眉だけ動かした。
「ウア」
「何? “喋れるなら報告くらいきちんとしろ?” ……はん。耳たこ。だいたい記録をいちいち録ってるなら要らないじゃん、口での報告なんてさぁ」
ウアは肩に掛かった髪を乱暴に払った。仕草の荒々しさから、苛立ちの程度が窺い知れる。
蛇に生来声帯は無いのだがウアは持っていた。擬人化する過程で生まれたのか、あとから外科手術で付けたのか定かでない。
「ってかさ、わかり切ったことわざわざ言わなきゃなんないわけ? っとに、人間て面倒臭い」
詰まんないこと、ぐだぐだ訊かないでよ。ウアは吐き捨て、手袋を剥ぐとテント内の机に放り投げ、上着に手を掛け勢い良く脱ぐ。下はタンクトップ一枚で露になった白い肌には、肘の部分に薄ら、青緑の鱗が浮かび上がっていた。
人口回復に躍起になる世界。けれどそれでも戦争は無くならない。人が増えれば争いも起こる。度重なる戦争は環境も人々も汚染した。
そこで導入が急がれたのは、ヒトではない物の代理戦争である。ロボットは勿論、三原則を持たない『ドール』と言う人型機械の違法乱用、義体化兵士の投入。
そして、捕獲した『擬人化動物』の流用。
『擬人化動物』。字の通りである。科学に傾倒した現在世界には『科学総会』と言う、科学者を纏める団体が在った。科学者の権利、生活を守り、また害悪となる技術の管理を任される団体だ。……表向きは。
裏では、当たり前のように汚い面も存在していた。技術の発展を制御したり流出した技術の回収をしたり。
『擬人化動物』は、『科学総会』に所属していた原田ヨシキが開発し、『科学総会』によって禁じられた技術だった。『擬人化動物』は遺伝子を作り変えることで動物のヒト化する。だが、とても調整が難しく、原田が施術した猫と犬以外の動物は、誰がどの動物を実験しても死に至らしめるだけであった。ヒトに近い猿でさえ。
加えてヒト化した動物たちは人間との性交が可能なものの、種の違いから子が産まれることも無く、人口増加に喘ぐ世界には薬にならない上毒となると思われた。評議の結果、技術は封印されるはずだった────が。
原田が『科学総会』を除名され、宇宙に在る人類の新たな墓場『地球総合霊園』の管理者に身を貶めても、事は終わらなかったのだ。
王烏兎。生化学の医療に特化した分野『生体医学』に精通し、コレに関わる技術の開発を主に行っていた科学者。自らのクローンを廃棄し、早世した天才でも在った。
ウアは、その王烏兎が裏で密かに造っていた『擬人化動物』の、最高傑作の一つだった
「何? 体拭くんだけど」
下も脱ごうとして、ウアが男の視線に気が付いた。地面に敷かれたシートにべたりと胡坐を掻いて座った状態で、男を睨み上げる。
「いや、寒くないかと思ってな」
蛇は変温動物だ。元は哺乳類でないウアだけれど、擬人化の今はそこまで外界の温度に左右されることも無い。男はウアの蛇としての特性から気に懸けているのだろうけれども、ウアは素っ気無く返した。
「べっつにぃ」
「そうか。……なら良い」
言って、男は背を向けてテントを出て行った。男を感知出来なくなった辺りで、ウアは深く息を吐き上体を前屈みに倒した。
「……っあー、またやっちゃった」
ばさり、長い髪がシートの上に散った。髪から覗く顔は、拗ねた人間の少女みたいだった。
「心配くらいはさー、アタシも受け取るべきよねぇ」
ぼやく。テントには一人しかいないし、ウアが感知するテント周り半径数十センチ、彼女を中心にするならば数メートルの範囲には気配も無かった。だからこそ、彼女がこうも無防備でいられるのだけど。
蛇は本来視覚は狭く、聴覚は中耳と鼓膜が無く埋もれていて、殆どを視覚と聴覚ではなく皮膚感覚と味覚嗅覚で補っている。ウアは擬人化であるが、蛇のときに比べマシ、と言うだけで、生まれながらのヒトである常人と比較したらやはり視覚聴覚は弱かった。もっとも。
「……何」
ヒトと違う第六感は、蛇のままであった。
「敵襲ーっ!」
ウアは早々と放り投げた衣類を着込む。ホルダーに手を掛けたところで爆音。大きな音は、聴覚の弱いウアにも届いた。衝撃波も。テントの支柱が軋み幕が捲れ上がる。ウアは急いで体勢を整え辺りを見回し、倒れ掛けたテントを出た。
爆撃を受けた陣営は火の海だった。テントが幾つか燃え、応戦と、物資を持って逃げる仲間が走っていた。ウアは考えるより先に動いた。上司が頭を掠め逡巡したのはコンマ以下のこと。ウアは脇目も振らず走り出す。応戦しつつ撤収体勢の味方を擦り抜けて。
第一撃は空爆だったらしい。しかし敵機は颯爽と去った。歩兵部隊の投入と言うところか。
崩れたテントの物陰に隠れる。仲間は逃げただろうか。人の気配は一旦消えたはずだ。上司は────ウアは頭を振った。集中する。
踏み割る音がした。だけども、ウアは視覚聴覚で追っていない。腰を落としウアは自身の蛇としての感覚を研ぎ澄ます。
蛇には『ピット』と呼ばれる器官が在る。アナコンダなどのボア科、ニシキヘビ科は鱗と鱗の隙間か鱗に穴が開いたと思わせる形状で上唇板と下唇板に在って、『口唇窩』と呼ばれる。クサリヘビ科のマムシ亜科は眼と鼻の間に一対、『頬窩』と呼んだ。ウアは自己の種類など把握していないがこのピット器官が残っていた。顔には鱗も穴も残っていないと言うのに。
蛇は痛みとして熱を感知するが、ウアは擬人化ゆえか触感として熱を感知する。つきっと押される感覚で痛んで、圧迫の違いで熱の温度差を感じられた。これによって相手が人間かどうかも義体化兵士のサイボーグかもロボットかも『ドール』かも判断出来た。一説には0.001度から0.003度温度判別が種の蛇もいるそうだ。ウアも似た類いなのかもしれない。
テントの陰に隠れセンサーを働かせる。燻る火に紛れ何体か熱源を察知した。人を感じない。義体化兵士も。ウアの隊は義体化兵士の味方は逃げたようだ。
すでに一個体撃破していた。『ドール』だった。『ドール』を最初に殺れたのは幸運だった。『ドール』は三原則が無い。イコール、人が殺せる。ウアは蛇だったけど現状人型だ。自立AIだったら三原則で止められるところ、『ドール』は躊躇が無い。残党は熱量からロボット兵、遠隔操作型と知る。動作が鈍いのか、観察して回っているからか。かなりゆっくりと破壊された陣営内を徘徊している。
「……」
皮の手袋がきゅっ、と鳴った。ウアが残ったのには理由が在った。足留めだ。
現今、戦争はリアルタイムでデータ化され可視化されて行く。つまり情報戦こそ主流で、情報量で勝敗が決まるのだ。より多く情報を掴まれればそれは即座に壊滅を意味した。衛星カメラを使われれば、部隊の位置なんかすぐに割れてしまうことだろう。だので、平時ステルス機能や光学迷彩を搭載した遮蔽装置を使っているけれども、急襲されればまず、守りに徹しながらの撤収を余儀なくされる。態勢を立て直し遮蔽装置を使う余裕を取り戻すためには時間が必要だった。
神経を集中させる。ウアは戦うことには慣れている。けれども本意では、常に不安だった。
蛇は獰猛で攻撃的だ。だけどこの分、臆病でも在ると言うことだ。
臆病であるから、ウアは一人ここに残ったのだ。
遠隔操作型、と言うことは人が操作している。AIでの三原則の束縛は期待出来なかった。ぎゅっと、ウアは祈るかの如く銃を挟む形で手を握った。上手く出来ますように、と言う自己暗示のために。息を殺し敵を待つ。迎え撃つため。と、後ろに気配を感じた。とっさに背後へ振り向き様銃口を突き付ける。手のひらを筒先に押し付けられ、手首は掴まれた。外そうとして、気付いた。暗闇でも、ウアにはわかる。敵じゃない。
「……何、やってるのよ」
「こっちの科白だ」
ウアを捕らえていたのは上司でご主人の、あの男だった。唖然としつつ銃を降ろすウアに合わせて手を放す。立っていても、男とは見上げる程身長差が在ったせいか妙な威圧感を覚えた。無言の圧力にぞわっと肌を逆立たせ「何」ウアは尋ねた。すると。
いつもなら反抗的な態度を幾ら取っても何も意見しない男が「いい加減にしろ」ぽつりと零した。そうして、ウアの両方二の腕を掴む。
「いい加減にしろ……っ」
小声で、再び叱責された。ぽかんと、間抜け面を晒す以外ウアに出来なかった。目を瞬く合間も男の説教は責を切ったみたいに止まらない。
「お前は、いつもそうだ。何をしているんだ? いつも、“誘導だけで良い”“突っ込み過ぎるな”“深入りするな”……どれくらい言おうとお前は聞かないっ。俺がどれだけ心配しているか!」
声量は抑えられている。だがしかし、抑え切れない感情が迸っていた。ウアは呆然と聞き入っていた。やがて「仕方ないじゃない……」呟いた。
「仕方ないじゃない……っ、アタシには、コレしか無かった!」
俯いて、洩らした声調は揺れていた。掠れて、悲痛を押し殺すかのように。
「アタシは、戦うしか出来ないんだよ……もう嫌なんだよ。誰かがいなくなるのは……居場所が無くなるのが……」
ウアは頭を小さく振る。嫌々と、子供が駄々を捏ねるみたいに。男の、ウアを掴む手が弛んだ。するり、滑り落ちて。
「……っ」
思い切り腕を引かれた。
同時に衝撃と、すぐ横に在った、潜めていたテントが吹き飛んだ。
見付かった「───」と緊張が走ったけども、どうやら違ったようだ。吹き飛ぶ骨組みと幕に紛れ近くのコンテナの陰へ潜り込んだ御蔭で発見は免れた。
だけれど、幸運は続かない。ロボット兵たちの注意が反対へ逸れた内に男に手を引かれ走るが、ロボット兵に瞬間感付かれた。ただしロボット兵の動きは遅かった。倒れ焦げた幕に骨組み、コンテナなどが障害物となっている点も遅れに一役買ったようだ。だから代わりと言わんばかりにロボット兵は、遠距離でも殺傷可能な一斉攻撃を始めた。レーザータイプでなく弾丸タイプだったのは不幸中の幸いだった。一掃すると言え弾丸では、レーザーのように一気に薙ぎ払うことは難しい。
飛んで来る弾を掻い潜り、ウアは男に引かれるまま男が乗って来た車に詰め込まれた。車は軍仕様のジープだ。エンジンが掛かると一秒の差も無く遮蔽装置が起動する。隊に十台も無い特殊車だ。こんなものまで出して、男はウアを迎えに来たらしい。猛スピードで悪路を走り抜ける。鈍間なロボット兵は、追い付けず銃を乱射していた。間も無く見えなくなり運転席のレーダーから敵影がロストしてから、ウアはシートに深く体を沈めた。
今日は昼の作戦から先の敵襲まで休まる時間が無かった。だいぶ疲れていることだろう。目を閉じるウアを横目でちらと見遣って、男は先刻のウアを想起していた。
“アタシは、戦うしか出来ないんだよ”
ウアは軍に来る以前、ファイターだった。
ウアを買い取った男が地下の違法ファイトのオーナーだった。地下ファイトはウアの外にも大勢の猛獣の『擬人化動物』がいた。ウアはファイトの女王で、人気のファイターだった。
ところが、ある日地下ファイトは摘発される。もともと後ろ暗かったところ、ウアを含めた『擬人化動物』がいることで御用となったのだ。
『擬人化動物』は禁忌で門外不出の技術だ。担当は公安局や警察ではなく軍が仕切った。
“……もう嫌なんだよ。誰かがいなくなるのは……居場所が無くなるのが……”
ウアにとっては確かに居場所で在ったのかもしれない。ファイトでは負け無しだったウアはオーナーの自慢だったそうだし、勝ったウアを一番に誉めてスタッフが全員可愛がっていた、とも────調書には記載されていた。
「……」
男は、調書を読む前に、二度ウアを見掛けていた。
一回は地下ファイトで偵察のとき。戦い方は危うく容赦無かったけれど、試合が終わると少女の如くきらきら瞳を輝かせて満面の笑顔を浮かべていた。
二回目は一斉検挙のとき。捕獲されたウアは虚ろな双眸で、項垂れていた。
「ウチの陣営だが、」
「……うーん?」
車の中、ぼそっと話し掛ければ気の無い返事をウアがした。瞼を閉じていたものの寝ていた訳では無いらしい。
「怪我人は多く出た。重傷者もいるが、」
「……」
「皆命に別状は無い」
「……。そう」
無愛想な応答だった。男は咎めること無く続けた。
「『ドール』を、殺ったんだな」
「だから何」
「いや……よくやった」
突然の労いに、ウアは目を引ん剥き男を見た。男は厳つい顔面を一ミリも動かさなかった。どぎまぎしながら、男の変化の無さにウアはまた窓へ視線をずらした。
「お前が殺った『ドール』は軽装備追跡型だった。もしお前が仕留めなければもっと被害は甚大だったかもしれん」
「ふぅん……」
「────だが」
面映い気持ちだったウアへ男が水を差した。や。
「単独で許可も報告も無く突っ走るのはやめろ」
刺したのは釘だった。案の定、ウアは機嫌を損ねていた。頬を僅かに膨らませ唇を尖らせている。男は、やはり微動だにしなかった。淡々とでこぼこ道で上下する車を運転している。
男が言いたいのは、居場所を守っても、死んでは元も子も無い、と言うことなのだけど。
口下手なのか照れ臭いのか敢えてなのか。
男は終ぞ、口にしなかった。
【 了 】
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