境目の壁

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「これは……不思議ですね」  呟きながら才明は腕を引く。すると壁から抜けた分は元の姿を取り戻す。  俺なら一度で十分だと手を引っ込めてしまうところだが、才明は興奮気味に何度も手を出したり、消したりを繰り返す。そして気が済んだ辺りで俺たちに向き直った。 「侶普殿が言われた通り、痛みはありませんが感覚がすべて消えますね。最初から手はなかった、と感じてしまいそうな……頭からいけば終わりでしょうね。己を自覚できなければ姿を保てず消えてしまう」 「それを理解した上で何度も腕を犠牲にできるとは。大した精神力だ」  感心したような呆れたような侶普の呟きに、才明は「お褒めに預かり光栄です」と頭を下げる。  一連のやり取りを見ていた英正が、顔を強張らせながら「私も」と壁に手を伸ばそうとしたが――。 「英正、貴方はやめたほうがいい。腕がなくなったままになるかもしれません」 「なぜですか? 才明様が大丈夫ならば、私も同じなのでは?」 「私と貴方とでは成り立ちが違うのですよ。敗者となって作られた私と、誠人様のために一から作られた貴方とでは……」  才明はゲームの敗者。現実に身体を持っている者。この世界の身体しかない英正とは確かに違う。  だがその事情を知らない英正は首を傾げ、顔をしかめて不満を滲ませる。  間に入ってくれたのは侶普だった。 「才明殿の言う通りだ。俺は英正と同じ存在だが、この世界に生まれてから数年は経っている。だから存在が定着しているが、英正は日が浅い。恐らく姿を戻すことはできないだろう」  同じ存在。この言葉で英正は納得してくれたのか、もどかしげに顔をしかめながらも引き下がる。少しも役に立てないと憤っているのか、表情が苦しげだ。  俺はそんな英正に近づき、肩を叩いた。 「これから何が起きるか分からないんだ。どうか注意を払って警戒していて欲しい」  いくら潤宇の領土であっても、敵対勢力が潜んでいないとは限らない。英正ができることは十分にある。  ハッとしてから英正が表情を引き締め、大きく頷いた。 「承知しました。誠人様が戻ってくるまでの間も、気を緩めずに待機します」  気を持ち直してくれて良かったと思いながら、俺は壁の前に立つ。  恐れを覚えながらそっと手を伸ばし、壁に触れてみれば、才明と同じように手から腕へと消えていく。  だが感覚はある。  試しに手を握ったり開いたりをしてみるが、動いている手応えがあった。 「これは……壁があるように見えているだけで、元からここには何もないような――」  俺の独り言に、侶普が大きく頷いた。 「その通りです、誠人様。あくまでこれは世界の境目を分かりやすくしたもの。この壁すべてが作り出された幻です」  言われて壁を見上げてみれば、夜の闇ですべては見えないものの、どこまでも高く続いている。石を積み上げて無限の高さの壁を作るなど、現実でも無理だろう。  ゲームの世界だからと思っていれば、プログラムされたもの、という考えで止まる。  だが、俺はこの世界が異世界だということは知っている。  プログラムでなければ、この壁を作っているものはなんだ? と首を傾げてしまう。  この壁の向こうはどうなっているんだ?  逸る気持ちを抑えながら、俺は一歩を踏み出した。
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