最後の晩餐

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「司法長官のサインがあるから、もはや何があっても刑の執行を覆す事は出来んが……正直な話、私はいまだに信じられないよ」 辺りに人がいない事を確認しつつ、看守が呟く。  厨房のテーブルには、すでに文字通り『最後の晩餐』が並んでいる。本日の主役たるシェフは「どうせ片付けも自分でするのだから、ここで食べるよ」と片隅から小さな丸椅子を持ち出して腰掛けていた。 「夫婦二人を刃物で惨殺した罪で死刑だって? 収監された時から感じてはいたが、私にはお前がそんな激情的で自分勝手な人間には思えないんだ」 それは30年に及ぶ収監での、偽らざる本音。一審の死刑判決にシェフも控訴せずそのまま確定しているとは言え、『何か裏があるのでは』という疑念は彼の死刑執行を見合せ続けた理由でもある。 「なぁ、もしよかったら私に教えてくれないか。『何があった』んだい? お前のように感情の起伏が少なくて料理を食う人のためを考え続ける人間が、どうして殺人なんかしたんだ?」  特に何か感想を言うこともなく、ゆっくりと味わいながら食べている。シェフにして『最後の贅沢』と評したメニューはブラックペッパーをしっかり効かせた鶏もも肉のソテーに、トマトソースで仕上げたスパゲティ。それに茹でたアスパラ。ただ、それだけ。 上質なバターの香りが厨房に漂う。 「……」 二人の間に、暫しの沈黙が流れる。気まずい時間。フォークとナイフが皿に当たる音だけがする。 「……言っては何だが、簡素なメニューなんだな。お前ならもっと豪華な料理でも作れると思うんだが。何か思い入れもでもあるのか?」   看守の問いに、シェフが重い口を開いた。 「……結婚を約束していた女がいてな。12歳も年下だったが、オレは本気だった。だが『そんな歳の離れた放蕩者に娘はやれん』と相手の両親に大反対されてよ」 看守は黙って聞いている。そして、シェフはやや口ごもりながら『真相』を語った。 「口論の末に、その両親を衝動的に殺したんだよ。……がね。オレは自ら申し出て、その罪を被ったのさ」 「何……だと?」  もしもそれが本当なのだとしたら。 「夜中にさ、電話が掛かってきたんだよ。土砂降りで足元が悪くて……靴が濡れて気持ち悪かったなぁ」  昔を思い出すような口ぶり。 「慌てて彼女のアパートに入ったら、すでに部屋の中は血の海だったよ。彼女を実家へ連れ戻そうとやって来た両親と大喧嘩になったらしくてな。彼女が『分かってくれないなら自殺する』と持ち出した包丁を巡って奪い合いになり……気がついたら2人とも滅多刺しになっていたそうだ」 「……」  看守は何も言わず、ただ目を見開いている。 「彼女は錯乱状態でね……このまま放置すれば精神に異常をきたしてしまう恐れすらあると思ったんだ。だから、オレは申し出たのさ。『オレが殺したという事にして、警察に通報しろ』と。『お前は何も悪くない。そこまでお前とお前の家族を追い込んでしまったオレに全責任がある』とね……」  やがて、空になった皿にフォークが置かれた。カチャリという音が耳を突く。 「この組み合わせはな、彼女のアパートで冷蔵庫の有り合わせを使って作った最初のメニューなんだ。とても喜んでくれてよ」  そしてシェフは最後に一言「世迷い言だ、忘れてくれ」と締めくくった。
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