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――翌日――
今日の朝も、僕は何時ものように朝食を食べた。トイレにも行った。洗面も済ませた。
でも、何時もと違う朝だ。
「バタン!」
僕は部屋のドアを開けた。既に学生服に着替え、教科書を入れたバッグを手に持っている――準備は万端だ。行くとするか。
僕が玄関に着くと、父と母が待っていた。二人共、心配そうな顔をしている。
「気を付けてね」
そんな顔をしたまま、母が言った。なので、
「うん」
僕は二人の不安をかき消すような飛び切りの笑顔で頷いた。「じゃあ、行ってくる」
僕は二人に一年振りの朝の挨拶をした。
――さあ出発だ。
玄関から出て外を歩くと、学生、サラリーマン、主婦、ご老人といった様々な人達が、僕の横を通り過ぎていく。当然、中には僕と視線が合う人もいる。その視線に、僕は多少の戸惑いを覚える。――でも、勇気を持って前だけを見据えて歩こう。
歩いていると、僕は自然に腕を大きく広げて、スーハースーハーと深呼吸を何度も繰り返していた。やはりなのか、久し振りの外の空気は、最高に美味しいのだ。僕が最後に外出したのは、数か月前――深夜に近くの自動販売機で缶ジュースを買った時だった。でも、この時に味わったのとは全然違う。恐らく、太陽の日差しがミックスされて、旨味成分が倍増しているのだろう。
周りの景色を一年前以上の記憶と照らし合わせながら歩いていると、僕はあっという間に鳳山中学校へ着いた。
敷地内に入ると、不思議と周りの目線が僕に集まっている気がする。見慣れない奴がいるぞ、とでも皆思っているのだろうか。それでも、気持ちをぶらさずに行こう。
僕は軽快な動きで歩を進めた。すると、あっという間に、僕が在籍している二年五組までたどり着いた。周りの目を気にしなければ、拍子抜けするくらい物事は進むものだな。
「――馬鹿の馬さ~~」
クラス内の喧噪の中で、僕はひと際大きな声を耳にした。廊下側の窓やドアは閉められているのに、僕の耳にはっきり届くこの声量――聞き覚えがある。不快感が僕の記憶の扉をこれでもかとノックしてくる。
「アイツの声だ……」
間違いない――井尻の声だろう。でも、一体アイツは何を騒いでいるのだろうか。気になったので、僕は中に入らずに、外側の窓からクラス内の様子を伺うことにした。
「馬場の馬は馬鹿の馬さ~~」
井尻は得意げに下品な歌を歌っていた。そして、その周りで井尻の仲間達もゲラゲラ笑い合っていた。こいつらの視線の先には、席に俯いて座っている気の弱そうな細身の男の子がいる。
僕は一瞬で彼が、井尻の今のサンドバッグ要員だと分かった。なぜなら、彼の机には落書きが沢山あるのだ。書かれている文字も僕の時と同じ、馬鹿やアホや死ねといった類だ。経験者の僕だからこそ一瞬で分かる、一年前と全く変わらない内容のイジメだった。――僕も井尻に散々下手糞な歌を聞かされたし。
周りのクラスメイトも井尻達を見て見ぬふりだ。下手に関わったら、次は自分がターゲットにされると思って、静観を決め込んでいるのだろう。恐らく、担任もそうだろう。傍から見ていると、悪寒が走るほど冷たい……冷たすぎる。
「よしっ」
僕は自分の映し鏡のような馬場君を助けたい――そう決心した。周りの皆は狡猾で冷たすぎる。それなら、僕は愚直でも温かくありたい。優しくありたい。カッコ悪くても誰かのヒーローになりたい。――よし、やるぞ。
「ガラガラガラ」
僕は大きな音を立ててドアを開けた。すると、クラスメイト達は一斉に僕の方に視線を向けた。
「誰だ、コイツ⁉」
「引尾君?」
クラスメイト達が僕を見てざわめいている。
そんな中、僕は井尻の方にドンドンと向かった。井尻はきょとんとした顔をして、僕を見ていた。そんなコイツと二歩、三歩くらいの距離を取って、僕は立ち止まった。――いくぞ、井尻。会心の一撃をお見舞いしてやる。
「久し振り。成長してない下品な真性君」
僕は井尻に大ダメージを与えられそうな単語を選び、思い切り浴びせかけた。すると、井尻は、
「何だと!」
と声を荒げ、真っ赤な顔をして僕に掴みかかった。流石にマズいと思ったのか、井尻の仲間達が必死になって井尻を止めに入った。――結局、井尻は僕を掴んだ手を放し、自分の席に着いた。顔はまだ真っ赤なまま――あんな言葉で怒れるなんて、本当に成長していないヤツだな。一年前と違って成長した僕なら、コイツと上手く戦えそうな気がする。
そんな光明が差し込んだ展望に胸を膨らませつつ、僕は馬場君の方に視線を向けた。馬場君は僕に、有難うといった笑みを送っていた。――まだ僕はこのクラスにおいて、自分の席さえも見つけられていない状況だけど、一緒に戦ってくれる仲間は見つかったみたいだ。
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