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1 妖精族の王子
巨大な樹々がたちならぶ森を、人間族の少年ロイツ・アールヴェルグはあるいていた。
袖口のひろい、黒い道着のような衣装をまとい、節くれだった木の棒をもったロイツは、なにかをさがすように地面をきょろきょろみまわしながらあるいていた。あるくたびに、荷袋と一緒にななめがけに背負った短弓と、右腰部につるした革の矢筒が軽い音をたてる。
ここ霊霧の森は、空をこずえにおおいかくされ、日の光はほとんどはいってこないが、けっして暗いわけではない。あちこちの地面からはえた虹色の結晶が淡い光をはなち、苔と枝葉で緑にそめあげられた森の中を、ぼんやりと明るくしていた。
結晶の光りには生命をはぐくむ力があり、日のあたらない森の中でも緑は濃く、たくさんの命がいきていた。樹々の根もとには多種多様な植物がはえ、そのまわりを煌虫という翅を燐のようにひからせた虫がまっている。
ロイツはときおりかがみこんで、煌虫がむらがる植物の葉や花や実をつんだり、矢筒にくくりつけていた鈍色の小刀をぬいて、根元から草をきりとったりした。背負っていた荷袋を前にまわし、それらをしまっていく。
「もう、いっぱいだぁ」
小刀をおさめ、ぼんやりとつぶやきながら荷の中をながめた。中にはロイツが集めた植物の葉や実、根っこなどがはいっている。
「メルー」
声をかけると、近くの下草のにおいをかいでいた白い毛並みの狼が顔をあげた。
「ティアのところにもどろう」
いいながら、太い樹の根をとびこえて先へすすむロイツのあとを、白狼メルーは軽い足取りでおいかける。
ロイツは今月――獅ノ月の八日で、七歳になる。獅ノ月は、現在の〈世界〉の暦(ロンディアル暦)で八番目の月。季節でいうと、秋のさかりにあたる。
黒い髪と瞳をもったこの人間族の少年は、七年前、アルターヴ妖精(白の妖精族)とよばれる古い妖精族の姫ティアレンヌ・アールヴェルグにひろわれ、妖精族の王子としてそだてられた。見た目は大人しそうな少年だが、そのじつ、好奇心旺盛でおちつきのない、王子とは名ばかりの性格をしている。護衛をつけても気がつけばどこかへきえ、しばらくしてすり傷だらけ泥だらけの格好でひょっこりもどってくるという始末。
ゆえにロイツの護衛には、魔女としても名高いティアレンヌの使い魔がつけられた。白狼メルーはその一匹である。
しばらくあるいて、ぴたりとロイツの足はとまった。
「……あれぇ?」
またたきをしながら周囲をみまわす。
「どこだ、ここ……」
メルーにむかって首をかしげると、メルーも首をかしげた。こまったような顔をして、もう一度周囲をみまわした。
「まぁた迷子になっちゃったよ……」
いった声は、たいしてこまった様子もなく、のんきな調子だった。迷子になったといっても、物心ついたころから遊びまわっている森だ。適当にあるいていれば、しっている場所にでる、というのがいつものことだった。
うーん、とうなりながら、手にもっていた棒をふりまわし、やがて棒を地面に垂直にたてた。ぱっと手をはなすと、棒は左へたおれる。ヘラッとわらって棒をひろいあげ、左のほうへあるきはじめた。
「――お?」
しかし、その足もやはりすぐにとまってしまう。
正面の草むらに、大きな黒い影がたたずんでいた。その正体をみとめて、ロイツは目を大きくみひらいた。
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