――天地を貫く巨樹の麓で――

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 樹々に挟まれた石段を、十四、五歳ほどの少女がのぼっていた。腰のあたりまでのびた淡い栗色の髪と、ゆったりとした白い衣が、梢の間から差し込む光に照らされて、自ら光を放っているかのように輝いている。  少女は、耳に心地よい澄んだ音色で鼻歌を歌いながら、軽い足取りで、しかしゆっくりと石段をのぼっていく。  ときおり、視線を落とす。彼女の腕の中には、純白の布に包まれた赤ん坊がいた。瞳も鼻も口も、なにもかもが小さく、細く柔らかい産毛は瞳と同じ黒。  やがて、樹々が開けて石段が途切れ、石積みの白い塔が目の前に現れた。塔の中は薄暗く、らせん状の階段が壁に沿って続いていた。少女はその階段ものぼる。素足がひたひたと音を立て、塔の中に響いた。  らせん階段をのぼりきると、塔の頂に広がる小さな庭園に出た。色とりどりの花が風に揺れて咲き誇り、中心から三方向にのびた石張りの水路には透明な水が流れていた。石の欄干が庭園を囲い、欄干の上に一定間隔に設けられた篝火が赤く燃えていた。 「まだ、少しだけ時間があるね……」  高い空をあおぎ、少女は静かに言った。少女の言葉に応えるように、赤ん坊が声をあげる。それに微笑んで、草地を横切り南側の欄干のそばまで進んだ。  少女は瞳を細め、目の前の景色を眺めた。  眼下には白い宮殿が見える。御殿が無数に配置され、また、いたるところに淡い虹色の結晶が、ぼんやりと光を放ちながらそびえていた。宮殿を(かなめ)に、扇状の街がその奥に広がっている。街を囲う壁の向こうには大河と森が広がり、その向こうは白い靄で霞んで地平線は見えない。  その景色をしばらく眺めていた少女は、悲しげにため息をついた。  さて、と少女は気を取り直すように声をあげると、欄干に背を向けた。  庭園の中央、黒く滑らかな敷石が一つ、水路に囲われて敷かれていた。黒い結晶状の敷石は十二角形を成し、人間の大人が寝転がれるほどの大きさがあった。その中央にも、同じような黒く滑らかな低い台座が置かれ、敷石の上にあがった少女は、その台座のそばに赤ん坊を寝かせた。 「おわかれだよ」  指先で赤ん坊の頬を優しくなで、悲しげに言う彼女は、しかし笑みを浮かべていた。 「大丈夫。きみのことは、ティアに任せてあるから。彼女なら、きみを大切に育ててくれる。五千年も待たせちゃったけどね。――まぁでも、あの子にとっては、たいした時間でもないか……」  敷石がぼんやりと銀色の光りを放ちはじめた。それに気づいた少女は、寂しげに微笑みながら赤ん坊から放れ、敷石からおりた。 「もっと、きみと一緒にいたかったけど……」  光は徐々に強くなり、赤ん坊ごと敷石を包んでいく。その光に向かって、少女は言った。 「たまに、きみの夢に遊びに行くよ。きみの成長を確かめるために」  光が消えると、敷石の上にいた赤ん坊は消えていた。  寂しそうに敷石を見つめていた少女は、静かに顔をあげる。 「わたしは、ここで待ってるから……」  少女の視線の先には、巨大な壁があった――否、壁のように見えたそれは、巨大な樹の幹だった。  竜巻を思わせるねじれた幹は、天地を貫くように屹立し、樹冠は雲よりはるか上空にあり、空の青に溶けて薄っすらとしか見えない。太い根は、麓の宮殿と街を抱くように広がり、また、いたるところから水が湧きだし、街中を網のように張り巡る運河を通り、大河へと流れていく。 「ずっと、待ってるから……」  巨樹を見あげたまま、少女は再度呟いた。
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