最後の晩餐

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「そのは今どうしているんだい? 収監されてから連絡を取っている気配はないようだが」 看守の質問にシェフは素っ気なく「知らない」と静かに首を振った。 「別の誰かと幸せになっているかも知れないし、もしかしたら今でも独り身かも知れない。どちらにしてもオレはその結果を知りたいとは思わない。オレは『彼女の身代わりとなって消える』それだけだ」 どちらの答えを聞いたにしても、彼の心に安寧が訪れる事はないだろうから。30年という長い時を超えてなお、シェフに残る彼女への一途な想い。 「君の気持ちは理解した……さて、シェフが秘密を明かしてくれたのであれば私も秘密を明かすとしよう」 看守がもぞもぞと上着のポケットから何かを摘まみ出した。小さな、金属製の箱。 「これはボイスレコーダだ。ここでの会話は全て記録していたんだよ。すまないね、何しろ規則だから。……それともうひとつ」 ボイスレコーダを再びポケットに仕舞い、シェフに向き直る。 「実は司法省に手紙が届いていたんだ。差出人は……そう、『彼女』さ」 その言葉に、シェフのこめかみがピクリと動いた。 「手紙に書かれていた内容は、君が語った事とほぼ一致する……つまり君の無実は証明されたのだよ。君にとっては失態かも知れないが、ボイスレコーダという『証拠』もある。すまないね、『司法長官のサイン』は君に本音を語らせるための嘘なんだ」 「……!」 瞬間、シェフの顔が強張った。 「そして、君は『知りたくない』と言ったが教えてあげよう。彼女は今、重い病の床にあるそうだ」 「何……っ!」 目を見開いて、シェフが身を乗り出す。 「難病に罹患していたようだな。罪を認める恐怖と、身代わりになってくれたシェフの気持ちを潰す事に気後れがあって今まで黙っていたと……手紙には書いてあったよ。何しろ我が国では殺人に公訴時効はないからね」 それは元に戻らぬ悔恨と葛藤の日々であったに違いあるまい。 「重病の彼女を今さら罪に問うのは現実的に難しいだろうが……神様は『真相』を御存じだったようだな。君より先に、彼女は天に召されるらしい」 「そんな……馬鹿な!」 庇ったはずの自分が生き残り、助かったはずの彼女が病気で先に逝くという。もしも運命というものがあるのだとすれば、それは何と皮肉なものか。 「手紙によれば彼女は余命幾ばくもないと知り、人生最後の望みとして『愛する男の名誉を回復したい』とさ。それを実現するには自らの罪を告白するしかないと……決意したようだ。無論、君がそれを受け入れるのであれば……という前提ではあるがね」 看守は「おめでとう、手続きさえ済めば君は晴れて釈放になる。これからは好きなだけ自分に料理を振る舞ってやればいい」とシェフに告げた。そして。 「なぁ、シェフ。君は『最高に贅沢な料理とは自分の為だけに作る料理だ』と言ったな。しかし、もしを愛する者が作ってくれたのだとしらどうだろうか? 完全に自分の好みを理解していくれている愛しき人が、だ。私にはそれこそが『最高に贅沢な料理』だと……思えるのだがね」 寂れた古い椅子に座るシェフが、俯いて肩を震わせている。ポタリ、と水滴が床に滴り落ちていく。 「彼女は地元の病院にいるそうだ。さぁ早く行ってやれ。そして『最高の晩餐』を振る舞ってやるといい。天使が迎えに、来る前にな」 完
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