泡沫の情人

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 それが終わると泉田が、「あの曲をもう一度聴きたい」と言って口ずさんだ。  それに対して佑月が「お好きですね」と言って、同じ曲をまた弾き始める。  ゆっくりとした調子から、途中で激しさを増し、最後は儚く消えていく。何だか切ない恋愛を思わせるような曲調だった。  その曲を聴きながら、泉田は目を閉じていた。まるで忘れはしないと噛みしめるような姿に、兵藤は複雑な心持ちで目を逸らした。 「今日は呼んでいただき、ありがとうございました。また、呼んでくださいね」  あっという間に時間になったらしく、佑月が微笑んで立ち上がる。 「そこまで送っていくよ」  泉田が立ち上がり、佑月がちらりと兵藤を見る。だがすぐに、視線を泉田に戻す。 「良いんですか? お連れさんがいらっしゃるのに」 「構わない。送ってきたまえ」  泉田より先に、兵藤は促す。せっかくここまで来たのだから、二人っきりになる時間もあった方が良いはずだ。 「悪いね。すぐ戻るから」  泉田は罰が悪そうな顔でそう言うと、布に包んだ三味線を抱えた佑月と共に、部屋を出ていった。  一人残された兵藤は、静かに息を吐く。  男が相手だったとは驚きだったが、それ以上に、兵藤が想像していたよりも泉田が本気であることが、衝撃的だった。  別段、色事に夢中になる性分ではないはずだった泉田が、あんな風に惚れ込んでいる姿は長い付き合いで見たことがない。  でも、それぐらいの魅力が彼にあるのは確かだった。三味線の腕が立つというのもあるが、それ以前にあの男子らしからぬ艶やかさに目を惹かれてしまうのだ。
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